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森の中。木漏れ日の下。私は木の影に隠れていた。ネロは相変わらず〝庭仕事〟をしている。
「お嬢様、それは隠れているつもりですか?」
「ぎくり」
「冗談ですよね」と心底蔑んだ目でネロが作業を続ける。大粒の涙を目尻に溜めて、私はネロを上目遣いに睨んだ。
「だから、ごめんなさいって言ってるのだわ。貴方にとっっても悪いことしたと思ってるの」
「……謝られても、困ります。どう受け取ればいいのか分からない」
「わたくしの謝罪が受け取れないって言うの!?」
うぇ、としゃっくりを上げるみたいに肩が震える。不機嫌を隠した、困りきった顔をするしかないネロ。その腕には生傷が。
「貴方、その傷どうしたの」
「さぁ?どこかのお嬢様がお泣きになられた代償じゃないですか。このモリアーティ家では当たり前ですよね?」
「罰は与えないようにって、わたくし、バトラーに申しつけていたわ。ひどい…、わたくし抗議してくるわ!」
「これ以上、余計なことはしないで頂きたいです」
ピシャリと言い放たれて私は硬直するしかなかった。
「なんのお戯か知りませんが、お嬢様は私を困らせて楽しいですか」
低く、抑えた声。怒鳴りもしない。ただ、冷えきっている。
「野良犬と呼んでいた相手に、“友達になれ”ですか。お嬢様は、随分と都合のいいことを仰るんですね」
ぐうの音も出ない。でも、ここで引いたら駄目だと直感が告げていた。私はぐっと拳を握りしめた。
「そ、それはその!」
言い訳は山ほどある。前世の記憶だってある。物語の知識だってある。
でも、それを口にしたところで彼には何の関係もない。ネロにとっての私は、「今までの私」なのだから。
「ごめんなさい」
気づけば、そんなあり気たりな言葉が口からこぼれていた。ネロの眉がぴくりと動く。
私は小さく小さく縮こまってしまう。
「本当は、その、もっとちゃんと謝るべきだったのに、タイミングを逃してしまって」
だめだ、しどろもどろだわ。悪役令嬢としての威厳はどこへいったの。でも、もういい。格好なんてどうでもいい。
「貴方を傷つけたこと、ちゃんと分かってる。だから」
私は一歩、彼に近づいた。
「友達になって、なんて図々しいことを言ったのも分かってるわ。でも、やり直したいの」
ネロは何も言わない。ただ、その瞳だけが、ほんの少しだけ揺れた気がした。
「やり直す、ですか」
ぽつりと呟く。
「そんなの、簡単にできると思ってるんですか」
「思ってないわ!」
食い気味に返してしまった。ああ、またやった。謝る態度じゃないわよね。
「思ってないけど、それでもやるの。だって、やらなきゃ何も変わらないじゃない!」
息が少し上がる。心臓がうるさい。こんなに必死になるなんて、前世でもなかったかもしれない。
自然とボロボロと涙が溢れた。でも今までの涙じゃない。もっと熱い、いろんな感情が溢れた結果の涙なのだから。
「泣き虫ですね、お嬢様は」
「あ、貴方の前でだけだわ」
「泣かないでください。貴方に泣かれると、俺はーー…、」
ネロが膝を折ったので目線が同じ高さになる。私の頬のあたりで彷徨っていた彼の手が、ためらうように下ろされた。な、なによ。淑女の泣き顔に文句なんてないでしょ。
悔しくて、でも諦めたくなくてネロを見ていると、ネロもじっと私を見つめて——
「……変な人ですね、お嬢様」
くつりと、ほんのわずかに、笑った。その表情は、さっきまでの冷たいものとは違っていた。
「いいですよ」
「えっ」
「友達は無理ですけど」
……ですよね。
「代わりに」
彼は土のついた手袋を外し、こちらに差し出した。
「使用人として、ちゃんと接してください。それなら応じます」
一瞬、ぽかんとしてしまった。けれど次の瞬間、私はその手を、両手で掴んだ。
「ええ、もちろんよ。任せなさい!」
「ちょっ、近いですお嬢様」
「これでも加減してるわ!」
ネロは呆れたように息を吐いたけれど、その口元はほんの少しだけ緩んでいた。私は内心でガッツポーズを決める。まだ“好感度最悪”から“やや警戒”くらいかもしれないけれど、ゼロよりはずっといい。
(見てなさい、ネロ。貴方に私を選んだこと後悔させないわ!)
悪名高きモリアーティ家の一人娘、ベアトリス。この人生、きっと謳歌してみせるわ!




