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ジャンヌ――私の知らない昨日を、私たちは生きた  作者: parupuntist


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第四章 全部だよ

 八メートルの巨人へ上がるには、人の足で階段を登るしかなかった。

 アジーは、痛む左腕を胸へ寄せ、右手で手すりを持った。

 十八時四十七分。

 左わきの階段を三メートル登れば、腰の足場へ出る。そこからもう一つ、胸の前へ続く階段がある。

 機体の左腰の、後ろ側には、灰色の箱が付いていた。地面から四メートル。足場に立てば、手の届く高さだ。

 敵の命令と首への刺激を止めるため、まず、この箱の電源を切る。


 アジーは腰の足場へ上がった。

 ライもバッグを肩に掛けて登り、アジーのとなりへ着くと、鉄板においた。

 鉄板が、靴の下で鳴る。人一人がすれ違えるくらいの幅で、外側には手すりがあった。

 足場の隅にも、整備に使ったらしい工具箱が残されている。

 機体に付いた灰色の箱は、ライの工具バッグほどの大きさだった。

 軍用通信。刺激制御。

 ライの端末に、命令を受ける回線と、首へ刺激を送るケーブルが出ていた。箱の電源で、両方を止められる。

 蓋(ふた)の文字を読んでから、右手で留め具を外す。

 中には、細い電源ケーブルが束になっていた。

 その下に、電源を止める黒いスイッチ。赤いカバーが被(かぶ)さり、細い線で封印されていた。

「図と同じ?」

 ライが、となりへ端末をおく。

「箱は同じだな。配線も見よう」

 アジーは右の指で線を追った。

「太い電源ケーブルは、箱の外だな。中の細い方だけ切れば、腕も脚も動かせる」

 アジーは、実物の線をライに示した。

「箱の電源は、このスイッチ。図のとおりの電圧が来てるか、測ってから切る」

 ライが計測器をつなぐ。

 箱の横に、古いJEANNE(ジャンヌ)の文字。直した日を記す新しい札。

 だれかが、眠っていた兵器を直した。使うなら、自分たちで動かし、自分たちで降りたい。


「上も見てくる」

 ライは腰の足場に残り、計測器へ手を戻した。

 アジーだけが、胸へ続く短い階段を上がる。

 足場は、さらに二メートル高くなった。

 サイラの頭がずっと下に見えた。入口の柱のそばで、隊員と外へ連絡している。

 巨人は入口へ斜めに顔を向けていた。背中の向こう、格納庫の奥が昇降路(しょうこうろ)。その脇に、整備員用の小さな扉もある。

 人が帰るのは手前の入口。巨人が進むのは奥の大扉。

 アジーは、両方を見てから、椅子へ手を伸ばした。

 背もたれの上に、首を支える半円の輪があった。前は開いている。後ろの中央には、三つの接点が並ぶ平たい板。

 アジーは、首の支えにはふれなかった。

 シートの灰色のベルトを取る。肩用の長いものが二本、腰用の短いものが二本。腹の前の赤い留め具へつながっていた。

 留め具を閉じ、赤いレバーを引く。四本の帯が、いっしょに外れた。

 乾いた音がした。

 背中に汗が流れた。

 外せる。自分の手で。

「体を支えるベルトは、腹の前のレバーで外せる」

 アジーは胸の足場から、二メートル下のライへ伝えた。

「でも……椅子、好きにはなれないな」

「好きにならなくていい。使えるか、たしかめよう」

 アジーは空いた帯をおいた。

 まだ座っていない。

 足は足場の上だ。アジーは椅子から手を離し、階段を見た。


     * * *


 ルカは、五メートル下の床を見て、手すりを握り直した。

 十八時五十分。胸の前の足場に立っている。

「僕。ルカです。ここから下りる道を、たしかめたい」

 ライが二メートルの階段を登ってきた。工具と計測器は腰の足場に残し、端末だけを持っている。

 ルカのとなりに着くと、端末を差し出した。

 アジーの伝言も見せてくれる。箱の場所。まだ切っていないこと。帯の外し方。

 ルカは、図面から目を上げた。

 ルカは手すり越しに、下りる道をたどった。短い階段で二メートル下の腰の足場へ。そこから床へ、巨人の左足の前を通って入口へ。

「足場は床の柱で支えてる。ジャンヌに付いてないから、動いても階段は残るね」

 ルカは、図と実物を見比べた。

「下りるのは、この一本。飛び下りない。機体が動くなら、先に人を通す」

 ルカは、実物を指していった。

 ライがうなずく。

 サイラにも、同じ道を送った。


 奥の大扉の先には、原型を立たせたまま地上へ運ぶ昇降台がある。

 サイラが、壁の操作パネルで大扉を上げた。中の昇降台は、格納庫の床と同じ高さで止まっている。

 地上班から、搬出口を映す映像が届いた。

 一般の避難口は、そこから離れている。

 今のところ、搬出口の前に人はいない。

「上がる前に、もう一度、こちらから連絡します」

 サイラがいう。

 ルカは、格納庫と地上の番号を比べた。

 合っている。

 図にあった扉が開き、昇降台へ進む道も見えた。

「僕らが下りるのは、手前。ジャンヌが行くのは、奥」

 最後にそう書いて、端末を返した。

 ライの手袋には、白い縫い目が残っていた。

 それを見て、すこしだけ息が楽になった。

 帰る道の先には、あの糸を縫った机がある。

 ライは端末を受け取ると、階段を下りて腰の箱へ戻った。

 ルカは、胸の足場の手すりに右手を残した。まだ、階段へ足をかけていなかった。


     * * *


 リーヌは手すりのそばで眼鏡をかけ、椅子へ目を向けた。

 十八時五十二分。床から五メートルの、胸の足場に立っている。

