第18話 冬を見据えて
エーヴァルトの誕生パーティーから、数日が過ぎた。
王都はまだ夏の盛りだった。
日が昇れば石畳は熱を帯び、昼間の研究院では窓を開けても涼しい風はなかなか入ってこない。
庭の木々には濃い緑が茂り、研究員たちは暑さに文句を言いながら、それぞれの研究に没頭していた。
そんな中――。
「……暖房、ですか?」
ミレーネが、リリアの机に広げられた設計図を覗き込んで首を傾げた。
「はい」
リリアは当然のように頷いた。
「次は暖房用の魔導具を作ろうと思っています」
「今?」
「今です」
「外、暑いわよ?」
「分かっています」
リリアは窓の外へ目を向けた。
日差しは強く、暖房という言葉からはあまりにも遠い季節だった。
「でも、冬は必ず来ますから」
「確かにリリアの実力なら今から開発しても冬に間に合うかもしれないけど……」
「けど?」
「実験したくない……」
「私は大丈夫」
その言葉には、妙な説得力があった。
「保存魔導具も浄水魔導具も、困っている人がいるから作りました。だったら、寒さで困っている人がいるなら、暖めるものも作りたいんです」
リリアは設計図へ視線を戻した。
「冬になると、地方では薪や炭が不足することがあります。特に貧しい家庭では、十分な燃料を買えなくて、寒さを我慢している人もいるんです」
それは、リリアが子供の頃から聞いてきた話だった。
ベルノア領は農業が盛んな土地だ。
豊かな収穫に恵まれる年も多いが、すべての家が裕福というわけではない。
領主の館を訪れた農民たちが、冬の薪の値段について父に相談している姿を、幼い頃のリリアは何度も見ていた。
父はできる限り対応していた。
けれど、領主が配れる薪にも限りがある。
暖炉にくべる薪が一本減れば、その分だけ家の中の寒さが増す。
そんな当たり前のことを、リリアは知っていた。
「実は、リューゼル研究所にいた頃から研究したいとは思っていたんです」
「へえ」
ミレーネが意外そうに目を瞬かせる。
「でも、当時の私には知識が足りませんでした。それに研究所では軍用魔導具の研究が優先されていて、生活用の暖房器具に割ける設備も時間もありませんでした」
リリアは苦笑する。
「今なら違います」
王立魔導技術研究院。
王国最高峰の研究設備。
各分野の専門家。
そして、エーヴァルトという強力な後援者。
「今の私なら、できるかもしれません」
リリアの瞳に、研究者特有の光が宿った。
「既存の暖房魔導具のように魔石をたくさん使えば、暖めること自体は難しくありません」
「お金持ちのお貴族様が使ってるやつね……」
「でも、それでは意味がないんです」
紙の上に、いくつもの数字が並んでいる。
「家庭で使える価格にして、少ない魔石で長く使えるようにする。それから、家の大きさや部屋の広さ、外の寒さに合わせて出力を変えられるようにしたいんです」
「……また始まったわ」
ミレーネが小さく笑う。
「何がですか?」
「リリアの『少ない魔石でなんとかする』病」
「病気じゃありません」
「そうかしら」
「必要な研究です」
「はいはい」
ミレーネは楽しそうに笑った。
その日のうちに、リリアは暖房魔導具の基本構造を決め始めた。
魔石から取り出した魔力を、そのまま熱へ変換する。
それ自体は難しくない。
問題は、その熱をどれだけ効率よく室内へ伝えられるか。
そして必要以上の熱を発生させず、魔石の消費を抑えられるかだった。
保存魔導具の開発で培った温度制御の知識。
浄水魔導具で磨いた魔力出力の調整。
そして何より、魔石から取り出せるエネルギーを無駄なく使うための計算。
リリアの得意分野が、すべて繋がっていく。
「……ここを変えれば」
数字を書き換える。
「いや、こっちの回路を先に通したほうが……」
また書き直す。
「そうすると低出力時の損失が……」
さらに数字を追加する。
夏の暑さなど、もう彼女の頭の中にはなかった。
◇
数日後。
リリアはユリウスとともに、灌漑補助魔導具の実地試験にも参加していた。
「水量は?」
「問題ありません。予定値からほとんど変化なしです」
「じゃあ、出力を一段階下げてみよう」
ユリウスの指示に従い、リリアが魔導具の調整を行う。
水の流れが少しだけ弱くなる。
それでも農地へ必要な量は十分に届いていた。
「よし。これなら実用化しても問題なさそうだ」
ユリウスが満足そうに頷いた。
「後は設置場所ごとの調整だな。水路の形も違うし、土地の高低差も違う。全部同じ設定というわけにはいかない」
「はい。だから、調整幅を広くしておきました」
「本当に便利だな、君の魔導具は」
「そう作っていますから」
「自信満々に言えるのが、リリアのすごいところだよ」
ユリウスが笑う。
リリアも笑った。
けれど、頭の片隅では別の計画が進んでいる。
暖房魔導具。
「……冬までに間に合わせないと」
リリアは小さく呟いた。
「何か言ったか?」
「いえ。何でもありません」
そう答えながらも、彼女の頭の中では、もう次の設計図が完成へ向かって走り出していた。
◇
その頃。
王都では、リリアの研究成果が少しずつ広がり始めていた。
保存魔導具は特に商人たちから高い評価を受けている。
これまでなら傷みやすかった肉や魚、乳製品などを、より長い時間、安全に運べるようになったからだ。
商人たちの間では、
『多少高くても、長距離輸送なら十分に元が取れる』
という話まで出始めていた。
さらに――。
「リューゼルでもたくさんの商人が使ってるみたいだよ」
研究院の廊下で、ミレーネがリリアへ伝えた。
「本当ですか?」
