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「〝野良犬〟を手懐けたそうだね、ベアトリス」
「あら、お久しぶりですのに、お父様ったらお耳の早いこと」
「そうだね。アドラーほどではないがね」
「まぁ」
朝食の時間。久しぶりにお父様と顔を合わせた。
「〝あれ〟は野犬だ。お前の飼い犬には向かないと思ってたがね」
「お父様は、元々はわたくしの犬にするために、引き合わせたのではなくって?わたくし、やっとお父様の意を汲むことができましたのに、ひどいわ」
よよよ、と泣き真似をするとお父様はわずかに口角を上げた。わぁ、悪役の笑みだわ。
思えば幼いベアトリスは彼が何になるのか察していたからこそ、野良犬と言って自身から遠ざけたのかもしれない。
「つきましては、お父様。わたくしにも使用人の裁量権を与えて頂きたいですわ」
「ベアトリス。何かをおねだりする時は相応の対価があるものだと思うがね?」
うふふ、ははは、と笑い合う親子。優雅な会食だわ。
そしてお父様が出した条件は、王家との婚約。つまりお兄様との結婚。こ、これがゲームの強制力だというの?
「ーー冗談じゃないわ!」
「お嬢様、如何なさいましたか?」
「王家と縁を結ぶにしても今さらお兄様との結婚なんて我が家になんのメリットが?お父様の考えがまっったくわからないわ」
いつもの森の中。ネロの小屋の前。ぎゅうっとバスカヴィルを抱き締めて、私は打ち震えていた。憤懣遣る方無いとはまさにこのこと。
「お嬢様、ご婚約されるのですか?あの、いつもお出かけなさってる〝お兄様〟と」
ネロの声は、いつもよりほんの少しだけ低かった。私はぎゅっとバスカヴィルを抱きしめたまま、顔を上げる。
「……しないわ」
自分でも驚くくらい、即答だった。迷いなんて、なかった。
「本当に?いつもとても楽しんでお出掛けしていらっしゃるように見受けられましたが」
「わたくし、誰かに決められた未来なんて御免なの」
ネロの視線が、まっすぐにこちらを射抜く。いつの間にか彼がすぐ近くにいた。
「でも、お嬢様はモリアーティ家の人間です。自由などないのでは?」
「ええ、そうよ」
ふっと笑う。
「でも、家の“駒”として終わるなんて、わたくしは絶対に嫌」
沈黙。風が、木々を揺らす。
ネロはしばらく何も言わなかった。けれどその目は、私から逸らされなかった。
「……できるんですか」
ぽつりと。
「その生き方」
「やるの」
私は言い切った。
「できるかどうかじゃないわ。やるか、やらないかよ」
前世では、流されるままに生きた。
誰かに決められた場所で、誰かの期待に合わせて、ただ消費されるみたいに。でも、今は違う。
「悔いのない一生にするって、決めたの」
ネロの瞳が、わずかに揺れる。
「……そのために、何を犠牲にするつもりですか」
鋭い問い。けれど私は、少しだけ考えてから——首を振った。
「違うわ」
一歩、近づく。バスカヴィルが小さく鳴く。
「わたくしは選んだのーー貴方も含めてね」
ネロの呼吸が、一瞬止まった。
「俺なんかに過分な期待をお寄せになってるんですね」
静かな声だった。
その先は言わなかった。でも分かる。血に染まる未来。誰かを踏み台にする生き方。きっとこのままなんの努力をしなければそうなってしまう。
私は、少しだけ目を伏せてから——また笑った。
「壊すしかないじゃない」
「……は?」
「家も、運命も、全部」
さらりと言ってのける。
「だって、わたくしとっても我儘なんですもの」
ふふん、と顎を逸らす。
ネロは、完全に言葉を失っていた。数秒。数十秒。やがて——
「……本当に」
彼は小さく息を吐く。
「面白い人ですね、お嬢様は」
(これが、わたくしの選んだ人生)
悪役令嬢、ベアトリス・モリアーティ。この物語の結末を——書き換えてみせるわ。




