第8話 小さな村の食卓
その日、リリアはいつもより早く研究室へ入った。
机の上には、昨夜遅くまでかかって仕上げた家庭用の保存魔導具の試作品が置かれている。
家庭用と輸送用。
同じ保存魔導具でも、用途が違えば必要とされる性能も、使う人が負担できる費用も違う。
一つですべてを解決しようとするのではなく、それぞれの暮らしに合わせて最適な形を作る。
それが、リリアがたどり着いた答えだった。
「……理屈の上では、これでいけるはず」
けれど、理屈だけでは魔導具は完成しない。
実際に食料を入れ、実際に運び、実際に使ってみなければ、本当に役に立つものなのかは分からない。
リリアがそう考えていると、研究室の扉が軽く叩かれた。
「リリア、準備はできた?」
「ノアさん。はい。ちょうど終わったところです」
入ってきたノアは、机の上に置かれた木箱へ目を向けた。
「それが実用試験用か。ずいぶん小さくしたな」
「家庭で使う場合を想定しています。魔石も小型のものに変更しました。これなら、今までよりかなり消費量を抑えられるはずです」
「なるほど。で、今日はこれを村で試すんだよな?」
「はい。研究院から紹介していただいた農村へ伺います」
そのとき、廊下からもう一人の声が聞こえた。
「リリア、準備は整ったか?」
聞き慣れた低い声に、リリアは振り返った。
「殿下?」
扉の向こうに立っていたのは、エーヴァルトだった。
今日は王子としての正装ではなく、簡素な外套を身につけている。
それでも、隠しきれないほどの気品がある……。
「私も同行する」
「……殿下が?」
リリアが目を丸くすると、ノアが小さく吹き出した。
「そりゃ驚くよな。王子殿下が農村の実用試験に同行なんて、普通は考えない」
「研究の実用性を確認する必要がある。それだけだ」
「あ~、はい。おっしゃる通りでございます」
ノアは肩をすくめた。
けれどリリアは、本当にそうなのだと思った。
「ありがとうございます。現地で何か問題が起きても、殿下がいらっしゃれば心強いです」
エーヴァルトは一瞬だけ黙った。
「……そう言ってもらえるなら、同行する甲斐がある」
エーヴァルトが若干言葉に詰まったように見えたが、リリアは深く考えなかった。
その直後、廊下の奥から別の足音が響いてくる。
「殿下、こちらの用意は整いました」
リヒャルトだった。
「馬車の御者は王宮騎士団から一名。護衛も三名を同行させます。これで問題ありません」
彼はエーヴァルトの護衛を担当する騎士たちを簡潔に告げる。
「リヒャルトさんは来ないのですか?」
リリアが尋ねると、彼は少し困ったように笑った。
「残念ながら、殿下が不在の間に片付けなければならない仕事が山ほどあります。私まで同行したら王宮の仕事が滞りますので」
「それは大変ですね……」
「ええ。誰かさんが研究院へ足繁く通われるものですから」
「リヒャルト」
エーヴァルトの声が低くなる。
「失礼しました。では、どうぞお気をつけて」
そう言いながらも、リヒャルトの目は明らかに呆れていた。
こうしてリリア、ノア、エーヴァルトの三人は、護衛の騎士を伴って研究院を出発した。
◇
王都を離れると、窓の外に広々とした畑が見えてくる。
春先というにはまだ肌寒い時期、畑の小麦はまだ青い。
そんな小麦畑を眺めているうちに、リリアはふと、幼いころの記憶を思い出した。
祖母に連れられ、領地の村を訪れたときのことだ。
当時のリリアは、領民たちの暮らしを詳しく考えたことなどなかった。
ただ、祖母の隣で彼らの話を聞いていた。
『今年は雨が少なくてね』
『腰が痛くて薪割りも一苦労だよ』
幼い自分には、“領民の声を直接聞く”ことがどういう意味なのか分からなかった。
けれど今なら分かる。
「……おばあさまは、こういう話を聞いていたんですね」
「ん、何を?」
向かいに座っていたノアが尋ねる。
リリアは思い出を話した。
するとノアは少し考えてから、頷いた。
「なるほどな。研究室に籠もってちゃ分からないことって、やっぱりあるんだな」
「はい。直接声を聞くことの大切さ。私も、今になってようやく実感しました」
