第13話 水をきれいにする魔導具
試料には農村の井戸水、王都へ流れ込む川の水、鉱山町の水源から採取された水などが並ぶ。
同じ「水」と呼ばれているものなのに、瓶を並べてみれば色も濁りもまるで違う。
リリアは一本の瓶を窓から差し込む光に透かし、眉を寄せた。
「鉱山町のものは、かなり濁っていますね」
「採掘場に近い水源ほど、その傾向が強いみたいだ」
隣で記録を取っていたノアが資料をめくる。
「ただ、農村のほうは少し厄介だな。見た目はきれいなのに、調査結果では飲用に向かない水もある」
ミレーネも別の瓶を覗き込みながら頷いた。
「透明だから安全、濁っているから危険……という単純な話じゃないのね。地域によって水に混ざるものが違うなら、全部同じ方法で処理するのは難しそう」
「はい。まず、水がどうして汚れているのかを知らないといけません」
リリアはそう言って、机の上に広げた報告書へ目を落とした。
その中には、鉱山町の水質悪化についてまとめられた記録もある。
「……特にここが気になります」
指先で示したのは、数十年前に閉山した鉱山の記録だった。
「この鉱山はもう使われていないのに、下流の村では最近になって水質が悪化しているんですね」
「排水路が残っているらしい」
ノアが古い地図を広げた。
「閉山したあとも、坑道や排水路を通って地下水が流れ続けている可能性がある。昔は採掘を終えれば、それで問題も終わりだと考えられていたんだろうな」
「でも、水は止まらない」
リリアは静かに呟いた。
「採掘をやめても、そこに残ったものが水に溶けて流れていけば、何年経っても下流へ届いてしまう……」
「そういうことだな」
ノアが頷く。
リリアはしばらく報告書を見つめていた。
王国が長い間見過ごしてきた問題。
それは、単に「汚れた水をきれいにする方法」がなかったことではない。
そもそも、どこで水が汚されているのかを十分に調べてこなかったのだ。
「浄水魔導具を作れば、それで終わりというわけではなさそうですね」
「汚染源まで追いかける必要がある、ってことか」
「はい。でもそれ以上は私たちの管轄外です。このことは別途で報告し、改善してもらいましょう」
リリアは瓶の中の水へ視線を戻した。
「今すぐ全部を解決することはできません。まずは、目の前の水を少しでも安全にする方法を考えたいです」
その言葉に、ノアとミレーネが頷いた。
「問題が見つかればその分野のエキスパートが担当する。それが俺たち研究者だな」
「ホントは一度に全部解決できればいいんですけど……」
真顔で答えたリリアに、ミレーネが吹き出した。
「もう、リリアったら。そういうところ、本当に面白いわ」
「一度に全部は、まあ、リリアならできるかもな!」
リリアは少しだけ首を傾げた。
けれど、すぐに水の試料へ意識を戻した。
今度の研究は、保存魔導具とは勝手が違う。
食品なら、保存したい状態を決めて、その状態を少ない魔力で維持すればいい。
けれど水は違う。
地域によって混ざっているものが異なるなら、必要な処理も変わる。
しかも、村全体へ供給する水を扱うとなれば、家庭用の魔導具とは比較にならない量を処理しなければならない。
ならばと、リリアは研究室の黒板へ向かった。
「まずは、魔力を使わなくてもできることを考えましょう」
「魔力を使わない?」
「はい」
リリアは黒板に簡単な図を描いた。
「水の中にある砂や泥、目に見える異物まで魔導回路で取り除く必要はありません。砂や細かな石、布などを使えば、ある程度は濾過できます」
ノアが頷く。
「昔からある濾過方法を使うわけか」
「そうです。事前にできる処理は、そちらに任せるんです。そのうえで、それだけでは取り除けないものにだけ魔導処理を使う」
「保存魔導具と同じ考え方ね」
ミレーネが言った。
「全部を魔力で解決するんじゃなくて、魔力を使う場所を絞る」
「はい。魔石から取り出せる魔力には限りがありますから」
リリアは黒板に数字を書き込んだ。
水量と必要な魔力量。
処理にかかる時間。
魔石一個から取り出せるエネルギー。
そして、その変換効率。
複雑な計算が続いていく。
リリアは数字を眺めると、少しずつ魔導回路の形を描き始めた。
魔石から取り出したエネルギーを無駄なく使う。
必要な処理にだけ、必要な量を流す。
それは、彼女が最も得意とする分野だった。
「……この構造なら、かなり抑えられるかもしれません」
リリアが呟いた、そのとき。
「その発想なら、魔導具部分だけじゃなくて、最初から施設として考えたほうがいい」
突然、背後から声がした。
振り返ると、見慣れない青年が研究室の入口に立っている。
明るい茶色の髪に、親しみやすい笑顔。
研究服の袖は無造作にまくられていて、机の上の設計図を見る目には、研究者というより現場の技術者らしい活気があった。
「失礼するよ、ここを手伝うように言われてね」
「えっと、あなたは?」
「初めまして。ユリウス・フェルナーだ。土木設備と治水関係を専門にしてる」
