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第16話 国を守る研究

 初夏。

 浄水魔導具の研究が一段落してからも、リリアの忙しさは変わらない。

 地方からは浄水設備の設置について問い合わせが届き、他部署からは魔導回路の計算を依頼されていた。


 その合間に取り組んでいるのが――。


「……やっぱり、ここは変えたほうがいいですね」


 机の上に広げた設計図を前に、リリアは鉛筆を走らせる。

 そこに描かれているのは、細長い水路と、その途中に設置される小さな魔導具だった。


 灌漑(かんがい)補助魔導具。

 以前、研究成果発表会で展示したものだ。

 水路を流れる水量を魔石から得られる魔力を利用して一定に保つ。


 当時はこれで完成だと思っていた。

 けれど、浄水研究を通じて水利設備について学んだことで、以前には見えなかった問題が見えてきた。


「農村によって、水路の形が違うから……」


 リリアは新しい図面を描き加える。

 魔導具そのものを小さくするだけでは駄目だ。

 既存の水路に取り付けやすく、流れる水量に合わせて消費する魔力も変えなければならない。


 「そして何より、できるだけ安く」


 ぽつりと呟いた。

 それが、リリアの研究における変わらない基準だった。


「またやってるな」


 声に顔を上げる。

 そこにはノアが立っていた。


「灌漑補助魔導具です」

「へぇ、どれどれ」


 ユリウスは興味津々で図面を覗き込む。


「浄水の次は灌漑か。水関係なら応用が効くな」

「研究成果発表会に展示したものなのですが、改善できそうなところがいくつか見つかったので」

「せっかくひと段落ついたんだし、一旦休んだっていいと思うんだが」

「そうでしょうか?」

「そうだよ」


 ユリウスは苦笑した。

 けれど、その目には呆れよりも好意的なものが浮かんでいる。


「まあ、君らしいけど」


 リリアは首を傾げながら、また設計図へ視線を戻した。

 その様子を見て、ユリウスは小さく笑った。


「本当に研究が好きなんだな」

「はい」


 迷いのない返事だった。


     ◇


 同じころ。


 王都では、別の動きが始まっていた。

 保存魔導具や浄水魔導具が地方へ送られ始めたことで、生活魔導具に対する関心が高まっている。

 そして、今後生活を支えるために研究されている様々な魔導具が期待されていた。

 だが、すべての人間が、それを歓迎しているわけではなかった。


「魔石を生活魔導具に回す必要があるのか?」


 王宮の会議室。

 複数の大臣や官僚、研究院の代表者が集まる中、一人の男がそう口にした。


「我が国を取り巻く情勢を考えれば、優先すべきは軍用魔導具でしょう」


 室内の空気が少し変わる。


 クラウゼル王国は、豊富な魔石鉱脈を持つ国だ。

 それは国の大きな財産であると同時に、周辺国から狙われる理由でもあった。

 特に隣国、ベルグラン帝国。

 近年、その軍備拡張は明らかに加速している。

 王国も対抗して軍備を増強していた。


 国を守るためには、力が必要。

 その考え自体を否定できる者はいない。


「今までだって、生活魔導具などなくても人々は暮らしてきたではありませんか」


 別の官僚も続けた。


「限られた魔石資源と研究予算を使うなら、軍事研究へ回すべきです」


 研究院の研究者たちにも、軍用研究を重視する者は多い。

 軍用魔導具は国家防衛に直結する。

 成果を上げれば国から高く評価され、研究予算も集まりやすい。

 対して生活魔導具は、目立たない。

 人々の生活を少し便利にするだけ。

 それを「国防より優先するべきだ」と主張するのは難しかった。


 そんな会議室へ、リリアも呼ばれていた。

 だが、彼女は発言を求められても、すぐには口を開かなかった。

 自分は研究者だ。

 軍事について判断する立場ではない。

 そもそも、戦争について深く語れるほどの知識もない。


「リリア・エーデル研究員」


 隣からエーヴァルトが静かに声をかけた。


「君の考えを聞きたい」


 リリアは少し考えた。

 そして、ゆっくりと口を開く。


「私は、軍事を否定するつもりはありません」


 会議室が静まる。


「国を守るために、軍用魔導具が必要なのも理解しています」


 そこまでは、反対派の研究者たちも黙って聞いていた。


