PART10
ちょっとマズいかな――ベイクとレゲイルの戦いを観戦するゴルドンは前髪をいじりながらついと零す。
どうやら彼はレゲイルが行使する魔術の類への関心が高まっているようであり、言葉とは裏腹に口角は持ち上がっていた。
「異界の魔術、呪術とかいったかな。中々に面白いな」
続けてゴルドンがそう言葉にすると、暴れるレアを鎖による緊縛の強弱でいなすエルフの女が頷き言う。
「遺志とでも呼ぶのでしょうか、死に深い結び付きを感じます。それでいて邪術のような冷たさを感じない」
「頼むよぉ、ベイクくん……」
「んぐーっ! んぅぅぐぅぅぅ〜っ!!」
冷静な二人とは対象的な、ベイクの危機に熱くなっているレアの呻き声だけがのたうつ。彼女の牙がぎりぎりと咥えさせられた綱に食い込むが、千切れたりはしない。
悔しさが彼女の胸を突き破らん勢いで湧き上がる。噛みしめた牙が軋み、細めた両目の奥の七色の瞳が潤む。
鎖の作用で魔術を封じられている彼女はただの子どもで、限りなく無力だった。
必死に応戦すれども力を増したレゲイルの猛攻の嵐に飲み込まれ、その小さな体を何度も宙に舞わせて地面に叩き付けられるベイクの姿は痛々しく、その姿がレアの胸を突き刺し彼女に名状し難いほどの苦痛を与えていた。
その痛みを和らげ、誤魔化すために彼女が精一杯の強がりである呻き声を上げようとして、突然魔術の青い光が辺りを覆った。
驚いて顔を上げたレアの目には幾何学的な紋様が描かれた魔術障壁が映り、そのさらに向こう側、別の建物の屋上に煙を上げる長銃を構えたガウスの姿も捉える。
ガウスの放った弾丸を、エルフの女が作り出した障壁が弾いたのだ。レアの強張っていた表情が綻びを見せた。
「おぉいおい、良~いところなのに……」
溜め息を吐いたゴルドンが立ち上がろうとして、すると彼の背後で煌めくものがあった。直後、鋭い音が響き、火花が散る。
ゴルドンはおもむろに振り返り言った。
「静かに見届ける気は無いと?」
不敵な笑みを浮かべ告げるゴルドンの前に影は二つ。一つは濃紺の首無し鎧で、それはゴルドンが戦いのときに纏う“鎧殻”と呼ばれる兵器の自律稼動状態。
そしてもう一つは剥き身の刃金を携えた男――
「ふぉっふっ!!」
レアがロックの名を呻き、ついに堪えていた雫が右目の端からこぼれ落ちた。
ロックの鋭い一閃はしかし鎧殻の強固な両腕で防がれてしまいゴルドンには届かなかったが、エルフの女はガウスとロックの両方に対応するべく、レアを足蹴にすると先端と石突きにそれぞれ刃を備えた杖を虚空より引っ張り出して両手に構えた。
「もちろん。彼は僕の……」
ゴルドンの問い掛けに出だしこそすぐであったロックの返答は、しかしその途中で止まってしまう。邪魔をされたわけではない。ロック自らが口を閉ざしたのだ。
太刀を弾き、鎧殻が鎌のように薙いだ右腕を後転して躱したロック。彼が次いでエルフの女の方を向くと、彼女の放った青い光の矢が狙っていた。
それを防がんとロックは太刀を構えるが、飛来した弾丸が光の矢を打ち抜き、砕く。ガウスの射撃である。
しかし何故、注意がこちらに向いた隙にエルフの女を狙わなかったのかと、ガウスに対してロックの脳裏に疑問が過る。
なんならば離れた場所にいるガウスにはゴルドンを狙うこともできたはずだと。
「――そうあせるな」
ロックが意識を敵へと戻す。晴れた彼の視界で、鎧殻を纏ったゴルドンが静かにそう告げて、太刀を構え直したロックへとさらに続ける。
「信じてやれよ、仲間じゃないのか? 友達じゃないのかよ?」
彼の言葉にロックの思考が一瞬確かに止まった。否、蘇った。
その隙を突くようにしてロックの足元から無数の鎖が生じ、彼の五体を縛り付けた。事態に気付いたロックが体を動かそうとしても魔力で作られているその青い鎖が彼を足場へと縛り付けて動くことを許さない。
唯一動かせる目を使い彼が見てみると、エルフの女が地面に向けた手から鎖を放っていた。
それから次にロックはガウスを見る。彼の長銃なら鎖自体は無理でもそれを操るエルフの女を攻撃出来る。だがガウスの長銃の銃口はロックの方を向いており、放たれた弾丸は彼を縛る鎖に命中して弾かれてしまった。
そうしている合間にもゴルドンが射線上に割り込んでエルフの女を庇う。これでレアを解放しベイクへと協力する作戦は破綻した。ロックが強く歯噛みして、奥歯が軋んだ。
