第1話-2 リリア・エーデル
彼は皆の挨拶を受けながら研究室へ入ってきた。
「昨日の試験結果は?」
「成功です。変換効率は予定値を超えました」
「そうか。引き続き改良を進めろ」
短く的確な指示に、研究員たちは嬉しそうに頷く。
その姿だけなら、優秀な研究者であり、将来を期待される人物だった。
やがてエドガーの視線がリリアへ向く。
「おはようございます、エドガー様」
婚約者であるリリアは静かに頭を下げた。
返ってきたのは、冷たい一瞥だった。
「君か……」
研究室の空気がわずかに凍る。
エドガーは机の上の設計図を見るなり、露骨に眉をひそめた。
「また生活魔導具か」
「はい」
「君は本当に成長しないな」
研究員の何人かが笑う。
「これだけ才能がありながら、平民向けの玩具ばかり作る」
エドガーはため息をついた。
「正直、見ていて情けない」
リリアの指先が止まる。
エマが思わず口を挟んだ。
「エドガー様、その言い方は……」
「君には聞いていない」
鋭く遮られ、エマは唇を噛んだ。
エドガーはリリアだけを見る。
「私は何度も言ったはずだ。君ほどの才能なら軍用魔導具を開発できる。王国に貢献すれば、名誉も得られる。なのに、いつまで子どもの遊びのような研究を続けるつもりだ?」
周囲から小さな失笑が漏れた。
「生活魔導具じゃ国に貢献できない」
「魔石の無駄遣いだな」
エドガーは止めようともしない。
「リリア。婚約者として忠告してやる」
腕を組み、冷たい声で告げる。
「研究者は結果で評価される。趣味に付き合ってくれるほど、この国は甘くない」
「次の成果発表会で恥をかくのは君自身だ」
それだけ言うと、エドガーは興味を失ったように背を向けた。
リリアは何も言い返さない。
ただ、設計図の端をそっと指でなぞった。
◇
やがて、研究室の奥でベルが鳴った。
「定例報告だ」
第一研究室主任ヴィルヘルムが長机の前に立つ。
五十代半ばの穏やかな男性で、長年研究所を支えてきたベテランだ。
優秀な研究者ではある。
ただ、争いを好まない性格のため、研究所内の力関係へ深く踏み込むことはなかった。
「全員、集まってくれ」
研究員たちが集まる。
エドガーは当然のように最前列で、リリアとエマは少し後ろへ並んだ。
「来月の研究成果発表会について連絡する」
研究室の空気が引き締まる。
年に一度開催される研究成果発表会。
国内の研究者が一堂に会し、新たな魔導具を披露する一大行事だ。
優秀な研究には国から予算が下り、軍への正式採用や王都への異動が決まることもある。
若い研究者にとっては、人生を左右する舞台だった。
「今年は例年以上に来賓が多い」
ヴィルヘルムが資料をめくる。
「軍務省、財務省、各地の領主に加え――」
一拍置いた。
「第一王子エーヴァルト殿下が視察に来られる」
室内がざわめく。
「殿下自らリューゼルへ?」
「成果発表会に来られるなんて初めてじゃないか?」
エーヴァルト・アインベルク。
国王譲りの政治手腕を持つと評される一方、冷静沈着で貴族にも容赦しないことから『冷徹王子』と呼ばれている。
そんな人物が、なぜ今年の発表会に来るのか。
誰もが気になっていた。
「軍用魔導具をご覧になるためでしょう」
エドガーが口を挟む。
「さすが殿下。国を守る力が何より重要だと理解しておられる」
そう言って、ちらりとリリアを見る。
「生活魔導具などに興味を持たれることはないでしょう」
小さな笑いが広がった。
エマだけが悔しそうに唇を噛む。
「発表内容に優劣はない」
ヴィルヘルムが咳払いする。
「全員、準備を怠らないように」
だが、その言葉に力がないことは誰もが分かっていた。
評価されるのは軍用魔導具。
予算も名誉も、軍事研究へ集まる。
生活魔導具が正当に評価された例は、ほとんどない。
「エドガー」
ヴィルヘルムが資料を見る。
「君は新型魔導砲を発表予定だったな」
「はい」
「進捗はどうかな?」
「問題ありません」
エドガーは余裕の笑みを浮かべた。
「今回の発表会で、第一研究室の評価をさらに引き上げてみせます」
「さすがエドガー様」
「期待しています」
周囲から声が上がる。
満足そうに頷いたエドガーが、不意にリリアを見る。
「そういえば君は何だったかな」
分かっていて尋ねている口調だった。
「灌漑補助魔導具の試作品です」
「……そうだったな」
エドガーは肩をすくめた。
「まあ、会場には商人も来る。暇つぶしにはちょうどいい展示かもしれない」
失笑が漏れる。
「エドガー様、それは……」
「研究とは国益のためにある。趣味の工作を披露する場ではない」
エドガーは遮る。
リリアはそれ以上何も言わず、ただ胸の前で資料を抱きしめる。
――いつか、この研究が誰かの役に立つ。
その信念だけは、誰に笑われても変わらない。
◇
定例報告が終わり、研究員たちが持ち場へ戻っていく。
資料をまとめていたリリアに、低い声が掛かった。
「リリア」
振り返ると、エドガーが立っていた。
「少し話がある」
「はい」
二人は研究室の窓際へ移動した。
窓の向こうには、冬空の下に広がるリューゼルの街並みが見える。
「発表会だが」
エドガーは切り出した。
「今年は例年とは違う」
「第一王子殿下がお越しになりますものね」
「ああ」
エドガーはリリアを真っ直ぐ見た。
「余計なことはするな」
「え……?」
「予定通り展示だけしていろ」
リリアは首を傾げた。
「研究内容をご説明するつもりですが……」
「それが余計だと言っている」
冷たい声だった。
「殿下のお時間は限られている。生活魔導具の話などで引き止めるな」
リリアは目を瞬かせる。
「でも、質問をいただけたなら、お答えするのは当然では……」
「質問など来ない」
言い切った。
「来るはずがない」
「殿下は国を背負われる方だ。興味を持たれるのは軍用魔導具だけだ」
リリアは静かに視線を落とした。
それでも、諦めるつもりはなかった。
「……私は」
顔を上げる。
「私の研究にも、価値があると思っています」
エドガーの眉がわずかに動く。
だが、すぐに小さく息を吐いた。
「もういい」
話を打ち切るように手を上げる。
「発表会が終われば、改めて話をする」
「そのときには、君にも現実を理解してもらう」
意味深な言葉を残し、エドガーは背を向けた。
リリアはその背中を見送る。
胸の奥に、小さな違和感が残った。
“改めて話をする”
まるで、何か大きな決断をすでに下しているような言い方だった。
窓の外では、冬の風が静かにリューゼルの街を吹き抜けていた。
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