第15話 水の行く先
研究室を水浸しにした失敗から、二か月近くが過ぎた。
その間、リリアの研究は失敗と改良の繰り返しだった。
濾過槽の構造を変えれば、水の流れが悪くなる。
魔導回路を調整すれば、今度は魔石の消費量が増える。
消費を抑えようとすれば、求める水質まで処理しきれない。
保存魔導具の研究で培った知識が、そのまま使えるほど簡単なものではなかった。
それでも、一人で悩む必要はない。
「この流量なら、こっちの濾過槽を広げたほうがいい」
「なるほど。では、魔導で処理へ入る前の水量を一定にする必要がありますね」
「そういうこと。ここの設計は任せてくれ」
ユリウスが設備側から意見を出し、ノアは実験結果を整理していく。
ミレーネも素材の調達や試験記録を手伝ってくれた。
さらに今回は、王宮からの正式な依頼だったことも大きい。
研究院の各部署からも、必要な資料や素材、人員が驚くほど早く集まった。
「ずいぶん協力的ですね」
リリアがそう呟くと、ミレーネが肩をすくめた。
「王宮からの依頼だもの。殿下のお役に立てるとなれば、張り切る人も多いわよ」
「やっぱり、そういうものなんでしょうか」
「もちろん、それだけじゃないけどね。あなたが保存魔導具を成功させた実績も大きいわ。あれだけの成果を出した研究者なら、手を貸して損はないって考える人もいるでしょうし」
「なるほど……」
「まあ、中には『王宮への印象を良くしておこう』って顔に書いてある人もいるけど」
「顔に書いてあるんですか?」
「読めるくらい分かりやすい人もいるわ」
ミレーネが笑う。
リリアもつられて笑った。
理由が何であれ、助けてもらえるのならありがたい。
そして何より、研究者たちがそれぞれの専門を持ち寄って一つのものを作り上げていくことが、リリアには嬉しかった。
魔導具だけでは、水の問題は解決できない。
水を運ぶ設備も、濾過する仕組みも、地域ごとの水源を調査する人間も必要になる。
だからこそ、今回の研究では「魔導具を作る」ということの意味そのものを、改めて考えさせられた。
◇
春も終わりに近づいた頃。
研究室の中央に、一台の魔導具が置かれていた。
以前の試作品とは、見た目からして違う。
水を濾過する設備そのものは別に設置されるため、これはその最後に接続する魔導処理装置だ。
用途に応じて処理内容を変更できるよう、魔導回路には複数の調整機構が組み込まれている。
農業用水なら必要以上の処理を行わず、生活用水ならより細かな調整を施す。
地域の水質や用途に合わせて、必要な分だけ魔力を使う。
そして、その設計を可能にしたのが、リリアの魔力変換効率に関する高い計算能力だった。
「……これなら、いけます」
測定結果を確認したリリアが呟く。
ノアが隣から数字を覗き込んだ。
「魔石の消費量も、想定よりかなり少ないな。これなら領主側の負担も抑えられそうだ」
「はい。家庭で使うには大きすぎますけど、村や町の設備としてなら十分実用になると思います」
「俺は施設のほうを担当したけど、ここまで消費量を抑えられるとは思わなかったよ」
ユリウスが感心したように笑う。
「これなら各地の水源に合わせて設備を設計できる。農村なら農業用水を中心にして、町なら生活用水を優先する、といった調整もできるだろう」
リリアは完成した魔導具を見つめた。
「人々の役に立てますね」
その言葉に、ノアが少し笑った。
「保存魔導具のときも同じこと言ってなかったか?」
「そうでしたか?」
「言ってたよ」
ユリウスも頷く。
「君は研究が完成したときより、その先で誰かが使えるって分かったときのほうが嬉しそうだ」
「……そうかもしれません」
リリアは照れたように笑った。
自分でも、それは分かっている。
魔導具は完成して終わりではない。
誰かの生活の中で使われて、初めて意味を持つ。