「でも……」


 リリアは自分の手元にある資料へ目を落とす。

 そこには、浄水設備が導入された地域から届いた報告書があった。


 きれいな生活用水が確保できるようになった。

 農業用水が安定した。

 景観が良くなった。


 どれも、大きな戦果のようには見えない。


 けれど――。


「守る人たちの生活が豊かでなければ、国を守ったことにはならないと思います」


 静かな声だった。


「生活が苦しくなれば、国を支える人も減ります。生産する人も、採掘する人も、流通させる人も必要です」


 リリアは顔を上げた。


「私は、その人たちが少しでも暮らしやすくなる研究をしたいです」


 それ以上は言わなかった。

 政治的な正しさを語るつもりはない。

 軍事研究を批判するつもりもない。

 ただ、自分が研究者として何をしたいのか。

 それだけを伝えた。


 しばしの沈黙。

 やがて、エーヴァルトが口を開いた。


「エーデル研究員の意見は理解した」


 王子としての声だった。

 普段、研究室で彼女に向ける柔らかな声とは違う。


「私は軍事研究を軽視するつもりもない」


 エーヴァルトは会議に参加する全員を見渡した。


「ベルグラン帝国の軍備増強は事実だ。我々が防衛を怠れば、王国の民を危険にさらすことになる」


 誰も反論しない。


「だからこそ、軍用研究への予算は維持する」


 その言葉に、軍拡派の研究者が僅かに頷いた。

 だが、エーヴァルトは続ける。


「同時に、生活を支える研究も必要だ」

「殿下、それでは魔石が……」

「魔石の採掘量、研究予算、各分野の成果。それらをすべて確認した上で決定する」


 淡々とした言葉だった。


「軍用だから優先する。生活用だから削る。そのような単純な判断はしない」


 王子として、国全体を見る。

 それがエーヴァルトの立場だった。


「必要な研究には、必要な資源を配分する。それだけだ」


 会議室が静まった。

 リリアは隣に座るエーヴァルトを見つめる。

 研究のことになると、いつも自分を支えてくれる。

 けれど今は違う。

 自分の意見に肩入れしているのではない。

 国のために、公平に判断している。

 それが、少しだけ嬉しかった。


     ◇


 会議が終わったあと。

 廊下を歩きながら、リリアはエーヴァルトへ声をかけた。


「殿下」

「何だ?」

「先ほどは、ありがとうございました」

「礼を言われることではない」

「でも……私一人では、あの場で何を言えばいいのか分かりませんでした」

「君は研究者だ。政治家ではない」


 エーヴァルトは歩みを緩める。


「だから、研究で示せばいい」

「研究で……」

「ああ」


 その言葉がリリアには自信になった。


「では、私は研究を頑張ります」

「それでいい」


 エーヴァルトは微笑む。


「君が研究で国を変えるなら、私は政治でその研究を守る」

「……」


 リリアの胸が、小さく鳴った。

 けれど、その意味を考える前に。


「ところで」


 エーヴァルトが資料を抱えた彼女を見る。


「今日は何時まで研究するつもりだ?」

「……必要なところまで」

「それは何時だ?」

「分かりません」

「夕食は?」

「……研究が終わったら」


 エーヴァルトが黙った。


「リリア」

「はい」

「君は本当に、もう少し自分の生活を大切にしてくれ」

「善処します」

「以前もそう聞いた気がする」

「……そうでしたか?」

「そうだ」


 エーヴァルトはため息をついた。


 その顔は王子というより、すっかり彼女の世話を焼く人間のものだった。

 リリアはそんな横顔を見て、ほんの少しだけ笑う。


 初夏の王宮には、暖かな風が吹いていた。

 そして研究院では、次の研究が静かに始まろうとしている。

 生活と軍事の研究。

 その二つが、この先どのような形で交わるのか。

 まだ誰も知らない。


 ただ一つ確かなのは、リリアの研究が、もう一人の研究者の成果では済まないほど、王国そのものを動かし始めていることだった。

読んでいただきありがとうございます!


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今後ともよろしくお願いします。

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