リリアは膝の上の試作品へ目を落とす。
「自分が便利だと考える魔導具を作るだけでは意味がないんだと思います。実際に使う人が何に困っているのか知らなければ、本当に必要なものは作れません」
その向かいで、エーヴァルトは静かに彼女を見つめていた。
「君は、研究のことになると本当に熱心だな」
「そうでしょうか?」
「自覚がないのか」
ノアが笑う。
「リリアの場合、熱心というより、気づいたら周りが見えなくなってるんだよ」
「……そんなことはありません」
「昨日、夕食の時間を忘れてたのは?」
「……」
リリアが黙り込む。
エーヴァルトが小さく息を吐いた。
「やはり、私が同行して正解だったようだ」
「殿下まで……」
不満そうなリリアに、ノアが楽しそうに笑った。
「まあまあ。今日はちゃんと昼飯を食べような」
「はい」
「返事だけはいいんだよなあ」
◇
目的の村へ到着すると、村長をはじめ数人の村人が出迎えてくれた。
ところが、エーヴァルトが馬車から降りた瞬間、その場の空気が一変する。
「……え?」
「まさか……」
「殿下……?」
ざわめきが広がった。
村長が慌てて深々と頭を下げる。
「で、殿下がなぜ、このような村へ……? 先日の手紙には殿下のことは書いてなかったもので、なにも準備が……」
「今日は研究院の実用試験に同行で来た。余計な気遣いは不要だ」
エーヴァルトがそう言っても、村人たちの緊張はなかなか解けない。
そこでリリアが試作品を取り出した。
「今日は、この保存魔導具を実際に使っていただきたいんです。普段、どんな食料を、どのように保存しているのか教えていただけますか?」
すると、年配の女性がリリア相手ならと口を開いた。
「そうだねえ。牛乳なんかは、夏になるとすぐ傷んじまうよ」
と、話始めたところで村長が話を遮ってくる。
「こんなところで王子殿下を立たせておくわけにはいかないだろう。ささ、私の家のへどうぞ」
村長が急に遮ってきたことでリリアは思った。
(はっきり言って助けられた。エーヴァルト殿下のことを忘れて話を聞きこむところでした)
こうして、一行は村長の家へ招かれた。
◇
村の人数人とリリアたちでテーブルを囲むとさっそく質問をする。
「それで、先ほどの話なのですが、牛乳はどのくらい持ちますか?」
「暑い日だと一日もたないこともあるね」
「野菜はどうでしょう?」
「収穫が重なる時期は、売りに出すにしても王都ほどの距離ならともかく、遠い町に運ぶとなると痛んでしまう」
そこからは、堰切ったように話が続いた。
肉や魚の保存。
市場までの輸送。
収穫時期が重なることで生じる余剰。
魔石を買うための費用。
リリアは一つ一つの話を熱心に聞き、帳面へ書き込んでいく。
「なるほど……では、保存する食品によって適した温度も変わりますね」
「そうだねぇ。全部同じじゃ困る」
「魔石の交換はどのくらいの頻度なら出来るでしょうか?」
「毎日となると厳しいね。魔石は安くないから」
「分かりました」
リリアは真剣に頷く。
その様子を見ているうちに、村人たちの緊張も少しずつ解けていった。
「お嬢ちゃん、本当にこれを作ったのかい?」
「はい。まだ試作品ですけれど」
「じゃあ、今朝採れた牛乳で試してみるか?」
「ぜひお願いします!」
嬉しそうに笑ったリリアを見て、ノアも笑う。
「すっかり馴染んだな」
「研究室より生き生きしてるんじゃないか?」
ノアの隣でエーヴァルトが呟く。
「そうかもしれませんね」
村人と楽しそうに話すリリアを見ながら、ノアはふと横目でエーヴァルトを見た。
「殿下も、彼女があんな顔をするとは思わなかったでしょう?」
「……何の話だ」
「いえ、別に」
ノアはそれ以上言わなかった。
◇
「たいしたものはありませんが、よかったら皆さんで召し上がってください」
食卓に並んだのは、焼きたてのパンと野菜の煮込み、それに卵料理だった。
素朴な料理だったが、どれも温かく、採れたばかりの野菜の味が濃い。
「とても美味しいです」
リリアが心からそう言うと、料理を作った村長の奥さんが嬉しそうに笑った。
