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第14話 失敗は研究の友

 リリアたちは浄水魔導具の試作に取りかかった。


 ミレーネは素材開発部に戻って、従来のものよりも丈夫な部品を開発している。

 ユリウスが担当するのは、水をどのような順番で濾過するかという設備側の設計だった。

 大きな異物を取り除き、細かな濁りを沈殿させ、それでも残るものをさらに濾過する。

 その最後に、リリアが考案した魔導処理を組み込む。


「ここまでは問題なさそうですね」


 リリアが設計図を覗き込みながら言うと、ユリウスも満足そうに頷いた。


「ああ。少なくとも理屈の上ではな。問題は、実際に水を流したときにどうなるかだ」

「そこが一番楽しみです」

「君、本当に失敗を怖がらないよな」

「怖いですよ。失敗すると、また最初から考え直さないといけませんから」

「それ、笑顔で言う言葉じゃないだろ」


 ユリウスが笑う。

 リリアも小さく笑いながら、試作装置へ視線を戻した。


 研究とは、そういうものだ。

 計算が合っていても、実際に動かせば思いもよらない問題が見つかる。

 それなら、失敗すること自体は悪くない。

 むしろ早い段階で失敗したほうがいい。


 だからリリアは、迷わず試験を始めた。


「では、水を流します」

「一応、流量は少なめから――」

「はい」


 ユリウスの忠告に頷きながら、リリアは調整弁を開いた。

 最初は順調だった。

 濁った水が濾過槽を通り、少しずつ透明になっていく。


「……きれいになっています」

「いい感じだな」


 ユリウスが覗き込む。

 リリアは測定器の数値を確認した。

 水量、濾過速度、どれも予想した範囲に収まっている。


「魔導処理を開始します」


 魔力回路が淡く光った。

 次の瞬間だった。


「……あれ?」


 数値が跳ね上がった。


「リリア、止めろ!」

「はい!」


 慌てて調整弁へ手を伸ばす。

 けれど、一瞬遅かった。

 試作装置の奥から、甲高い音が響いた。


 キィィィン、と魔導回路が震えたかと思うと、次の瞬間――。


 ばしゃんっ!


「きゃっ!」


 圧力の逃げ場を失った水が、一気に噴き出した。


「うわっ!」


 ユリウスが飛び退く。

 けれどリリアは装置の前から動けなかった。

 停止させようと手を伸ばした瞬間、さらに大量の水が正面から降りかかる。


「……っ!」


 白い研究服が一瞬で濡れ、長い髪からも水滴がぽたぽたと落ち始めた。


「リリア!」


 ユリウスが駆け寄り、彼女の腕を引いて装置から離す。

 床には見る間に水が広がっていく。


「大丈夫か?」

「はい……たぶん」


 リリアは濡れた前髪を指で払いながら、試作装置を見つめた。


「でも、今の現象を記録しておかないと……」

「今はそれどころじゃない!」

「どうしてですか? かなり重要なデータが――」

「君なあ……!」


 ユリウスが頭を抱えた、そのとき。

 研究室の扉が勢いよく開いた。


「リリア!」


 勢いのある声に、リリアが顔を上げる。

 そこに立っていたのはエーヴァルトだった。

 いつもの落ち着いた表情は消えている。


「殿下……?」

「何があった」

「試作品が少し暴走しただけです」

「少し?」


 エーヴァルトは室内を見渡した。


 床は水浸し。

 机の上に置かれた資料も一部が濡れ、そして何より、ずぶ濡れになったリリアがそこに立っている。

 その顔が、見る間に険しくなった。


「ユリウス」

「わかった。説明する」

「頼む」


 エーヴァルトはそう言いながら、すでにリリアの前まで来ていた。


「怪我は?」

「ありません」

「本当に?」

「はい。少し濡れただけです」

「これが少しか?」


 エーヴァルトは、濡れた髪から肩へ落ちる水滴を見つめた。


「君は、自分が今どんな状態なのか分かっているのか?」

「……服が濡れています」

「それだけではない。身体が冷えているだろう」

「でも、試作品のほうが――」

「リリア」


 低い声だった。

 叱られている。

 そう気づいて、リリアは口を閉じた。


「なぜ君は、こうなるまで止まらない」

「……」

「研究が大切なのは知っている。失敗するなとも言わない。だが、自分の身体まで実験材料にする必要はないだろう」


 責める言葉なのに、その声には怒りよりも心配が滲んでいた。

 リリアは少しだけ目を伏せる。


「……すみません」

「謝ってほしいわけではない」


 エーヴァルトはそう言って、彼女の肩に自分の上着を掛けた。


「今は身体を温めることを優先しろ」

「でも、着替えが……」

「用意させる」

「え?」

「研究院の女性職員に頼んで、着替えを用意してもらう。浴室も使えるように手配する」

「そこまでしていただかなくても――」

「必要だ」


 即答だった。

 リリアが困ったように見上げると、エーヴァルトは少しだけ表情を和らげた。


「君は、自分のことになると必要なことまで後回しにするからな」

「……そんなことは」

「ある」


 あまりに迷いなく言われて、リリアは反論できなかった。

 その横でユリウスが、なんとも言えない顔で二人を眺めている。


「エーヴァルト、お前……昔からそんなに過保護だったか?」

「うるさい」

「いや、俺は別に悪いとは言ってないぞ。むしろ――」

「ユリウス」

「はいはい。黙っておくよ」


 ユリウスは笑いながら両手を上げた。

 やがて女性職員が着替えを持ってくると、エーヴァルトはリリアへそれを渡した。


「着替えてこい」

「はい……」

「それから今日は研究を終わりにする」


 リリアが目を丸くする。


「でも、原因を調べないと――」

「明日でもできる」

「ですが……」

「できるな?」


 穏やかな声だった。

 けれど、有無を言わせない強さがある。

 リリアは少し考えた末、観念したように頷いた。


「……分かりました」

「よし」


 エーヴァルトは満足そうに頷いた。

 その様子を見て、ユリウスがぼそりと呟く。


「院長より厳しいじゃないか」

「聞こえているぞ」

「聞こえるように言ったんだよ」


 リリアは思わず笑ってしまった。

 失敗してしまった。

 研究室も水浸しになった。

 けれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。


 むしろ、自分のことをここまで心配してくれる人がいることが、胸の奥を温かくしてくれる。

 その感情が何なのか。

 リリアは、まだわからなかった。


     ◇


 その日の夜。


 温かい食事を済ませたリリアは、研究室へ戻らず自室で休んでいた。

 机の上には、昼間の試験で使った記録が置かれている。

 原因は、おそらく魔導処理へ移行する際の圧力制御だ。

 明日になれば、もう一度試せる。


「……楽しみ」


 そう呟いたところで、扉が軽く叩かれた。


「はい?」

「私だ」


 エーヴァルトだった。


「殿下?」

「もう休んでいるか」

「はい。言われた通り今日は研究をしないようにしています」

「それならいい」


 扉越しに、ほっとしたような声が返ってくる。

 リリアは少し笑った。


「殿下」

「なんだ?」

「今日は、ありがとうございました」

「礼を言われるようなことではない」

「でも、嬉しかったです」


 その一言に、扉の向こうが静かになった。


「……そうか」


 しばらくして、低い声が返ってくる。


「それなら、よかった」


 それだけだった。


 けれど、その夜。

 自室へ戻ったエーヴァルトは、リリアの「嬉しかったです」という言葉を何度も思い出していた。

読んでいただきありがとうございます!


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