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さて前世の記憶を取り戻して一週間。今日も今日とて私はベアトリス・モリアーティだった。どういうことかって?
「わたくしってば今日も完璧超絶美少女ーー…」
「お嬢様。アドラー様がお迎えにいらっしゃいましたよ」
「は!」
鏡の前で世迷言を言ってるところをばっちりジェームズに見られてしまったわ。かかかかと赤くなる主人を尻目に、ジェームズは慣れたもの、私をばっちり本日のエスコート相手の場所に連れて行ってくれた。
「やぁ、久しぶりだね。ベアトリス」
「お久しぶりで御座います。アドラーお兄様」
二人っきりの馬車の中。月に一回、私はこうして兄との逢瀬を楽しんでいた。
とは言っても本当の兄妹ではない。アドラーお兄様は、従兄弟でこの国の王太子だ。何故か我が家に住んでいた時期もあり、私たちの距離は本当の兄弟のように近い。
もちろん主要な攻略キャラクターの一人で、彼は将来的に私の婚約者になる。
(多分、婚約者になるのってこの頃よね)
正直、王家とモリアーティ家の婚約に旨みは少ない。我が家は既に大きすぎる権力を有しているからだ。どうして彼と婚約することになったかと言うとーー、
「ベアトリス。近頃は心を入れ替えて野良犬の世話を良くしてるって聞いてるよ」
「はいっ?」
「君はモリアーティ家の主従の関係をよく心得ているようだね。僕はてっきり君はそうではないのかな、と心配していたんだけど」
ロイヤルスマイルを讃えて爆弾発言をするお兄様。あれれー、お兄様から黒〜い雰囲氣が漂ってるのは気のせいかしら。
「君ってばこの前までは僕と結婚するんだって意気込んでたでしょ?お花畑ちゃんも可愛いかったけどね」
あ、これ。あれですわ。ゲームで私とお兄様が婚約できたのって私が世間知らずだったからだからだわ。今となってはぜっったいにこんな腹黒い人とは無理っっ!!
ゲームの中ではベアトリスたっての希望で婚約が成立したはず。ベアトリスってばこんな怖〜い人とよく婚姻なんて結べたわね。
利害で人を切り捨てるタイプと見た!!
「で、ねぇ。ベアトリスはまだ僕と婚約したいのかな」
「おおおおにいさまっ。近いですっ」
「僕としては可愛くて賢い妹が婚約者になってくれるなら、満更でもないけどね?」
馬車の中で隅っこに追い詰めれ、私の顔のすぐ横にお兄様の腕が伸ばされる。た、助けて〜っ。近いっ。なんだか色々近いし。おかしな色気を感じるわっ。
コホン、と小さな咳払いが一つ。二人っきりとは言ったけど、貴族社会の常識として侍女が一人同乗してくれていたのだ。ナイス侍女っ。助けて、侍女っ!
ヘルプミー、だなんて思っていたが、私は彼女の顔を見てはっとした。
(ヒ、ヒロインちゃんじゃない〜〜っ!!)
まさに天使。掃き溜めに鶴(!?) 攻略キャラクターが悪役令嬢の私にとって全員悪魔なら、彼女は善中の善。良心なのである。名前は確か…
「アイリーン、何かな?」
にこやかに問いかけるアドラーお兄様。そう、アイリーン。
(間違いないわ!!)
ヒロインちゃんことアイリーンは、少しだけ緊張した様子で頭を下げた。
「申し訳ございません、殿下。お嬢様が戸惑われているご様子でしたので」
(な、なんて完璧なフォローっ!!)
私を守りつつ、侍女として場の空気も壊さない。控えめで、でも芯がある。
「ふふ」
アドラーお兄様が、わずかに目を細めた。
「勇気ある行動だね、アイリーン」
「恐れ入ります」
静かに頭を下げる姿。その一挙一動が、まさに正ヒロイン。
(だめだわ。眩しすぎて直視できない〜)
「ベアトリス?」「は、はいっ!」
急に名前を呼ばれて、変な声が出た。
「で?質問に答えてくれるかな」
ぐい、と再び距離を詰められる。
「僕と婚約したいのかどうか」
(いきなり来たぁあっ。運命の分岐点!)
ゲームのベアトリスなら「はい」と答えることで婚約ルートに突入。でも、私は違う。
この人の恐ろしさも知ってるし、何より私にはやることがある。でも、
(ここで露骨に拒否したら、それはそれで不自然)
だってこの男は、絶対に疑うタイプ!
(よし…)
私はすっと姿勢を正した。
「お兄様」
「うん?」
「わたくし、まだ十歳でございます」
「そうだね」
「婚約という重大事を軽々しく口にするには、些か未熟かと」
一拍。アドラーの目が、ほんの少しだけ細められる。唇にその細い指が当てられて。
(き、きた。探られてる……!)
「ですので」
私は扇子を広げ、口元を隠す。
「もう少しだけ——“考えるお時間”をいただきたく存じますわ」
沈黙。馬車の揺れだけが、やけに大きく感じられる。そして——
「……へぇ」
アドラーが、ゆっくりと笑った。
「逃げるかと思ったけど」
(ひっ)
「考える、か」
すっと距離が離れる。空気が、少しだけ軽くなった。
「いいよ、ベアトリス。その時間、あげる」
優しい声音。でも——
(こ、こわい……)
その目は、全然笑ってない。
「ただし」
さらりと続ける。
「その間に、逃げないでね?」
ぴくり、と肩が揺れる。
「例えば」
アドラーの視線が、ふっと横に流れる。
「飼い犬に手を噛まれる、なんてことになったら、僕、許せないなぁ」
——完全に、バレてる。(うそでしょこの人!!怖すぎる!!)
「……ふふ」
蒼ざめる従兄妹を見て、くすりとアドラーが笑った。
「本当に変わったね、ベアトリス」
「そうでしょうか?」
「うん。前よりずっと——面白い」
(面白いって言われた!!怖い!!)
「いいよ」
彼は背もたれに身体を預ける。
「その“意思”、どこまで貫けるか見せてよ」
にこり。完璧な王子の笑顔。——でも中身は完全にラスボス。ヒ、ヒロインちゃん、ヘルプミー!!