 眼鏡越しに見下ろすと、二メートル下の腰の足場にライがいた。開いた灰色の箱へ、計測器の線をつないでいる。

 首を支える輪は動いていない。自分の左腕も、まだ胸へ寄せていた。

「リーヌです。腰の箱は、まだ切っていませんか?」

「電圧を測ってる。主動力と別なのは、たしかめられた。あとは、このスイッチで命令も刺激も止まるか、配線と図を比べる」

 腰の足場から、ライが答えた。

 リーヌは席の表示を開いた。

 十五の細いランプは、それぞれの機能が動いているかを示していた。

 外を見る画面は、椅子の正面にある大きな一枚。

「外は頭のカメラで見るんですね。点検のときは、腰や足元にも切り替えられます」

 リーヌは下のライへ伝えた。自分の目で、外をのぞく席ではない。


 兵装の点検を開く。

 力場(りきば)発生器、待機。盾の放射部、接続正常。

 右腕の主砲にも、弾を加速する装置がつながっている。ランプは点いていた。

「弾をそらす面は、盾の前だけです。主砲へ力を集めると、その間は薄くなるとあります」

 リーヌは、下のライへ伝えた。

「最大で撃ったあとは、冷やす時間も要る。ずっと守りながら撃てるわけじゃないんだな」

「はい。どちらも、ジャンヌ本体の電源で動きます。箱を切っても、こちらは使えます」

 格納庫で試しに弾をそらすことはできない。そらした先にも、人やパイプがある。

 リーヌは、使うときに確かめることも記憶帳へ残した。

 盾を向ける場所。そらす先。主砲の出力と、放熱。


 スラスターの筒と、冷やすパイプも点検する。修復後のテスト記録があり、今の圧力と温度も、使える範囲だった。

「飛ぶ装置は、図のとおりです。でも、ここで噴かすテストはできません」

 格納庫には、人も工具もある。

 続けて使えるのは、九十秒まで。リーヌは、記憶帳へ写した。


 外部指令、優先。

 刺激制御、待機。

 リーヌは赤い二行を読み上げ、下のライへ伝えた。

「敵の命令が優先される、この表示は、乗る前に消さないと」

「そのために切る」

「接続したら、表に出ていない人も、この整備用通信を聞けるそうです。でも、人格同士の連絡は、外の箱に止められています」

「俺の声なら届くんだな。覚えとく」

 ライが、箱から顔を上げた。

 リーヌは、敵の指令を切ったあとに、降りる方法も読んだ。

「まず止まる。機体が姿勢を保ったら、接続を終える。首の板が離れて、胸が開いてから、ベルトを外す」

 次の人も読めるよう、短く帳面へ残す。倒れかけた機体で、すぐベルトを外してはいけない。

「椅子が、怖いです」

 書き終えてから、ライへいった。

 下で、彼の手が止まる。

「わかった。まだ座らなくていい」

 その返事に、余計な説明はなかった。

 リーヌは記憶帳を袋へ戻し、右手で手すりを持った。

 胸の足場から短い階段を下り、ライのいる腰の足場へ着く。

 箱の横、手すりの内側へ腰を下ろしてから、痛む左腕を膝へ載せた。

 怖くても、調べて残せたことはある。そのページに、しおりを挟んだ。


     * * *


 リリィは、眼鏡をケースへ戻した。

 十八時五十四分。腰の足場で、手すりの内側へ腰を下ろしている。

 左腕は膝の上。となりのライは、灰色の箱へ計測器をつないでいた。

 リーヌの文を読み、そっと記憶帳を閉じる。

 椅子が怖い。

 あの人までそう書くなら、あたしが怖がっても、おかしくない。

「水、もらう」

 ライがふたを緩め、右手へ水筒を渡してくれた。

 こんな場所でも、水は普通にのどを通る。

 彼の手袋の縫い目が、白く見えた。

「ねえ。ちょっと、手、貸して」

「腕、痛むか?」

「痛むけど、それはあと。右の方」

 ライが右手を出す。

 リリィは、その指へ、自分の右の指を重ねた。

 本当は左手でふれたかった。きれいな場所で、気楽な日に。

 でも、次にいつ話せるかは、わからない。

「だれが好きなの」

 いってしまってから、顔が熱くなる。

 ライは、リリィを見た。

「……全部だよ」

 好きだという返事なのだろう。でも、聞きたかったのは、リリィのことだった。

 リリィは指を離した。

「馬鹿(ばか)。あたしが聞いてるのに」

 ライは、すぐに答え直さなかった。

 リリィは水筒のふたを回した。右手では、いちど噛(か)み合わなかった。

 彼が手を伸ばしかけ、止める。

 自分でもう一度、回した。

「同じ体でしょって話じゃないよ。昼、あたしが手を握ったでしょ。そのとき、どう思ったかを、あたしにいってほしい」

 ライが工具をおく。

 今度は、こちらへ体を向けた。

「うれしかった。お前が、自分から貸してっていってくれたことも。ここにいる時間が好きだって、いってくれたことも」

 ふたを握る手が止まった。

「じゃ、あたしのことは?」

「好きだよ、リリィ」

 名前があった。

 ほかのだれでもない、自分への返事だ。リリィは水筒から手を離した。

「……それ、先にいってよ」

「うん。全部っていえば、伝わると思ってた」

 ライは、白い縫い目を見る。

「お前が好きでも、ほかの時間をどうでもいいとは思えない。でも、その話だけじゃ、お前への返事にならなかったな」

 リリィは足元へ目を落とした。

 好きだといわれた場所が、機械油の染みた足場になる。

 不満だった。

 そんな不満を持てることが、急にうれしかった。

「あたし、帰ってからがいい」

 顔を上げる。

「これを、最後に聞いたことにしたくない。帰ってから、もう一回」

「帰って、もう一回話そう。お前の返事も聞く」

 差し出された手を、一度だけ握った。

 手袋越しでも、あたたかかった。


 ライが計測に戻ると、リリィは左腕を膝に載せたまま、短く書いた。