「土木関係の……あ、私はリリア・エーデルです」
「知ってるよ。新型保存魔導具を作った人だろ?」
ユリウスは楽しそうに笑った。
「最近、研究院じゃ君の名前をよく聞く。技術部なんて、君の作った魔導回路の研究をするって、ずいぶん楽しそうに話してるぞ」
「そんなに話題になっているんですか?」
「かなり。本人が一番知らないっていうのも面白いけどな」
リリアは困ったように笑った。
ミレーネとノアも自己紹介を済ませると、ユリウスは黒板の図へ視線を移す。
「で、こっちの話だ。この規模になると魔導具だけじゃなくて、水をどう流すか、どこで濾過するか、どうやって各家庭へ送るかまで考えないといけない」
「……そこは、私には経験がありません」
「だから俺が来た」
ユリウスは胸を張った。
「村の給水設備や水路なんかを研究してる。君が魔導回路を作って、俺が施設側を組み立てる。それなら、かなり現実的なものができると思う。鉱山の排水設備は初めてだが、なんとかなるだろ」
「ぜひ、お願いします」
リリアが頭を下げると、ユリウスは嬉しそうに笑った。
「話が早くて助かるよ」
そこへ、ノアが設計図を指差した。
「ユリウス、ここを見てくれ。リリアは水量に合わせて魔力消費を変えたいらしい」
「おお、なるほど。じゃあ村の規模に合わせて処理量も調整できるな」
四人で図面を囲みながら話し始める。
リリアはユリウスの意見を聞き、ノアが記録をまとめ、ミレーネが実験用の器具を準備する。
少しずつ、研究が形になっていく。
その光景を、研究室の入口から眺める人物がいた。
ミレーネがそのことに気がつく。
「殿下?」
そこに立っていたのは、エーヴァルトだった。
「様子を見に来た」
エーヴァルトの視線がユリウスへ向く。
「久しぶりだな、ユリウス」
「おお、エーヴァルトじゃないか! いや、今は殿下とお呼びしたほうがいいのか」
ユリウスは気軽に手を上げた。
「まさか、こんなところで会うとはな。学生のころ以来か?」
「ああ」
「相変わらず忙しそうだが、研究院にまで顔を出すなんて、よほど研究が好きなんだな」
「国益のためだ」
「はいはい」
ユリウスは笑いながらリリアを見る。
その視線に気づいたエーヴァルトの眉が、ほんのわずかに動いた。
「彼女の研究には、君の専門知識が必要になる。だから私から君に手伝うように連絡を入れた」
「なるほど。そりゃ任せてくれ」
ユリウスは即答した。
「よし、王子殿下の命令とあらば気合いを入れなきゃな!」
「ありがとうございます。とても助かります」
リリアが嬉しそうに微笑む。
エーヴァルトは、その顔をしばらく見つめていた。
「……そうか」
一言だけだが、声はどこか柔らかい。
ユリウスがそんなエーヴァルトを横目で見て、口元を緩めた。
「それにしても、殿下がわざわざ人選までするとはな。随分とリリアにご執心の――」
「ユリウス」
「はいはい。研究の話をしよう」
ユリウスは素直に引き下がった。
リリアだけが不思議そうに二人を見る。
「何かありましたか?」
「何でもない」
エーヴァルトは平然と答えた。
けれど、その直後にはリリアの手元へ視線を落とす。
「今日は昼食を取ったか?」
「はい。ミレーネと一緒に食べました」
「そうか」
それだけ確認すると、エーヴァルトは安心したように頷いた。
ユリウスが小さく笑う。
「なるほどなあ」
「何がだ?」
「いや。昔よりずいぶん分かりやすくなったなと思って」
「ユリウス」
「はい、研究の話をします」
また同じやり取りが繰り返され、今度はノアまで笑いを堪え始めた。
リリアだけが、やはり意味が分からない。
「……皆さん、今日は少し変ですね」
「君はそのままでいい」
エーヴァルトが静かに言った。
その言葉に、リリアは目を瞬かせる。
「はい?」
「何でもない」
エーヴァルトはそう言って、研究室を出ていった。
けれど扉が閉まる直前まで、その視線はリリアから離れなかった。
◇
夕方になる頃には、研究室の机いっぱいに新しい設計図が広がっていた。
浄水槽をいくつかに分け、最初の槽で大きな異物を沈殿させ、その後に複数の濾過層を通す。
そして最後に、魔導処理を行う。
「この形なら、村の規模に合わせて濾過槽の数を変えられる」
ユリウスが図面を指しながら言った。
「魔導回路も水量に合わせて調整できます。必要以上に魔力を使わないようにすれば、運用費も抑えられるはずです」
「いいな。これなら実際に村で試せそうだ」
リリアは頷いた。
「施設側は任せてくれればいい。まずは小さな村を想定して設計してみよう」
ユリウスが笑う。
リリアは頷き、魔導回路の計算へ目を戻した。
新しい研究が始まった。
食料を守るために生まれた保存魔導具に続いて、今度は人々が毎日使う水を守る。
『困っている人を助けられる道具を作る』
規模は大きくなったが、リリアの信念は変わらない。
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