「商人向けの大型モデルがね。前より扱える商品の種類が増えたって、かなり評判がいいみたい」
「よかった……」
リリアの顔がぱっと明るくなる。
リューゼル。
クラウゼル王国第2の都市であり、自分がかつて研究員として働いていた場所。
そこへ自分の作った魔導具が届いた。
それが、ただ嬉しかった。
「そのうち、小型モデルも広まるんじゃないかな」
「そうなってほしいですね」
「なると思うよ~。使った人が便利だって広めてくれれば、欲しい人は増えるって」
ノアが笑う。
リリアは頷いた。
自分の研究が、少しずつ国中へ広がっている。
それは研究者として、この上なく嬉しいことだった。
しかし、同じ情報を、別の場所で聞いていた男がいた。
「この街でも?」
「はい。商人たちの間で、かなり好評だそうです」
エドガー・ルークスは、報告書を握りしめる。
「……くだらない」
吐き捨てるように言う。
「保存魔導具が少し売れた程度で、何が変わる」
そう言いながら、報告書を握る指には力が入っていた。
リリアの作った魔導具が、かつて自分が見下していた研究成果が、王都だけではなく自分の故郷であるリューゼルへまで広がっている。
それが、どうしても気に入らなかった。
使えない女だから婚約を破棄した。
それなのに、なぜあの女は自分が手放したあとになって、これほどまでに評価されているのか。
「生活魔導具など、大したものではない」
エドガーは自分へ言い聞かせるように繰り返した。
「国に必要なのは軍事力だ。生活を少し便利にしたところで、国防には何の役にも立たない」
だが、報告書の数字は消えない。
保存魔導具を導入した商人たちの利益。
輸送できる商品の増加。
地方での導入件数。
そして、リリア・エーデルという研究者の名。
その名前が広がるほど、エドガーの胸の奥に、黒い感情が積もっていった。
◇
「リリア、少しいいか」
ある日の午後。
研究室の扉が開く。
「殿下?」
エーヴァルトだった。
リリアは反射的に立ち上がる。
そして、自分でも理由が分からないまま、胸が少しだけ速く鼓動した。
「どうしました?」
「灌漑補助魔導具の試験結果を聞きに来た」
「はい。ちょうど報告書をまとめているところです」
以前なら、もっと自然に話せていた。
研究の話になれば、緊張することなどなかった。
けれど、誕生日の夜から少しだけ違う。
あの夜、手を重ねて踊ったこと。
綺麗だ、と言われたこと。
思い出すたびに、胸の奥が落ち着かなくなる。
「……リリア?」
「はいっ」
声が少し上ずった。
エーヴァルトも気づいたらしい。
「どうした?」
「いえ、何でもありません」
「そうか」
エーヴァルトはそう答えたものの、以前よりも彼女の表情をよく見るようになっていた。
研究の話をしているときの真剣な顔も、失敗して困ったように眉を寄せる顔も……自分が部屋へ入ったときに見せる、ほんの少しの照れ。
どれも気になる。
なぜ気になるのかは、まだ分からない。
ただ、気づけば視線が彼女を追っていた。
「それで、暖房魔導具というのは?」
「あ……」
リリアは机の上の設計図を見た。
「ご存じだったんですね」
「先ほど聞いた。冬に向けて研究しているそうだな」
「はい」
リリアは嬉しそうに設計図を見せる。
「家庭用を中心に考えています。できるだけ価格を抑えて、魔石の消費も少なくして……」
説明を始めると、いつものリリアに戻った。
エーヴァルトは黙って聞いていた。
「……つまり、部屋の広さや外の温度に応じて、必要な出力だけを取り出す?」
「そうです。最大出力を常に使うのではなく、必要な分だけ魔石からエネルギーを引き出します」
「なるほど」
エーヴァルトが設計図を覗き込む。
二人の距離が近くなる。
「この回路は?」
「それは――」
説明しようとしたリリアが、ふと顔を上げた。
近い。
思っていたよりずっと近くに、エーヴァルトの顔がある。
「……」
「……」
二人とも、一瞬黙った。
リリアの頬が赤くなる。
エーヴァルトも、わずかに目を逸らした。
「……研究を続けてくれ」
「は、はい」
ぎこちない沈黙。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
むしろ――。
「殿下が来ると……」
リリアが無意識に呟いた。
「ん?」
「……少し安心します」
言ってから、自分でも何を言ったのか理解した。
「……え?」
リリアの顔が一気に赤くなる。
「い、今のは……その……」
エーヴァルトは固まっていた。
「……安心する?」
「はい。あ、いえ……違う意味ではなくて!」
「どういう意味だ?」
「殿下が来ると、研究がちゃんと前に進んでいる気がして……その……」
苦しい言い訳だった。
けれど、エーヴァルトは笑わなかった。
しばらく彼女を見つめたあと、静かに口を開く。
「……そうか」
それだけだった。
だが、その声はいつもより少し低かった。
「なら、これからも来よう」
「……はい」
リリアの胸が、また大きく跳ねた。
エーヴァルトもまた、自分の胸に生まれた妙な熱を持て余していた。
信頼されるのは嬉しい。
必要とされるのも嬉しい。
けれど、それだけなのだろうか。
誕生日の夜から、彼女を見るたびに心が騒ぐ。
笑っていれば嬉しい。
困っていれば助けたくなる。
――これは、一体何なのだろう。
まだ二人には、その答えを口にする勇気がなかった。
ただ、夏の強い日差しの中で、二人の距離は少しずつ近づいていた。
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