「そう言ってもらえると、作った甲斐があるよ」
エーヴァルトも席についた。
王子が村人と同じ卓を囲むことに、最初は皆が緊張していたが、リリアが普段通りに話しているうちに、次第に会話も自然になっていく。
「この卵は、今朝採れたものですか?」
「ああ。鶏が毎朝産んでくれるからね」
「では、卵も保存できれば便利かもしれません」
「そうだねえ。冬になると数が減るから、長く保存できれば助かるよ」
リリアはまた帳面を開きかけた。
すると、隣からエーヴァルトが静かに声をかける。
「食事中まで仕事をするのか?」
「あ……」
リリアは手を止めた。
ノアが笑いを堪える。
「殿下、ちゃんと見張っておいてくださいよ」
「分かっている」
「二人とも、私を子どもみたいに扱っていませんか?」
「そんなつもりはない」
エーヴァルトはそう言いながら、リリアの皿へさりげなく料理を取り分けた。
「まずは食べろ。話はそのあとでいい」
「……ありがとうございます」
リリアは少し照れながら、料理を口に運んだ。
その様子を見て、ノアが小さく笑う。
「殿下もリリアの扱いに慣れてきてません?」
「ノアさん」
「はいはい」
リリアが困ったように笑う。
エーヴァルトはそんな二人を見ながら、ほんの少しだけ口元に笑みを浮かべた。
◇
帰りの馬車の中。
リリアは今日聞いた話を整理していた。
保存したい食品。
必要な保存期間。
魔石を交換できる頻度。
家庭で置ける大きさ。
そして、輸送に必要な容量。
研究室で考えていた以上に、条件は多かった。
けれど、不思議と頭の中は以前より整理されている。
「分かりました」
リリアが突然呟く。
「何が?」
ノアが尋ねる。
「そうです。一つの魔導具で全部を賄おうとする必要はないんです」
リリアは膝の上の帳面を開いた。
「家庭で使うなら、小さくて魔石の消費が少ないもの。輸送するなら容量を大きくして、それでも消費量が増えすぎない仕組みにする。今まではこの考えで開発を進めてきた」
「うん、そうだな」
ノアは真剣に話を聞き、相づちを打つ。
「それに加えて、なにを保存するのか、それぞれの用途に合わせて、魔導回路そのものを切り替えられるようにすればいい」
「なるほど。確かに肉、魚、タマゴ、野菜、牛乳……保存するものや時間によって調節できれば使い勝手も向上するな!」
「はい。今日、皆さんの話を聞いて、それが一番現実的だと思いました」
向かいに座るエーヴァルトも頷いた。
「戻ったらさっそくそれぞれの魔導回路を設計を……」
「無理はするなよ」
「……はい」
逸る(はやる)気持ちを抑えられないリリアに、エーヴァルトは苦笑した。
「でも、今日は村の皆さんと話せてよかったです。研究室にいるだけでは、きっと分からなかったことがたくさんありました」
夕暮れの光が、馬車の窓から差し込んでくる。
リリアはその光の中で、今日出会った人々の顔を思い浮かべていた。
この人たちが無理なく使えるものを作りたい。
その思いが、以前よりはっきりと形になっている。
「……明日、きっと作れます。もっと、いい保存魔導具を」
リリアは帳面を胸に抱き、静かに笑った。
「楽しみにしている」
その言葉を聞いたエーヴァルトは、満足そうに目を細めた。
◇
王都へ戻ったその夜。
リリアは食事を終えると、すぐに研究室へ向かった。
今日聞いた村人たちの言葉を一つずつ思い出しながら、白紙の設計図へ新しい魔導回路を描いていく。
何度も書き直し、不要な回路を削り、魔石から流れる魔力の経路を組み替える。
やがて、理想の形が完成した。
「……これなら」
リリアは小さく息を呑んだ。
魔石からの魔力を引き出すときの変換効率の最適化。
冷却する出力を変える。
これまでとは違う。
今度こそ、本当に使う人のための魔導具になれるかもしれない。
窓の外では、王都の夜が静かに更けていく。
リリアは新しい設計図を見つめながら、もう一度だけ微笑んだ。
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