『ライに聞きたいことを聞いた。返事は、帰ってからもう一回。あたしも帰る。――リリィ』

 好きだといわれた、とは書けなかった。

 帰ってもう一度聞くまでは、二人だけの言葉にしておきたかった。

 絵の取っ手。調査の見積もり。冷めたスープ。

 帰ったら、ライへ返事をする。リリィは、その約束もしたと帳面に足した。


     * * *


 フィルは、腰の足場の鉄板へ、両足の裏を付けた。

 腰の足場。十八時五十六分。

 手すりの向こうへ足をぶらぶらさせるには、高すぎる。

「フィル、かな」

 声の方へ、右耳を向けた。

「うん。ぼく」

 ライが膝の記憶帳を受け取る。

 その手の下で、鉄板が震えた。

 いちど。いちど。二度。

 フィルは足を止めた。

 また、同じ。

 今朝、サーバー室で聞いた、四脚機の足音に似ていた。

「あっち」

 奥の大扉の脇にある、小さな扉を指す。

 扉は閉まっていた。

 ライは、足場へ付けた振動計を見た。

 波が、いちど、いちど、二度と大きくなる。

 顔が変わった。

「サイラさん。向こうで、何か歩いてる」

 下でサイラが隊員へ手を上げる。

 フィルの指先へ、ライの手が来た。

「下りよう。階段は、こっち」

 立った、そのとき。

 奥の小さな扉が開いた。

 床に近いところで、二つの目が光る。

 目の下の銃が、動いた。

「来た」

 フィルはいった。

「朝の、こわいやつ」


     * * *


 アジーは、ライの手を引いて、足場へ伏せた。

 十八時五十七分。

 奥の扉から、ハーデンが出てくる。

 白い検査室で会ったときの胸札は、もうなかった。

「ライさん、その箱から手を離しなさい」

 男は、開いた灰色の箱を見上げ、扉の横の太いパイプへ身を隠した。

 四脚の警戒機が二体出てきた。高さは大人の腰ほど。白い観測灯の下に、短い機銃がある。

 一体は、手前の入口にいるサイラたちへ向く。

 もう一体は、ジャンヌの左わきを回ってくる。

「市保安局です。武器を下ろして」

 サイラが警告した。

 入口を向いた機銃の先が、三度、光った。

 銃声。

 サイラの横で、柱の角が砕けた。

 弾丸だ。

 白い破片が散る。アジーはライの頭を下げさせた。

 次の三発が、柱の同じところを削る。

 サイラと隊員が、その裏へ飛び込んだ。


「腰の箱の開放通知は、こちらにも届きます」

 ハーデンの声が響く。

 ライが、箱の下の赤い覆いへ手を伸ばした。

「その封印に触れないでください。命令の受信を止めてはいけません。レティアは、コックピットへ。接続は、こちらで管理します」

「いま撃っただろ!」

 アジーは、足場へ伏せたまま叫んだ。

 床で、隊員が撃ち返した。

 一体目の白い灯が割れる。だが、脚は止まらない。

 割れた灯のとなりで、もう一つのレンズが柱を向いた。

 銃口が光る。

 柱の端から出ていた隊員の袖が引っ込み、壁へ穴が三つ開いた。

「入口班、入らないで! 外から退路を守って!」

 サイラの声が、銃声の間へ入る。

 人の帰る道が、撃たれている。


 アジーは、足元の工具箱を右手で引いた。

 持ち上げず、鉄板の端から押し落とす。

 箱は、左わきを回ってきた二体目の前へ落ちた。

 ふたが開く。散った工具を踏み、前脚がすべった。

「ライ、下りるぞ」

「箱のスイッチまで、あとすこし――」

「あとじゃない。いま!」

 右手で、彼の肩をつかむ。

 その頭の上へ、弾が来た。

 灰色の箱のすぐ下で、手すりに穴が開いた。鉄の切れ端が足場へ転がる。

 アジーは、ライを内側へ引き倒した。

 自分の左腕を、足場の鉄板へぶつけた。

 白い痛みが、目の奥まで走る。


 二体目が、足場の真下からすこし離れていた。

 今度は、銃口を上へ向けている。

 箱の前へ戻れば、撃たれる。

 階段へ逃げるにも、手すりが切れた場所を通るしかない。

 すぐ横に、ジャンヌの黒い左腕が下がっていた。

 人の背丈より長い装甲。

 あれを、銃との間へ持ってこられたら。

 アジーは、動かない腕を見上げた。

 その先にある胸の椅子も、見えた。

「ライさんは下へ。腰の装置から離れてください」

 ハーデンがいう。

「レティア。席へ入ってください。原型を起動するのです」

 席へ入れ。首を合わせろ。昔も、そう命じられた気がした。鉄の足場に、白い部屋の床が重なる。

 アジーは、ライの名を呼ぼうとした。

 音になる前に、目の前が遠くなった。


     * * *


 レティは、ライの手袋を見ていた。

 腰の足場へ伏せている。十八時五十八分。

 彼が、顔の前へ記憶帳を開いた。

『中央管制塔の軍用送信設備を断ちたい。』

 自分の字。

 その下へ、ライの指が来る。

「レティか。格納庫だ。警戒機が二体、下にいる。ハーデンも。外部装置は、まだ切れてない」

 床から、また銃声がした。

 手すりの穴を見た。下の白い目を見た。

 入口の柱には、サイラと隊員が隠れている。

 朝も、逃げる途中で起きた。でも今は、自分が行きたいと書いた場所だ。


「ジャンヌの左腕を上げれば、箱の前を隠せる」

 ライが、ジャンヌの左腕を指した。

「でも、動かすには座ってつながないと。切る前だから、敵の命令も、刺激も来る」

 記憶帳の横に、リーヌの書いた終了手順があった。

 止まる。姿勢を待つ。接続を終える。

「切る場所は、わかったの?」

「図と同じで、主動力と別なのも測れた。あとは、箱のスイッチで命令も刺激も止まるか、最後にたしかめる」

 ライは、こちらを見た。

「サイラさんが下へ退く準備をしてる。やめて戻れる。座らなくてもいい」

 レティは、階段を見た。

 降りる道と、上がる道。

