第20話 外へ
出発予定日の朝は、いつもと変わらぬ朝だった。
朝食をミナと一緒に食べて、着替えを済ませて玄関のドアノブを掴む。
暮らしてきた部屋を改めて見てみよう。
そう思って、振り返る。
初めてこの部屋に来た時のことは今でも覚えている。
一人でここで生きていくとばかり思っていたのに、まさかこうして出ていく日がこようとは。
後のことはデルタが処理してくれる。
「行ってきます」
外で待っているミナを待たせないように、部屋に向かってそう告げて外へ出た。
一歩踏み出せば、二度と戻ることはない。
儀式に使用される専用の出口へと移動する。
出発のことはすでにシェルター内に告知されていたが、誰もいなかった。
儀式のときはシェルター全員で送り出すのだが、それに比べるとあまりにも寂しい門出だ。
薄情……とはきっと違うのだろう。
彼らにとってミナは最初から受け入れてはいない。だから送り出すことはない。
それについていく俺も理解できないんだ。
ここは、まさに楽園と呼ぶにふさわしい場所だと思う。
それを自らの意思で出ていくのはきっと俺が初めてだろう。
出口はエレベーターとなっており、デルタが遠隔操作して物資をすべて運び込んでくれた。
ミナがエレベーターに乗り込み、俺も行こうと足を踏み出す。
「おい、カイト!」
そこへ走ってきたカワハタ先輩の姿があった。
「先輩」
「たく。本当に出ていくとは思わなかった。前からお前はちょっと変わったところがあったけど」
「仕事を増やしてすんません」
「別にいいよ。俺こそついていけなくて悪いな」
「奥さん置いて行けないでしょ。一緒なんて尚更っすよ。見送りに来てくれただけ嬉しいです」
「……ほら、お前これ好きだっただろ。彼女の分も」
ジュースを二つ渡された。
「餞別がこんなので悪いな。頑張ってこいよ」
「ありがたく頂きます。一足先に外の景色を見てきますよ」
先輩と握手して別れた。
エレベーターが起動し、上昇を始める。
先輩は見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。
一人でも誰かが見送ってくれるのは結構嬉しいもんなんだな。
儀式で外へ送られる人の気持ちも同じようなものだったんだろうか。
「はい、ハンカチ」
「ありがとう。ほら、これ。甘くて美味いぞ」
「ありがと」
ハンカチで涙を拭く。
久しぶりに飲んだジュースは少しぬるかったけど、やっぱり甘かった。
エレベーターが止まる。
外までもうあと少しだ。
嫌でも緊張してくる。
大きな音を立ててエレベーターの扉が開く。
ここから先は外へ出るための準備室だ。
ミナはまっすぐ前を見ながら口を開く。
「まだ君だけならシェルターに戻れるよ」
「一緒に行くって言っただろ。それに、もうあの退屈な毎日には戻れないよ」
一度退屈だと自覚してしまえば、きっともう耐えられない。
仮に戻ったとしても、いずれ一人で外に出るだろう。
「そっか」
少し嬉しそうにミナは笑った。
準備室で外に出るための用意をする。
外気導入室と同じように消毒した後、まるで宇宙服のような装備を身に着ける。
そこへ一台の運搬ロボットがこっちに来た。
持っている台には二つの瓶が置かれている。
<シェルターの外へ出る人に抗ウィルス薬を提供しております。汚染されてから必ず一日一錠服用してください>
「そんなのがあるのか……」
防毒スーツを着ようとも、食事や水分補給の際には外さなくてはならない。
そもそも外に出た時点でそれらのパッケージはウィルスに汚染されてしまう。
シェルターの中のようにウィルスを0にすることはできない。
<あくまでこれは症状を抑えることしかできません。服用を止めた時点でウィルスは進行を開始します>
「必ず人間を殺すウィルス、か」
数十億の人を亡き者にした、人類が遭遇した最も強いウィルス。
感染したらなぜか人間にのみ作用する毒を体内で精製し、ゆっくりと命を奪う。
免疫でも抑制できず、完治することはない。
「ミナは飲んだのか?」
「寝る前に飲んでたよ。ただラボラトリーシェルターにあった薬はもうないから、私もカイト君と同じ。これが無くなったら終わり」
「そうか」
「怖くなった?」
「いや……なんでだろうな。そんなに怖くない」
赤い錠剤の入った瓶をバッグに押し込む。
命綱だ。失くさないようにしないと。
薬は一つの瓶に100錠ほど入っているようだ。
<汚染後も外にいる限り極力スーツを身に着けて下さい。過度なウィルスの暴露は症状の進行を招きます>
「分かった」
地上に出れば、そこはもう守られた世界ではなくなる。
危険でしかないのに、なぜか緊張するほどワクワクした。
<物資は外へ搬出しました>
「ありがとう。俺たちももう行くよ」
<……ミナと少し話があります。先に外へ出て下さい>
「なんだ? 俺も聞いちゃダメなのか?」
<肯定します>
「なんだろう?」
デルタがミナの用事があるというので、一人で先に進む。
ミナも検討がつかないようだった。
「すぐ追いかけるから」
「ああ。俺は先に外に出てるよ」
スーツは相変わらず少し歩きにくいが、しばらくすれば慣れるだろう。
二度目の消毒室を抜け、通路を一人で歩く。
赤いランプが周囲を照らしながら回転する場所に出る。
……奥にある扉のスイッチを押すと、ゆっくりと扉が開きはじめた。
何重にも層になっているようで、手前から開いていく。
<10秒後に自動で扉が閉まります>
電子音が聞こえたので、閉まる前に外に出る。
地上。そう、地上に俺は出た。
勝手に荒れ果てた茶色い風景を想像していたが、実際の地上は全く違う。
視界一面緑に覆われた風景が目の前に広がっていた。
空を見上げると、偽物ではない本物の青空がある。
ウィルスが本当にあるのかと疑うほどに綺麗な空だ。
その光景に俺はしばらく動けないでいた。
シェルターにいた時には感じられなかった解放感とでもいうべき何かが心を埋め尽くす。




