第2話-1 冷徹王子
数日後。
研究成果発表会当日。
王国第二の都市リューゼルの中央区に建つ公会堂は、華やかな熱気に包まれていた。
各地の領主や貴族、王都から来た官僚や軍関係者、魔導具商会の代表、そして国内有数の研究者たち。
大理石の床にはシャンデリアの光がきらめき、会場中央には各研究所自慢の最新魔導具が並んでいる。
大型輸送車用の動力炉、新素材を用いた魔導装甲、そして新型魔導砲……。
どれも人目を引くものばかりだ。
その一方で、会場の端には小さな展示区画が設けられていた。
リリアに割り当てられた場所である。
「……よし」
リリアは展示台の布を整え、一つの魔導具を静かに置いた。
灌漑補助魔導具。
農地へ水を送るための装置で、従来より少ない魔石で広い範囲へ安定して水を供給できるよう改良したものだ。
派手さはない。
けれど、何度も試験を繰り返して完成させた、自慢の研究成果だった。
「緊張してる?」
後ろから声がして振り返る。
「エマ」
淡い緑色のドレスを着たエマが笑っていた。
「似合ってる」
「ありがとう。でも研究発表なのに、こんな格好って落ち着かないわ」
「リリアは白衣のほうが似合うって思ってるでしょ?」
「……少しだけ」
「ふふっ」
エマは笑いながら展示品を眺める。
「やっぱり丁寧な仕上がりね」
「細かいところまで気になってしまって」
「リリアらしい」
二人が笑い合った、そのときだった。
「リリア」
低い声が割って入る。
振り向くまでもなく分かった。
エドガーだった。
濃紺の礼装を身にまとい、伯爵家嫡男らしい堂々とした姿で立っている。
「エドガー様」
リリアが一礼すると、彼は展示台へ目を向けた。
「……本当に展示するのか」
「はい」
「考え直すことを期待していたんだが」
リリアは静かに答える。
「私は、この研究を発表したいと思っています」
エドガーは小さく息を吐いた。
「第一研究室は王国最高峰の開発部門だ。その看板を背負う以上、展示する研究にも品格が求められる」
視線が灌漑補助魔導具へ落ちる。
「こんなものが注目されると思うか?」
「生活魔導具に品格がない、と?」
「少なくとも、この場で評価される研究ではない」
即答だった。
「殿下もお越しになる。王族のお時間を奪うような真似だけはしてくれるな」
その瞬間、会場入口が大きくざわめいた。
「王族の馬車だ!」
「殿下がお着きになられたぞ!」
貴族たちが一斉に姿勢を正す。
研究員たちも自身の展示台の前へ整列した。
エドガーが満足そうに口元を緩める。
「始まるな」
会場の大扉が、ゆっくりと開いた。
「第一王子殿下、御成り!」
高らかな声が響く。
賑わっていた会場から、音が消えた。
貴族たちは一斉に頭を垂れる。
赤い絨毯を踏みしめる靴音だけが、静寂の中に響いた。
先頭を歩く青年は、漆黒に近い濃紺の礼装を身にまとっている。
銀糸の王家の紋章以外に目立った装飾はない。
夜空を思わせる黒髪、切れ長の蒼灰色の瞳。
整った顔立ちには、ほとんど感情が浮かんでいなかった。
鋭い眼差しだけで、周囲の空気が張り詰める。
エーヴァルト・アインベルク。
クラウゼル王国第一王子。
社交界で『冷徹王子』と呼ばれる青年だった。
「面を上げよ」
低く落ち着いた声が響く。
必要以上に大きくなく、それでも不思議なほどよく通った。
貴族たちが顔を上げる。
会場中の視線がエーヴァルトへ集まった。
だが本人は、それらを気にする様子もない。
形式的な歓迎を受けながら、静かに会場を見渡していく。
そのとき、エーヴァルトの視線が、会場の端で止まった。
一人の女性が、小さな展示台の前でしゃがみ込んでいる。
王族の到着に気がつかず、展示品を細かく調整していた。
ようやく作業を終えた彼女が顔を上げる。
「……!」
そこで初めて会場の異変に気づいたらしい。
慌てて立ち上がり、深く頭を下げる。
その仕草には、媚びも過剰な怯えもない。
ただ、自分の非礼を詫びようとする誠実さだけがあった。
エーヴァルトは、ほんの一瞬足を止めた。
「殿下?」
側近が小声で呼ぶ。
「……いや」
エーヴァルトは再び歩き始める。
だが、その蒼灰色の瞳は展示台に残っていた。
名札にはこう記されている。
『リューゼル魔導技術研究所 第一研究室 リリア・エーデル』
エーヴァルトは、その名を静かに胸へ刻んだ。
◇
視察は軍用魔導具から始まった。
開発責任者たちが次々と前へ出て、研究成果を説明する。
エーヴァルトは時折質問を挟みながら、淡々と視察を進めていった。
やがて、一行はリューゼル魔導技術研究所の展示区画へ到着する。
「こちらが新型魔導砲でございます」
エドガーが一歩前へ出た。
変換効率、射程、魔石消費量。
淀みなく説明していく姿は堂々としている。
「ほう」
エーヴァルトが短く頷いた。
「変換損失を抑えるため、第三研究室との共同開発による新型動力機構を採用しております」
「なるほど」
説明を終えると、エドガーはわずかに口元を緩めた。
手応えは十分だった。
そのとき――
「エドガー様」
甲高い声が響いた。
淡い金髪を巻き上げ、宝石を身につけた令嬢が歩み寄ってくる。
「ルイーゼ様」
誰かが小さく呟いた。
ルイーゼ・グランセル。
軍拡派の重鎮、グランセル侯爵家の令嬢。
近頃はエドガーとの仲が噂されることも多い。
「素晴らしい発表でしたわ」
「ありがとうございます」
二人が自然に微笑み合う。
周囲から小さなどよめきが起こった。
ルイーゼはエドガーへ身を寄せる。
「ちょうど殿下もいらっしゃることですし。今、お話ししてしまわれてはいかがです?」
エドガーは静かに頷いた。
「……そうですね」
まるで、最初から決めていたかのように。
彼はリリアのもとへ歩いていく。
会場中の視線が集まった。
「リリア」
「はい?」
エドガーは周囲を見渡した。
王子、王宮の官僚、領主たち、研究者たち……。
証人は揃っている。
「皆様の前で申し上げます」
エーヴァルトが静かに視線を向けた。
エドガーは迷うことなく告げる。
「本日をもって、私はリリア・エーデルとの婚約を解消いたします」
会場が、一瞬で静まり返った。
誰もが息を呑む。
ただ一人。
婚約破棄を告げられた当の本人だけが、信じられないというように目を見開いていた。
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