 どちらも、ここにつながっていた。

 座れば、あの腕を使える。考えるだけで首が固くなった。

 嫌だ。でも、灰色の箱へ目を戻した。切ってもらう間だけ、ライを隠したい。

「つなぐ。ジャンヌの左腕を、銃との間へ出す」

 自分の声が、震えて聞こえた。

「ライ、その間に箱を切って。命令に従わされる前に、私たちで動かせるようにして」

「わかった。できないと思ったら、俺もいう。止めたいなら、声を出して」

 レティはうなずいた。


 サイラの通信器から、ライの案が伝わる。

 隊員が、階段を狙う警戒機へ撃ち返した。

 白い目が床の方を向く。

「いま。上がれる」

 ライがいった。

 レティは、右手で手すりを持つ。

 腰の足場から、胸まで二メートル。

 一段ずつ、自分の足を上げた。

 ライは一段後ろから上がり、レティの背中へ手を添えた。

 押されてはいなかった。

 自分で、次の段へ進んだ。


 二人は、胸の足場へ着いた。

 ライがレティのアシストフレームを外した。畳んで肩に掛け、戻るとき腰の足場のバッグへ入れる、といった。

 レティの左腕へ、重さが戻る。

 痛む腕を自分の胸へ寄せ、右手を椅子の縁へおいた。

 親指に、青が残っていた。

「そうです。そのまま座ってください。ライさんは、接続を終えたら下りるように。腰の箱には戻らないでください」

 下から、ハーデンの声が来た。

 首の後ろが、また固くなった。

 私が座るのを、あの人も待っている。

 でも、上がってきたのは、ライに腰の箱を切ってもらうためだ。アジーに絵の続きを描いてほしい。自分も、帰ってその絵を見たい。

「あの人に動かされるために、座るんじゃない」

 声にしてから、座った。


 ライは胸の足場に立ち、レティの襟(えり)をすこし下げた。髪をよける。その指が、首のつけ根で止まった。

「ライ。それ、どうやって付くの」

 彼は、背もたれから伸びた短いアームを動かし、先についた板を見せた。平たい端子の板に、金属の点が三つ並んでいる。

「皮膚の下にある接続器の、金属の面だけが出てる。硬貨くらいの大きさだ。接点を三つ、この板と合わせる。首をすこし後ろへ寄せて」

 レティは、ゆっくり背もたれへ頭を寄せた。

 ライの手が、首の後ろへ回る。金属の冷たさがふれた。

「三つとも合った」

 半円の輪から、薄い支えが左右へ寄ってくる。首の横を支え、端子の板がずれない位置で留まった。

 前側は開いている。のどへ金属は当たらない。

 それでも、レティは息を止めた。

「端子は付いた。まだ運転は入れてない」

 ライの声が、すぐ横で聞こえた。

 彼が、肩と腰の灰色のベルトを、レティの前へ持ってくる。

「体が席から落ちないためのベルトだ。腕には巻かない。赤いレバーで、四本とも外せる」

 レティは、腹の前の留め具へ自分の右手を伸ばした。

 留めた。外した。

 もう一度、自分で留めた。

 左腕の下には、畳んだタオルを入れてもらう。

 記憶帳と眼鏡のケースは、右側のくぼみへおいた。

「腰の足場へ戻る。下りたら、この整備用通信で知らせるから、運転を入れて。敵の命令を受ける回線とは別だ。箱を切ったあとも話せる」

 レティは、差し出された指を握った。

「帰るために、乗るんだよね」

「そのために、俺も切る」

 ライは手を離して足場へ下がった。フレームを肩に掛け、手すりを持って階段を下りる。

 レティは、その足音を聞いていた。

『腰の足場へ戻った。俺はまだ伏せてる』

 席の整備用通信から、声が来た。

 レティは、席の横の「運転接続」を、自分の右の指で押した。


 首の後ろへ、鋭い感覚が来た。

 胸の装甲が閉まる。

 代わりに、正面の画面が点いた。

 八メートルの高さから、格納庫の床を見下ろす映像だった。低い警戒機と、入口の柱が見える。

 レティが顔を左へ向けても、画面は動かない。見る向きを変えるには、ジャンヌの頭を動かす。点検で読んだ意味が、やっとわかった。


 内側へ、アジーを呼んだ。

 返事はなかった。

 画面の脇で、赤い文字が光る。

『担当同士の連絡、外部制限。』

 レティは、整備用通信へ声を出した。

「ライ。ジャンヌの左腕を上げたい。でも、アジーへ届かない」

『俺から伝える。つながってる人には聞こえる。アジー、左腕を上げてくれ。レティが俺を隠そうとしてる』

 画面の脇に、アジーの名が点いた。

 左腕、動作中。

 返事の声は来なかった。でも、ジャンヌの腕が動きはじめた。

 低い駆動音。席へ伝わる振動。

 ジャンヌの黒い左腕がひじから曲がり、腰の横へ上がる。

 レティ自身の左腕は、席のくぼみに載せたままだった。

 盾のような装甲が、警戒機とライの間へ入った。

 弾の当たる音が、軽い鉄板の音から、重い響きへ変わる。

『箱へ戻れた』

 今度は、通信から来るライの声だった。

 レティは息を吐きかけた。


 床の映像に、赤い枠が二つ出た。

 柱の横のサイラ。隊員。

 その上へ、文字が重なる。

『地上の奪還部隊を排除せよ。』

 外からの攻撃命令。

 守ってくれた人たちが、標的にされていた。

「その人たちは撃たない」

 レティは、口でいった。

「私たちは、中央を止めに来た」

『聞いた。みんなにも伝える。サイラさんたちは撃たない。砲を、人のいない方へ』

 ライが、短く繰り返した。

 首の後ろが焼けた。

 レティ自身の右の指が、勝手に閉じる。

 赤い枠は消えない。

 脇の表示は、一つだけ変わった。

『照準、未確定。』

 ジョーンの名が点いた。

 ジョーンが照準を定めず、発射の許可を止めていた。だれを撃つか決まらなければ、主砲は出ない。

 その下に、右腕の表示が点いた。

 動作中。担当、アジー。

