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「君から会いたいなんて久しぶりじゃないかい、ベアトリス」
数日後、お兄様は馬車の前でにっこりと笑った。相変わらずアルカイックスマイルが似合うお兄様である。そのままスマートな仕草で私の手を取るとそこに口付ける。ミーハーな子供だったらイチコロの王子様ムーブだわ。
「……相変わらずお上手ね」
手を引きながら、わざとらしくため息をつく。
「お兄様がそうやって笑うと、何人の令嬢が勘違いするのかしら」
「さて。数えたことはないな」
涼しい顔で返される。ええ、でしょうね。
「でも——」
ふと、声の調子が変わる。
「君が自分から誘ってくるのは、本当に珍しい」
耳元でそっと囁かれる。柔らかい笑みのままなのに、その奥だけが鋭い。
距離が近づいた瞬間、本日御者に扮したネロからバキッと派手な音が鳴った。ネロ、何を壊したの。どうしたのかしら。
「理由を聞いても?」
「ええ、もちろん」
私はにっこりと微笑んだ。
「お兄様にお願いがあるの」
「ほう」
興味深そうに片眉を上げる。
「珍しいな。君が“お願い”とは」
「たまには可愛い妹らしいこともするわ」
軽く肩をすくめると、お兄様はくすりと笑った。
「それで?何を望むの可愛いベアトリス」
その声音は優しい。でも——
(値踏みされている)
「アイリーン様のことよ」
「アイリーン?」
ぴくり、と空気が変わる。
「具体的には?」
「彼女と二人っきりでお話をさせて欲しいの」
さらりと告げる。沈黙。馬車の前、風が一瞬止まったように感じた。
「どうしてだい?」
静かな声。
(ここが分岐点)
「予言の少女」
はっきりと言い切る。
「今、お兄様付きの彼女がそうなのでしょう?」
お兄様の目が、ほんのわずかに細められる。
「それどこで知ったんだい。機密事項のはずだけど」
「うふふ。〝耳〟を持っているのがアドラーお兄様だけだと思わないで。わたくしだってモリアーティ家よ」
お互いに黒い微笑みを浮かべ合い私たちは対峙する。やがて。お兄様の瞳が弧を描いた。
「いいよ」
「……あら」
思わず声が漏れる。
(意外。あっさり了承されてしまったわ)
「ただし」
やっぱり来た。
「条件がある」
ゆっくりと距離を詰められる。
「ええ、構わないわ」
「………」
即答した私にお兄様が眉根を寄せた。「淑女が」と前置きしてアドラーお兄様は大変困ったお顔で仰った。
「男に条件があると言われて即答するものじゃないよ。ーー僕を信頼してくれてるのは嬉しいけど」
「あら」
口元を抑えた私にお兄様は「仕方ないなぁ」というお顔をした。そうして引き寄せられると、耳元でちゅっとリップ音が鳴った。同時にバキッっとまた後方のネロから破壊音が炸裂する。
「可愛い妹のおねだりに免じて今回は〝これ〟でいいよ」
「お、おおお兄様ったらっ〝妹〟を揶揄うのも大概にしてくださいませ!」
「ふふ、これは〝妹〟扱いだと思う?」
赤くなった耳朶。その反応にお兄様は大変満足したようで。
私といえば何故か怖くてネロの方を振り返ることができなかった。
(と、ととととにかくっ。ーーこれで一つ、盤面が動いた、わよね)
あとは——
(ウィギンズ、あなたがどう出るかね)




