PART1
人のものではない。獣のものではない。
ではなんだ? あの声はなんだ?
悪寒が走り、総毛立つような悍ましい“鳴き声”。
体が震え、意識が揺らぐようなそんな“鳴き声”。
鳴き声を聞くものたちの脳裏に突如過るのだ。その声の正体。
見たことなどないはずなのに、それでも鮮明に浮かび上がる。
山のように巨大な体をして、その巨体を空へと運ぶ広大な翼を持ち、そして長い首の先に強大な顎と牙を供え、王冠のように壮大な角を頂いた生物の姿が。
――一体何だ、どうなっている。突如さく裂した業火を前に、ゴルドンは確かに動揺していた。悪寒、そして震え。
まるで病気のように肉体を苛むものに。
「シェリファ」
「はっ」
ゴルドンの一言でエルフの女はロックの拘束を解き、ゴルドンの前へと躍り出ると杖を突き立て、それに手をかざす。
きしろう猛々しき英霊、奮う無双の矛盾。かそけきその御姿、誇りし頑壁で魅せ給う――
エルフの女……シェリファが胸中にてそう唱えると、杖から溢れ出た魔力が青く朧気な岸壁を築き、押し寄せた火炎の波を払い除けてゆく。
しかし火炎も負けじと魔力の岸壁へと喰らい付き、その荒々しい表層を焼いて削り始める。術者であるシェリファにも負担が生じているのか、かざしている右手には血管が腕にまで浮き立っていた。
「魔力を焼く、か……」
シェリファの背後で前髪をいじるゴルドンが呟いた。
それとほぼ同時に、拘束を解かれ自由となったロックがゴルドンの傍らに転がっていたレアを脇に抱え、すぐさま離脱。
シェリファは一応、尻目を向けて気にする素振りを見せるが、ゴルドンはまるで無関心であった。ロックが叫ぶ。
「ガァァーウスっ!!」
その叫びの直後にガウスが二人の前に降り立ち、長剣の柄尻同士を連結し作り出した杖を足元に突き立てる。そして左手をかざすと、虚空に生じたのは円形の盾を構えた巨大な左腕。
しかしその盾も火炎に圧され、徐々に侵食されようとしていた。
「ロック! ちょっと、手ぇ貸してくれっ」
「ああっ、氷翼……!」
ガウスの要請に応え、レアを抱えたままロックが太刀を振るう。生じた冷気はガウスの魔力の盾に纏わりつき、侵食された部分を補い、強化。盾をさらに巨大で強固なものにする。
しかしそれもすぐに火炎に焼かれ始めた。
「この火、普通じゃない!」
「ああ、でも知ってんだ。こりゃ竜の火だぜ。魔力を含めてなんでもかんでも燃やし尽くしちまうヤベェやつだ!」
竜の火。ガウスの言葉にレアははっと気づく。あの“鳴き声”はベイクのものだと。そしてこの火炎もきっと彼のものだと。
そうしてレアがロックの脇の中で呻き始めるが、しかし火炎との戦いに必死になっているガウスは一瞥もせず、余裕のない調子で「もうちょっとだけ待っててくれな、レア。あっちぃんだこれ、マジでよお!」と返すばかり。
ロックに目を向けども彼もガウスと一緒で、レアの話を聞く余裕などなかった。
護りの中でも肌を焦がす灼熱のなか、しかし何処か懐かしくも感じるそのおかしな感覚の中で、レアは目をぎゅっとつむり、鳴き声に想起された映像を必死に思い返しながらベイクのことを想う。無事でいてくれと。
1
――ありえない。竜などとうに絶滅している。レゲイルは業火の只中で想起された姿を否定した。しかし彼の肉体から怖気は無くならず、全身は小刻みに震え続けていた。
彼が突き出した両手では鬼面の手甲が変形し、口のようになって押し寄せる火炎を喰らい続けている。そうしながらレゲイルは一歩、また一歩と着実に爆心地へと向かい前進。声の、ベイクの正体を知らんとする。
「ぐっ……ぉぉおっ! ゼンっ、ゼェェェンっ!!」
だがその途中で、右腕の手甲が融解し、砕け散った。守りを失くしたレゲイルの右腕が瞬く間に焼き尽くされて焼失するが、彼の慟哭は自らの右腕に向けたものではなく、宿っていたゼンの遺志の消滅に向けられたもの。
残るは左腕。そこに宿ったジョウの遺志のみ。
しかし二人の遺志の力でも抗いきれなかった火炎である。ジョウの力のみで太刀打ち出来るようなものではない。
左腕の手甲もすぐに融解が始まった。
「く、そ……っ! くそっ、くそっくそっくそおっ!! ふざけんなっ、ふざけんなぁぁあっ! なんでこんなとこで終わらなきゃならねえ!? こんな、こんなっ!! 肥溜めからようやく這い出たんだ! これからだったんだ! オレたちゃあこれからっ、オレたちを見下してきた奴らを踏みつけてやるんだよぉぉおっ!!」
手甲が砕け散る。レゲイルの左腕は指先から灼熱に飲み込まれ皮膚が焼き切れ、肉が燃え、骨が崩れ去ってゆく。
無念の叫びすらも業火は焼いて、口腔からレゲイルの体内へと入り込み燃やした。
それでも彼の歩みは止まらない。
燃えだした体で、崩れてゆく体で、灼熱の光の中を赤鬼が進む。まるで地獄の如き光景がそこにはあった。
やがて火炎の中、レゲイルが進む先に一つの人影が現れる。
手足があって人のようだが、腰からは尻尾のようなものが伸びていて、頭には鬼のものとはことなる角があった。
炎に照らされて真っ黒な影でしか見えないそれであるが、真っ黒な中に二つだけ、金色の輝きがあった。
レゲイルはそれに向け、炎が噴き出す口を開き、牙を曝した。
殺してやる――そう呪いながら、異形の人影へと喰らいつこうとして、レゲイルの頭部が弾け飛んだ。
限界を迎えた彼の体は次々に燃え尽きてゆく。
――火球の爆発は、数えてみればたったの数秒の出来事であった。