 画面の下から、太い砲身が動いた。

 人のいる柱を外れ、だれもいない壁へ向く。

 首が、もう一度、焼けた。

 レティは、シートの中の自分の右手を開こうとした。

 指が動かない。

 ライを呼ぶための息も、細くなった。


     * * *


 ジョーンは、奥歯を噛みしめていた。

 十九時。原型のコックピット。

 画面では、砲身が無人の壁を向いている。

 中央は、サイラたちを撃つよう命じている。照準は、まだ定まっていない。

 標的として認めれば、サイラたちに照準が合う。それだけは許さない。未確定を返し続けた。

「ジョーンだ。ライ、箱は切れたか」

『まだだ。腰の箱の前にいる。レティは味方を撃たないといった。俺を隠して、箱を切らせるために、自分で乗った』

 レティが座るまでのことを、ライに聞いて、今知った。

 内側へ呼んでも、赤い制限の文字が返る。

 アジーの名は、両腕の担当欄にある。でも、考えていることまでは読めない。

 俺も、中央を止めに来た。

「……撃つ許可は、出さない」

 声にする。

 熱が、耳の奥まで上がった。


『ジョーン。君の判断は、君のものです』

 軍の命令を受ける回線から、ハーデンの声が入る。

 画面の奥で、パイプの陰の男が通信器を持っていた。

『ほかへ渡さなくていい。レティへ、無理に説明する必要もない』

 一拍、熱が弱まった。

 ジョーンは息を吸った。

 白い部屋でしたことも、受けたことも、だれにも見せずに済む。レティに話していない課題も、教えなくていい。

 ハーデンは、そこへ誘いを重ねた。

『君だけの判断として守ります。役目は変えません』


 ジョーンは、席の表示で、休止を選んだ。

 灰色の文字が返る。

『外部許可が必要。』

 担当を外れる。そちらも、同じ。

 サイラたちを狙って撃つと決めるボタンだけは、押せるままだった。

「俺の判断だっていうなら、俺が休むっていったら、休ませろ」

『今は緊急運用です』

「俺の『撃たない』は、どこにある」

 返事の代わりに、首が焼ける。

 ジョーンは、照準の「未確定」を返し直した。


 画面が、横へ揺れた。

 中央から、前進の指令が来ていた。

 ジャンヌの左足が動きかける。

 脚の担当欄に、アジーの名が点いた。

 脚は止まった。アジーの停止指示が、中央の前進命令とぶつかっている。

 ライがまだ足場にいると、アジーへ伝えたかった。

 頭の中で呼びかけても、ことばを渡す欄は赤いままだった。

「ライ、動くぞ! まだ下りてないって、アジーに伝えて!」

 ジョーンは、整備用通信へ叫んだ。

『まだ腰の足場だ! アジー、ジャンヌの脚を止めてくれ!』

 ライの声が返った。

 画面全部を、腰の点検カメラへ切り換える。

 左腰の箱。その前のライ。

 足場は止まっていた。

 箱だけが、彼の手から離れていく。

 ライの腕が引かれる。

 右手を抜き、残った手すりへつかまった。

 手袋の指先へ、赤がにじんだ。

 落ちていない。

 だが、もう一度、体を出さなくては箱へ届かない。


 原型の脚が、足場から離れる動きを止めた。

 アジーが、動かすなと押し返している。

 ジョーンの背中へ、座面が強く当たった。

 進めと押す中央。止まれと返すアジー。そのたび機体が揺れ、ジョーンも席へ押しつけられた。

「ライ。長くは止められない」

 白い縫い目の手袋が、また箱へ伸びる。

 照準の欄は、赤く点滅した。

 ジョーンは、照準を定めなかった。

 味方を撃たせない。その一つは、ゆずらなかった。


     * * *


 ヴェルは、正面の画面へ目を開いた。

 十九時一分。腰の点検カメラが、箱とライを映している。

 首は熱い。席のくぼみに載せた自分の左腕も痛む。

「ライ。ヴェルだ。箱、まだか?」

『まだだ。ジョーンが撃たせず、アジーがジャンヌを止めてる。下の黒いスイッチ、たしかめてくれ』

 手袋が、細い線の束をよけた。

 ヴェルは、工房で見た図と比べる。

 命令の受信と首への刺激は、同じ小さなブレーカーにつながっていた。

 脚を動かす太い電源ケーブルは、箱の外を通る。

 ライの計測器と、席の電源表示を見た。

 刺激のたび、細い方の数字が跳ねる。

 太い方は、変わらない。

「合ってる。箱の下の黒いスイッチだ。それを落とせば、命令の受信も刺激も止まる」

『主動力は残せるな』

「残る。切ってくれ」


 ジャンヌの左腕に、弾が当たった。肘から先の装甲が鳴る。

 席まで、重い音が響く。

 ライは伏せなかった。装甲の陰で、手を動かしていた。

 刃が封印を切る。

 赤い覆いが開く。

 画面の脇に、二行が点いていた。

『主砲の照準、未確定。担当、ジョーン。』

『左腕、保持。担当、アジー。』

 二人とは話せない。でも、表示でわかる。まだ持ちこたえている。

 白い縫い目の手が、黒い柄を下へ倒した。


 熱が途切れた。

 次の痛みに備えていた体だけが、固く残った。

 受信部の灯が消える。

 刺激制御、停止。

 主動力の数字は落ちていない。

 力場と主砲の点検灯も、消えていなかった。

「受信、切れた。刺激も。固定して」

 ライが、戻らないよう柄を留める。

 照準の赤い枠が消えた。

 休止の文字が、押せる白へ戻った。

 その下で、連絡の制限も消える。

『担当同士で連絡できます。』

 ヴェルは、それを見て、ようやく息を吐いた。

『切れた。そっちは?』

「首へは、もう来ない」

 正面の画面を、頭のカメラへ戻す。

 床の一体目は、まだ柱へ撃っていた。

 二体目の銃口も、黒い装甲の外へ出ようと動いている。

 自由になったのは、原型だけだ。警戒機には、まだ中央の命令が届いている。