結局何の力にもなれなかったことをロックは悔いて、すまない、ごめんと何度もベイクへの謝罪を念じ続けるのだった。
そしてそれはガウスもまた然り――
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大したツレだな――レゲイルが歯から生え替わった牙を覗かせて笑みとともに告げる。
すでに満身創痍を通り越し、命の灯火が揺らごうとしているベイクの血濡れの顔は反応を返さない。顔だけではない。腕や肋骨を叩き折られ、痣だらけとなった体もだ。
勝負は決した。誰が見てもそれは間違いない。
けれどレゲイルが彼にとどめを刺さないのは、ひとえにに彼にはなんの恨みも無いからだ。そして彼が子どもだからだ。
「ヤツらは殺す」
そして応援に駆け付けたガウスとロックはレゲイルの“家族”を奪った仇である。ベイクが殺されない要因の一つでもある。
二人の仇を討ち、騙したゴルドンへ報復したのち“魔竜”を土産に“帝国”へと鞍替えをし、そして自らを見捨てた“竜宮”を我が物とするためレゲイルはベイクに背を向ける。
ベイクはそれを止めることができない。呼吸すらも満足に行えないのだ、口を利くことなどできなかった。
ちくしょう――ベイクが胸の内で唸った。
自分がこれまでなにかを守れただろうか? そんな疑問が脳裏に過る。そしてすぐに答えも出てくる。なにも守れていないと。
村の“家族”も、そしてレアも、きっとガウスもジョウも。
――そして“夢”も。
イヤだっ。イヤだイヤダイヤだっ!!
皆も取り戻す。レアも、ガウスもジョウも守る。“夢”も。
ベイクの想いがそれだけになる。
その想いだけが彼の内側を、体中の血管を駆け抜けて、逆走して、そしてやがて心臓へと集まる。
確かに脈打っていたベイクの心臓がその想いを取り込み、爆発するように跳ねた。何度も、何度も何度も。
「ごっ……オッ……っ」
まず咳き込むような声がベイクの口から上がる。一緒に舞い上がった血飛沫は高温なのか湯気を放っていた。
「ゴォ……あ……ォォオっ」
今度は確かな声が上がった。混じるのは血飛沫ではなく火の粉だ。そして黒煙。
その声にレゲイルが足を止める。まさか――
「……ゴォ、ッァァァオ!」
まさか――雄叫びが上がり、レゲイルはついにベイクへと振り返った。その顔は驚愕に歪んでおり、そしてさらに目にした光景にその顔は歪んでゆく。
なにせ、指一本として動かすことができないはずのベイクが立ち上がっていたのだ。
バカな、こんなことありえない。レゲイルはベイクに生じているであろう“異常”に警戒して臨戦態勢に移る。
二度と、なにかの間違いでも立ち上がったり戦いを続けられないようにベイクの手足の骨を彼は折っていた。
だというのにベイクはレゲイルの前に、自らの足でしっかと地面に立っているではないか。
なにかからくりがあるのか、懸念に警戒するレゲイルと、そして雄叫びから唸り声にその声を変えてゆくベイク。
ベイクの体から放たれる橙色の光は強さを増し、手足の竜鱗からは止めどなく火炎が噴き上がっていた。
彼から放たれる熱気が全方位に広がってゆき、対峙するレゲイルの肌を刺激し、そして上方で膠着状態にあるガウスたちも異変に気付いた。
ベイク……――レアが胸中で念じる。
そして、そしてベイクの金色の双眸がレゲイルを捉えた。
その刹那、レゲイルは肉体に疼きを覚え、頭痛が生じた。
なんだと疑問に感じたのは一瞬で、すぐにそれが降霊させたゼンとジョウからもたらされた“虫の知らせ”だと気付く。
レゲイルはベイクに向け、地面が吹き飛ぶほどの脚力を以て駆け出す。しかしそれも少しだけ遅かった。
――ベイクが咆哮る。
「ゴォギャァァォォオォオオオーーッ!!」
その咆哮に、それを耳にした者たちすべてが戦慄し、体を凍てつかせる。この戦場にいるものも、区画にいるものも、なんならばこの都にいるものすべてが。レゲイルでさえ。
そしてベイクが全身より放った火炎を伴う熱波が、迫るレゲイルを含め、ガウスもジョウもゴルドンも、エルフの女も、さらにはレアすら瞬く間に飲み込んで、広がって……
クラリス・ボトムの半分以上がその夜、突如として生じた火球により灰燼に帰した。夜が突如夕焼けの色に染め上げられ、年中通して静寂を知らないクラリスがその瞬間だけは、しんと静まり返ったのだった。




