第21話 君が笑う理由
夏の盛りが少しずつ過ぎていく。
王立魔導技術研究院の研究室では、今日も慌ただしく、とても暑い朝の時間が流れていた。
「温度、安定しています」
ノアが測定器を確認する。
「魔力消費量は?」
「初期出力から三分の一以下。室温が安定したあとは、ほとんど魔石を消費していない」
「予定どおりですね」
リリアは嬉しそうに頷いた。
「真夏は過ぎたとは言え、やっぱり暖房はきつい。早朝でも暑い」
ノアが汗を拭きながら愚痴を言う。
目の前に置かれているのは、暖房魔導具。
「設定温度に達したら出力を落とす。それから室温が下がれば、また必要な分だけ出力を上げる」
保存魔導具の温度設定の応用で、この魔導回路には自信がある。
「これなら、つけっぱなしにしても魔石を無駄にしません」
「しかも小型化できる」
ミレーネが胸を張った。
「私が開発した新素材のおかげね」
「ありがとうございます、ミレーネさん。本当に助かりました」
「もっと褒めてもいいのよ?」
「では、王立研究院で最高の素材研究者です」
「そこまで言われると照れるわね!」
ミレーネが嬉しそうに笑う。
「……でも、もう少し言って」
「欲張りさんです」
「えー、リリアのケチー!」
研究室に笑い声が広がる。
ほんの数か月前まで、自分がこんなふうに研究仲間と笑いながら仕事をする日が来るなんて、考えたこともなかった。
リューゼル研究所にいた頃は、研究が好きだという気持ちさえ、どこか隠さなければならなかった。
生活魔導具など、軍用魔導具に比べれば価値が低い。
そう言われていた。
けれど、ここでは違う。
こちらに来てから開発した魔道具。
そして、今作っている暖房魔導具も、誰かの暮らしを良くするための研究として、きちんと評価してもらえる。
「……ここに来て、本当によかった」
リリアは小さく呟いた。
「何か言った?」
「いえ、何でもありません」
そう答えながら、自然と顔が緩む。
研究が楽しい。
仲間がいる。
自分の考えを聞いてもらえる。
そして、自分の研究を応援してくれる人がいる。
――エーヴァルト。
その名前が頭に浮かんだだけで、リリアの頬が少し熱くなった。
「……?」
ミレーネが怪訝そうに見る。
「リリア?」
「はい?」
「ちょっと顔が赤くない?」
「暑いからでしょうか」
「さすがのリリアも夏の暖房の中ではいつも通りってわけにはいかないか」
ノアがそう言うと、
「もしかして……別の理由じゃない? あの人のこと考えてたとかっ?」
ミレーネが茶化しながら言う。
「そ、そんなことはありません」
リリアは慌てて魔道具へ視線を戻した。
けれど、その頬の熱はなかなか引かなかった。
◇
昼過ぎ。
研究室の扉が開いた。
「失礼する」
「殿下」
エーヴァルトだった。
リリアはいつものように立ち上がろうとして……なぜか、動きが少しだけぎこちなくなった。
「……こんにちは、殿下」
「ああ」
エーヴァルトも、以前より彼女を見る時間が長くなっている。
そのことに気づいているのか、いないのか。
本人にも分からない。
「暖房魔導具の試験結果を見に来た」
「はい。ちょうど、最終試験が終わったところです」
リリアが説明する。
室温、魔力消費、出力変化、安全性。
どの項目についても、ほぼ問題はなかった。
エーヴァルトは測定結果を一つずつ確認していく。
「見事だな」
「ありがとうございます」
「これなら冬に間に合いそうか?」
「はい。予定通り、量産用の設計に移れば、間に合わせられると思います」
「そうか」
エーヴァルトは魔導具を見つめた。
「これが、普通の家庭でも使えるようになるのか」
「できるだけ価格を抑えるつもりです」
リリアは少しだけ考えてから続ける。
「冬の寒さを我慢している人が、少しでも減ればいいと思っていますから」
エーヴァルトは黙って彼女を見た。
リリアはいつもそうだ。
誰かに褒められるためではなく、誰かの暮らしが良くなることを喜んでいる。
そんな彼女の笑顔を見るたびに、エーヴァルトの胸は締め付けられた。
「……リリア」
「はい?」
「最近、よく笑うな」
「そうでしょうか?」
「ああ」
リリアは少し考える。
「たぶん……楽しいからだと思います」
「研究が?」
「それもあります」
彼女は研究室を見渡した。
「ここは設備が整っていて、頼れる仲間がいる。だから、自分が作りたいものを作れます」
リリアは微笑んだ。
「それに……」
「それに?」
「殿下が来てくださると、安心します」
「……」
エーヴァルトの表情が止まった。
言った本人は、それがどれほどの威力を持つ言葉なのか理解していない。
「以前、殿下が私の研究を守ると言ってくださったでしょう?」
「ああ」
「だからでしょうか。殿下が来てくださると、ここは大丈夫だって思えるんです」
リリアは何気なく言った。
「……そうか」
エーヴァルトは短く答えた。
だが、内心はまったく平静ではなかった。
自分が来ることで彼女が安心する。
それは、ひどく嬉しい。
嬉しいなどという言葉では足りないほどに。
できることなら、いつでも彼女のそばにいたい。
困ったときには支えたい。
彼女が安心して笑える場所を守りたい。
――それは、王子としての責務なのだろうか。
エーヴァルトは考える。
違う。
少なくとも、それだけではない。
リリアが他の研究者と楽しそうに話していると、嬉しくなる。
彼女が自分を頼ってくれると、心が満たされる。
そして何より、彼女が笑っている姿を見ることが、いつの間にか自分にとって大切なことになっていた。
「殿下? お疲れですか?」
「いや」
エーヴァルトは小さく首を振った。
「むしろ、今日は来てよかったと思っている」
「本当ですか?」
「ああ」
リリアの顔が嬉しそうに綻ぶ。
その瞬間。
エーヴァルトは、もう一度思った。
――この笑顔を、ずっと見ていたい。
その願いが、自分の中にあることを認めざるを得なかった。
◇
数日後。
暖房魔導具の完成は、すぐに研究院中へ知れ渡った。
生活を支える魔導具を次々と生み出す研究者。
いつしか、リリア・エーデルの名前は王都では知らない者が少ないほどになっていた。
これまで高価だった魔導具を平民でも手が届く価格で開発する。
人々に寄り添う生活魔導具の研究者。
どこで聞いたのか「ぜひ暖房魔導具を使いたい」という声まで届いている。
リリアは、その報告書を読みながら嬉しそうに笑った。
「……もっと頑張らないと」
誰かの暮らしを変えられる。
自分の研究が、誰かの役に立っている。
それが嬉しくて仕方がない。
そして、その姿を見つめる人がいることにもリリアは、少しずつ気づき始めていた。
エーヴァルトがこちらを見ている。
でももう、以前のようには目を逸らすことはない。
彼が研究を支えてくれるから嬉しいのだと思っていたが、それだけじゃないことは気づいている。
リリアは、胸元へそっと手を当てた。
「これが……恋、なのでしょうか」
一方――
エーヴァルトもまた、同じことを考えていた。
「……私は、彼女が好きなのか」
答えは、もうほとんど決まっていた。
ただ二人とも、最後の一歩だけを、まだ踏み出せずにいる。
その一歩を踏み出したとき、二人の関係は、研究者と後援者ではなくなる。
そして、その日は、もうすぐそこまで来ていた。
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