「ライ。箱から手を抜いて。原型は止める。次は、お前が床へ下りて」


     * * *


 ノアは自分の左腕を見て、右手で下のタオルを直した。

 十九時二分。席へ背中を付けたまま、息を吐く。

 布に、新しい赤は見えない。

 だが、傷の周りは引きつれていた。肘を動かすと痛む。

「ノアです。私の左腕は、ここへ載せたままにします。すこし、休みたい」

『わかった。さっき切った。命令も首への刺激も止まってる。道具とフレームはバッグに入れた。俺は床へ下りるから、原型は動かさず待ってて』

 ライの声がした。

 頭のカメラには、入口へ戻る道が映っている。

 原型の左腕は、まだ腰の足場を守っていた。

 ノアは、脈の数字を見た。

 速い。

 交代しても、走ってきた疲れは消えない。刺激が切れても、体はすぐ楽にならなかった。

「痛みが増えたら止める。血が出たら、いいます」

『いってくれ。外の俺には、見えない』

 ノアは、背もたれへ体を預け直した。

 息を吐く。吸う。

 外では、弾が装甲を打っていた。

 その音の間に、ライから声が届く。

『腰の足場を離れた。階段の半分』

 もう一度、息を吐く。

『床へ下りた。サイラさんの柱へ行く』

 ライがバッグを肩に、画面の下を走った。跳ねないよう、手袋でおさえている。

 ノアは、その人が柱の陰へ入るまで見ていた。

 息を整える間に、ライは床へ下り、柱まで逃げられた。

 目を閉じて、あと一度だけ、ゆっくり息をした。


     * * *


 リーヌは、右側のくぼみから眼鏡を取った。

 十九時三分。原型のコックピット。

 かけると、正面の床がはっきりした。

「リーヌです。ライ、下りられましたか」

『床へ下りた。柱の陰にいる。命令も首への刺激も切れてる』

 画面でも、受信と刺激が止まっていることをたしかめた。

 見るのは、この一枚でいい。同じ床で、だれを守るかたしかめたい。


 担当同士で連絡できる。

 切る前には赤かった欄が、白くなっている。

 今度はライに伝言を頼まなくていい。短い言葉を思い浮かべれば、接続器がメッセージを送る。

 リーヌは、今見ているものも伝え合いたいと呼びかけた。勝手には開かない。

『いま見ているものと、これからすることを、伝え合っていいですか』

 昔の記憶まで開く操作ではない。渡すものは、それぞれが選べる。

『いい。足元が知りたい』

 今度は、内側から返事が来た。

 アジーのことばだった。

『指令と、外の声は俺が渡す』

 ジョーン。

『ぼく、見えた形なら』

 フィル。

 リーヌは返事をもらえた相手とだけ、今の映像や感覚を共有する設定にした。

 誰も答えない欄は、そのままにする。


 判断のやり取りが続くと、画面の下に新しい値が出た。

 適合率(てきごうりつ)、九十七。

 百を最高として、考えをどれほど安定して読み取れるかを示す値だ。今の指示は、ほとんど取り違えずに届いている。

 人数を合わせた点数ではないし、戦いの腕を示す値でもない。


 シートの正面にある大きな画面。その床の映像に、白い丸が一つ重なった。

 囲まれているのは、ジャンヌの左足の前にいる二体目の、前脚だった。

『その足、前へ出る。もうすぐ、こっちへ来る』

 フィルのことばが届く。

 フィルが足元のカメラにつけた印が、正面の映像にも出ている。同じ画面で、見つけたものを示してもらえた。

 リーヌは、丸に囲まれた脚が動くのを見た。

『一体目は、柱を狙ってる』

 ジョーンが渡す。

『ジャンヌの左腕で柱を守る。右手で、印の付いた二体目を止める』

 アジーの返事。

 二体の警戒機を、どの腕で止めるか。三人で、同じ映像を見てたしかめられた。


 リーヌは、その後ろへ、別のものも受け取った。

 ジャンヌの腕を上げる前の、すこしの怖さ。

 アジーが、伝えてよいと選んだ気持ちだった。

 いつも先に出るから、怖くないのだと思っていた。

『わたしは、隊員が近づける道を見ます』

 リーヌは返した。

 怖さの続きを、仕事だけで返したくはなかった。

『一人で急がなくていいです』

 左腕の傷が痛んだ。

 それとは違うところで、胸がすこし緩んだ。


     * * *


 アジーは、眼鏡を外して、席のくぼみへ戻した。

 十九時四分。

 正面の画面で、二体目の前脚が白い丸に囲まれている。フィルが付けた印だ。

 その警戒機が、ジャンヌの左足の前へ出てきた。

 アジー自身の左腕は、席のタオルの上で痛んだままだ。

 動かそうと考えるのは、ジャンヌの腕だ。

「サイラ。足場から前へ出る。床に人は?」

『全員、柱の内側です。階段も空きました』

 アジーが伝えると、ジャンヌの左腕が下がった。腰の足場を守った装甲が、床の近くへ来る。

 その幅のある面を、一体目の機銃と、入口の柱の間へおいた。

 弾が、柱へ届かなくなる。

 代わりに、黒い装甲で小さな火花が散った。

『ジャンヌの左腕、そのまま。人は隠れた』

 ジョーンから届く。

 アジーは、原型を一歩だけ前へ出した。

 腰が、固定された足場から離れる。

 人の階段を後ろへ残してから、ジャンヌに両膝を曲げさせた。


 八メートルの景色が、低くなる。

 シートも下がった。肩のベルトが、アジーの胸へ張る。

 原型は、しゃがんだ。

 これなら、ジャンヌの長い右腕が床へ届く。

 二体目が前脚を開いた。

『右へ跳ぶ!』

 フィルの声とともに、画面の白い丸が動く。

 アジーは、警戒機の逃げる先へ、ジャンヌの右手を出させた。

 右腕の砲身は、人のいない床を向けたまま。

 黒い大きな手のひらが、跳ねた四脚機の背へ下りる。


 外の機械が、金属の床へ押し付けられた。