◇
「完成、おめでとう、リリア」
エーヴァルトが優しく声をかける。
「殿下」
「よくやったな」
その言葉だけで、胸の奥が温かくなる。
「ありがとうございます」
「今回は、随分と苦労したようだな」
「はい。でも、ユリウスさんやノアさん、ミレーネさん、それに研究院の皆さんが協力してくださったので、完成させることができました」
「それでも、計画の中核は君だ」
エーヴァルトは完成した装置へ目を向ける。
「正式に量産の準備へ入るよう、王宮から指示を出す。各領主にも順次、導入計画を立ててもらう」
「……本当ですか?」
「ああ。もちろん、明日からすべての村に設置できるわけではない。水源は地域によって違うし、濾過設備を含めた工事も必要になる。そこは各領主が中心になって進めることになるだろう」
「はい。それが一番いいと思います」
リリアは頷いた。
今回完成したのは、あくまで魔導処理を担う魔導具だ。
どこに、どのような施設を造るのかは、その土地の水源を知る人間が決めなければならない。
「その設置計画の中にはベルノア領も入っている」
「……!」
エーヴァルトの言葉に、リリアの顔がぱっと明るくなった。
「本当ですか?」
「当然だ。農業が盛んなうえ、魔石鉱山もある。水の確保は重要な問題だからな」
「よかった……」
故郷の景色が、ふと脳裏に浮かぶ。
幼い頃、祖母と一緒に領地の人々の話を聞いて回った日々。
畑のこと、家畜のこと、鉱山のこと、そこで暮らす人々の小さな困りごと。
祖母はいつも真剣に聞いていた。
自分も、そんな研究者になりたい。
そう思った原点だった。
「きっと父も喜びます」
リリアが嬉しそうに言った。
「そうだな。君の父上にも、今回の成果を伝えておこう」
「ありがとうございます」
エーヴァルトが微笑む。
その穏やかな表情を見て、リリアの胸がまた少しだけ高鳴った。
最近、自分は殿下の顔を見るだけで、なぜか嬉しくなる。
その理由を、まだ深く考えたことはなかった。
◇
数日後。
研究室に一通の手紙が届いた。
差出人は、ベルノア領領主。
リリアの父、エーデル男爵だった。
封を開くと、少し癖のある父の文字が並んでいる。
『リリアへ。
王都で忙しくしていると聞いている。
お前が開発した保存魔導具は、こちらでも商人たちの間で話題になっているそうだ。
今度は水の魔導具まで完成させたと聞き、父として誇らしく思う。
もちろん、ベルノア領でも導入が決まった。
農業にも鉱山にも水は欠かせない。
領民たちも、この知らせを大いに喜んでいる。
幼い頃のお前が、祖母と一緒に領民の話を聞いて回っていたことを覚えている。
あの頃のお前は、何でも知りたがる子だった。
まさか、その好奇心が本当に人の役に立つ日が来るとは思わなかった。
研究者への道へ送り出したことを、今では誇りに思っている。
身体だけは大切にしなさい。
母さんも心配している。
父より』
「……お父様」
読み終えたリリアは、手紙を胸元へ引き寄せた。
嬉しかった。
研究院で評価されることも、エーヴァルトに褒めてもらえることも嬉しい。
けれど、自分が育った場所の人たちの役に立てる。
その事実は、少し違う喜びを与えてくれた。
「……頑張ってきて、よかった」
窓の外では、春の終わりを告げる風が吹く。
研究者として、少しずつ前へ進んでいる。
けれど、このときのリリアはまだ知らなかった。
彼女の研究成果が広がるほど、王国の中で彼女を見る目もまた増えていくことを。
そしてその中には、彼女の研究を歓迎する者だけではなく、生活魔導具を快く思わない者たちもいることを。
この研究院のどこかで、次の思惑が動き始めていた。
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