第13話 受容と添い寝
「ですから、ご主人様はわたしにとって、世界でたった一人の特別な人なんです」
しっとりと、しかしその内に熱い想いのこもった声でリリィは締めくくった。
まるで恋い慕う想い人を見つめるかのような熱い眼差しを自身の主である少年に向けて。
リリィの不問語りを聞いてウィルは色々納得する。
確かに、不幸な生い立ちだろう。そんな中で、少女の目から見れば少年は特別なのだろう。
それが少年に特別な感情を向けるに値するものだと、少女の過去を知った今ならわかる。
だが。
「話は分かった。だが、もう一度確認する。俺は復讐者だ。俺の回りにいるだけでとばっちりを食う羽目になる可能性は高い。ましてや、その片棒を担ごうとまでしたらその危険性は跳ね上がる。それでも本当に俺の側にいたいんだな?」
「はい。もちろんです!」
「俺と一緒に、何もなせずに無惨に殺されることになっても構わないんだな?」
「ご主人様と一緒なら、たとえ死出への旅路でもついていきます!」
「………………はぁ」
「えと……?」
「わかった。お前の好きにするといい」
ウィルはリリィを説き伏せるのを諦めた。
この少女は梃子でも動かせない決心を固めている、と。
「あっ、はい♪」
それも、嬉しそうに、だ。
これにはウィルも苦笑する。
「あ……」
「ん? どうした?」
「いえ……。ご主人様が笑っているお顔を初めて拝見したな、と思いまして」
「俺だって人間だ。笑うこともある」
憮然とした表情でウィルは言い返した。
「はい。そうですよね」
対するリリィは尚もニコニコ顔だ。
(こいつはすぐ嬉しそうにする娘だな)
そう思う反面、少年は内心では驚いていた。
自分が笑ったという事実に。
そのような感情表現などとうに捨て去って、自分の中には残っていないと思っていたのだ。
(俺は思っていたより人間らしい感情が残っていたらしい)
リリィと再会してからは苛立つことが多かったが、こういうのも悪くないと思い始めていた。
自身の変心を無自覚ながら感じ取っていたのだ。
「少し出てくる」
日が沈んだとはいえ、まだ寝るには早い時間だ。まだ街明かりもある。
そのため、ウィルはもう一度スラムを回ろうと考えたのだ。
それに、夜暗くなれば野盗どもも活動しやすくなる。
ひょっとしたら、と考えたのだ。
「いつ戻ってくるかわからない。先に寝ててくれ」
「え? あのっ」
短く告げて、ウィルは部屋を出て行こうとする。
ウィルが取ろうとしたローブをリリィは先回りして手に取ると、主人の背後に回り羽織らせる。
「すまないな」
「いえ。これも、わたしのお仕事ですから」
やはり、リリィはニコニコと嬉しそうだ。
そして、こちらもやはりと言うべきか。ウィルはこういうのも悪くないと思った。
「行ってくる」
「はい。いってらっしゃいませ、ご主人様♪」
少女の声を背にウィルは夜のスラムへと出掛けて行った。
一通りスラムを見回ってウィルは宿に戻って来た。
結局、何事もなくただ見て回って来ただけになってしまった。
それでも無駄ではない。
今夜はまだ、野盗どもはこの街・ベロニカには侵入していない。
それが分かったのだから。
宿に戻る際、部屋の窓を仰ぐと部屋の中は暗かった。
(寝たのか)
それも当然だ。
もう宵も深い。
この街のスラムは点在している。それらを回ったのだ。その上、今は隠密行動が求められるときだ。時間もかかる。
寝ていて当然だろう。
ただ、あの少女ならもしくは……と思ったのも事実だった。
部屋に入る。当然真っ暗だ。
ローブを上着掛けに掛け、室内に目を向けると――。
「おい、お前。どこで寝ている!」
「――ひゃいっ⁉」
寝ていた奴隷少女を怒気も顕わに起こす。
突然のことにリリィは目を回して自らの主人を見上げた。
「あの……何かありましたでしょうか……?」
「何かではない! お前はなぜ床で寝ている!」
少年が見咎めたのは少女が硬い床に寝ていたからだった。
「……えと、あの。なぜ、と言われましても……」
しかし、少女は少女で困惑顔だ。主人が何を問い詰めているのかがわかっていない。
「ベッドがあるのだからそっちで寝ればいいだろう!」
「えっ? でも、ベッドはご主人様の……」
「俺が床で寝る。お前がベッドを使え!」
レディファースト。自覚はないが、これが少年の中に根強い価値観だった。ただし、彼の歪んだ性根において、これが適用される対象はこれまでこの世に存在しなかったのだが。
対する少女は、奴隷と主人のまっとうな主従関係に基づく考えだった。しかし、彼女にとってその主従関係は、単に奴隷が服従しなければならいというものではなかった。もっと独善的で、しかし少女の根幹にかかわる感情的なものだった。
「いえ、そんなっ。そんなことできません! ご主人様を差し置いて奴隷のわたしがベッドで眠るなどっ。そんなことは絶対できません!」
「いいから、リリィ。お前がベッドで寝るんだ。これは命令だっ」
「⁉」
これが主人からの最初の〈命令〉だった。リリィはこれを拒むことができない。
「いやですっ! ご主人様を床で寝かせてわたし一人ベッドで寝るなんて、いやです!」
拒絶を顕わにするも、その反抗の意思に反応したのか体が勝手に動き出してベッドに向かう。
「いやっ。いやです。こんなのひどいですっ……ぐすっ」
少女は遣る瀬無さに涙をこぼす。
ウィルは奴隷少女のあまりの抵抗に、そして彼女の涙にショックを受けた。
(まさか、俺が泣かせた……?)
少女を傷つけたことに自分の胸が痛んだことにさらに驚いた。
「ぐすっ……。ご主人様、お願いです。……ご主人様がベッドを使ってくださいっ」
――わたしはご主人様の厄介者になりたくない……!
そう、聞こえた気がした。
ウィルはリリィの過去を思い出す。
「……わかった。すまなかった」
「あっ」
リリィは濡れた瞳に安堵が混じる。
「……だが、お前にはベッドで寝てもらう」
「え、そんな――」
「それと……その、なんだ。……お前の言うように、俺もベッドで寝る。それでいいな!」
少年は照れを誤魔化すように強く言い、少女をベッドの奥に追いやると、自身もべッドに横になって少女に背を向けた。
これがウィルにできる最大限の譲歩だった。
「えと、あの……」
背後からリリィの困惑が耳に届くが、ウィルはそれを無視して目を瞑った。
「……はい。ご主人様……」
リリィは主人に倣ってベッドに横たわり。
ぴとっ
ウィルの背に密着した。
少年は背後の柔らかい感触にピクリと反応するが、その後は何も言わず寝たふりを続けた。
しばらくの静寂の後。
「……ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません。ご主人様」
ポツリと少女の謝罪の声が、押し付けられた背中越しにウィルの耳に届いた。
その後、背後からリリィの寝息が聞こえてくる。
男女が一つのベッドで寝ているのだ。ウィルの心臓は早鐘を打っていた。
しかし、リリィはここのところ歩き通しで疲れていたのだろう。そんな緊張以上に疲労と眠気が勝ったとしても、それは道理であろう。
(お休み。リリィ)
ふと、花のような香りが鼻に届くのを意識した。ここ数日意識するともなく嗅いでいた香りだ。
こんなに穏やかな気分で床に就くのは五年ぶりだな、と思いながら、背に伝わる温かさと優しい香りに身を任せて少年も意識を手放していった。