 脚が暴れる。

 ジャンヌの右手は離さない。

 機銃の先を、床へ伏せさせる。

 弾が一度だけ床を削り、それから、銃口が動かなくなった。

「二体目を、ジャンヌの右手で押さえた。動力、切れる?」

 アジーはサイラへ聞いた。

『隊員を出します。左の装甲は、そのまま』

 人が、一人、柱から出た。

 左の盾に隠れ、低い姿勢で原型の右手へ走ってくる。

 右手をずらしても、左の盾を上げても、隊員が撃たれる。早く終えたくて、握る力を強めかけた。

『ジャンヌの右手、動かすな。敵の銃は伏せたままだ』

 ジョーンがいう。

 画面の警戒機は、ジャンヌの手の下で、後ろ脚をばたつかせていた。

『うしろの足、まだ動いてる。そのまま押さえてて』

 フィルから届く。

 ジョーンの声を聞き、力を入れ直すのをやめる。

 隊員が来るまで、ジャンヌの手をそのままにして待った。


 隊員が、背面の小さな覆いを開いた。

 絶縁(ぜつえん)された工具で、動力ケーブルを切る。

 四本の脚が、止まった。

『切断。戻ります』

 隊員が離れてから、アジーはジャンヌの右手を上げた。

 フィルが一体目の前脚へ印を付け直し、画面の白い丸が移る。

 盾に隠された獲物を狙おうと、その警戒機が左へ回り込んでいた。

『その警戒機、左へ回る。柱が見えたら撃たれるから、盾の内側へ止めて』

 リーヌの声。

 アジーはジャンヌの左腕を低く動かし、肘から先の装甲で、警戒機の行く先をふさいだ。


 銃口が光った。

 顔のない巨人の腕へ、三発が当たる。

 ジャンヌの右手が、盾の向こうから回り、一体目の背をつかんだ。

 アジーは、その警戒機を押さえ込んだ。ジャンヌの左腕の装甲と、右手で挟む。

 銃口は、奥の壁へ向いた。

 入口の柱から外れる。

「もう一体。押さえた」

 声にして、今度も待った。


 ジャンヌの指を、強く閉じたくなった。奥には、朝からこの体を好きに扱おうとした男がいる。

 だが、警戒機を握り潰す代わりに、隊員が手を伸ばす場所を残した。

 隊員がカバーを開き、今度も動力ケーブルを切った。

 白い目が消えた。

 銃声も、消えた。


 アジーは、ジャンヌへ伝えた。警戒機を下ろす。

 ジャンヌの右手が開き、止まった四脚機を床へおく。

 耳には、まだ発射音が残っていた。

 サイラの通信が入る。

『二体、停止。負傷者は?』

『こちら、なし』

 入口の隊員が答えた。

 ライも、柱から手を上げた。

 生きている。

 アジーは目を画面から下げ、シートの中の自分の右手を見た。

 装甲のない指が、震えていた。

「アタシ、ちょっと……怖かった」

 口でいってから、内側へも渡した。

『見てた』

 ジョーンの返事が来る。

『ぼくも』

 フィル。

 そんな短い返事で、続きの息が入った。


 奥のパイプの横で、ハーデンが動いた。

 小さな扉へ消えていく。

 サイラが入口の隊員へ、男の行った先を伝えた。

 アジーは、原型の脚を止めたままにした。

 追いたかった。

 だが、中央を断ちに来た。

 帰ることも、自分たちが決めた。

「ハーデンは追わない。中央の送信を断ちに行く」

 そういって、アジーは席に載せた自分の右手を、ゆっくり開いた。


     * * *


 フィルは、右耳へ来る音を聞いていた。

 十九時七分。原型は、まだしゃがんでいる。

 左のスピーカーからは聞こえない。

 ジョーンが、同じ声を右側へ回してくれた。

 サイラが、みんなの名前を呼ぶ。

 ライが返事をする。

 ちゃんと、いる。


 止まった四脚機が二体。自分が印をつけた場所へ、アジーがジャンヌの手を出した。

 同じときに、違うことができた。

 フィルは、自分の右手を席から離し、一本ずつ指を開く。

 小さい。

 ライの手袋の指より、こっちの方が細い。

「ぼくの手は、これ」

 声にした。

『そうだよ。そこ、見えるか』

 ライがいった。

 画面の柱へ、手袋が出る。

 ライの手。

 もっと向こうには、ジャンヌの黒い手。

 まちがえずに、二つ見られた。


 頭のカメラが、すこし上を向いた。

 格納庫の天井に、細い線がいくつも走っている。

 光の間から、地上へ続く太いレールが見えた。

 ぼく、ここを上がるんだ。

 そう思うと、腹の中がふわっとした。

 怖いのと、すこし違う。

『すげえ、高いな』

 内側からジョーンがいった。

 フィルは笑った。

 笑い声を、内側にも送った。高いところへ行く楽しさなら、すこし伝えていい。

 どこかで、だれかが、いっしょに息を緩めた。

 ぼくが見た高いところを、ぼく以外も見ていた。


     * * *


 リリィは、画面の柱へ目を戻した。

 十九時八分。肩と腰のベルトは留まり、自分の左腕はまだ痛んでいた。

 シートのログに、二体停止、とある。

 その下の、ライの返事を読む。

 負傷、軽微。

「……ちょっと。何それ」

 通信へいった。

『リリィか。切れた手すりで、指をこすっただけだ』

「だけ、とかいわないで。見せて」

 ライが、カメラへ向けて手袋を外した。

 指の付け根から、手のひらへ赤い傷が走っている。

 箱へ手を入れたとき、機体が動いた。ジョーンのログにあった。あのとき、つかまった手だ。

「痛いでしょ」

『痛い』

 返事が早かった。

『動かせる。でも、痛い』

 リリィは息を吐いた。

「そう。先に、それ、いってよ」

 ライが、サイラから受け取った布を傷へ当てる。

 自分は椅子、ライは床の柱。すぐに触れられない。ジャンヌの手で触れるのは違う。リリィは自分の右手を、席へおいた。


「あたし、まだ返事してないからね」

 リリィはいった。

「帰って、もう一回って、いった」

『おぼえてる』

 ライが顔を上げた。

『俺も、帰ってからがいい』

 画面越しに、目が合った気がした。

 機械のカメラを見ているだけなのに。

 胸が熱くなる。

 首の後ろの、あの熱とは違った。

 返事をする前に、また知らない時間になるのは嫌だ。

 その願いだけを、伝えていいと選んだ。朝や昼の記憶は、まだ渡さない。

 好きな人に返事をしたい。帰りたい。今は、同じ願いだった。

「じゃあ、先に避難しておいて」

 リリィは、彼の布を巻く手を見た。

「ちゃんと、手当てしてもらって。あたしが帰る場所から、いなくならないで」

『工房へ戻る。イネスにも、伝える』

 それを聞いて、席の上の自分の右手を、静かに握った。


     * * *


 レティは、胸に残るあたたかさへ目を開いた。

 十九時十分。原型のコックピット。

 記録に、リリィの名があった。

 帰ってから、返事をしたい。

 なにへの返事かは、全部知らない。でも、帰る場所を思うあたたかさは届いた。リリィが、ここまではと選んでくれた。

 こんな時間も、自分の思い出として持ちたかった。


 レティは、席のくぼみに載せた自分の左腕を見た。痛む。新しい血は見えない。

 止まる。姿勢を待つ。接続を終える。

 席の終了手順は、今も選べる。

「ライ。私、レティ」

『聞こえる』

 柱の横で、ライが顔を上げた。

「首の刺激は、止まってる。終える操作も、選べる」

『わかった。俺は、ここを離れる。外から声はつながる』

 サイラが、隊員へ退避の順番を伝える。

 ライは、フレームと道具の入ったバッグを肩へ掛け直した。

 傷のある手で、落ちない位置までひもを直す。

 手当てを受けるため、彼は工房へ戻る。レティも、そこへ帰りたかった。


 サイラから、地上の情報が来た。

『搬出口の前に、味方も市民もいません。地上班も、壁の陰へ退いています。第二ステーションを落とすための噴射は、まだ予約されたままです』

 正面の映像を、確認の写真へ切り換える。

 地球を回る、大きな宇宙ステーション。

 翼のように広げた中継設備。その下に、落ちていく道を示す線が出た。

 地球へ近づき、地上の町へ重なる。

 二十一時二十分。

 落とすための噴射が始まる時刻。

 まだ止められる。だから、ここへ来た。

『第四ステーションは、作業班が受信装置のところへ着きました。月圏の管制も、元に戻そうとしています』

 レティは、元の床の映像へ戻した。

 知らない場所でも、人が手を動かしている。

 中央を切れば、各地の人の操作が届く。レティは塔の位置をたしかめた。


 機体の目的欄を開いた。

 操縦者、RETIA。

 登録された体の名前は、一つだった。

 内側には、今も違う返事がある。

 自分の右手で操作パネルにふれ、工房で書いた目的を入れる。

『中央の軍用送信設備を断つ。帰ってくる。』

「この目的で、進める?」

 レティは、内側へも問いを渡した。

『進む。席に載せてる、アタシたちの左腕は休ませて』

 アジー。

『指令を送ってる方を叩く。追う相手は増やさない』

 ジョーン。

『ぼく、足、見る』

 フィル。

『出口の番号はたしかめました。先の道は、見ながら』

 リーヌ。

 答えのないところは、そのままにした。

 今、届いた返事と進める。


 サイラと隊員が、手前の入口へ退いた。

 ライが、最後に手を上げる。

 レティは、シートの中で、自分の右手を上げた。

 胸の装甲に隠れているので、彼には見えない。

「また、工房で」

 代わりに、通信へいった。

『また、工房で』

 白い縫い目の手袋が、入口の向こうへ消えた。


 アジーの判断で、原型が立ち上がる。

 床が遠くなり、肩のベルトへかかっていた体の重さが、すこし抜けた。

 足場へ腕がぶつからないよう、機体は、その場でゆっくり半回転した。

 正面の画面へ、大きな扉が来る。

 さっきまで、背中の向こうにあった扉。

 ジャンヌをその大扉へ進ませる。

 ジョーンが、地上班へ到着を知らせる。

 昇降台の縁に白い丸が出た。フィルが、足を乗せるところを示している。

 レティが見ている同じ時間に、リーヌが出口の番号を比べていた。

 原型の右足が、床と同じ高さの昇降台へ乗る。

 ジャンヌの左足が続く。

 止まった。

 脚を支える表示が、緑になる。


 十九時十一分。

 昇降台が上がりはじめた。

 油の光る床が下がる。

 曲がった手すりも、黒い巨人のための足場も、下へ離れていった。

 レティは、シートへ体を預けた。

 外を見ているのは、自分だけではなかった。

 アジーもリーヌも、同じ一分を見ている。交代して帳面を開くまで待たず、今思ったことを伝えられた。


『出口、敵機接近! 地上班は退いて!』

 サイラの通信が割り込んだ。

 地上出口のカメラへ、映像が切り換わった。

 扉の外に、黒い装甲機兵(そうこうきへい)が立っている。

 原型に似た肩。閉じた胸。

 首の下に、太いケーブルが一本。肩の後ろにはスラスターのふたも見えた。

『工房の映像と、同じ型だ』

 ジョーンから届く。

『遠隔実証型。出口を押さえてる』

 遠隔実証型の右腕が、こちらへ向いた。

 太い砲身。

 警戒機の短い機銃とは、違う。

 カメラが、その奥の貨物道路を映した。長い道が、川を渡る橋へ続いている。

 中央管制塔は、六キロ先。遠くに並ぶ屋根の上から、塔の上端だけが光を返した。

 今も、命令を送り続けている場所。

 あそこまで、行く。


 レティは、目的の文を見た。

 中央の軍用送信設備を断つ。

 帰ってくる。

 怖い。

 その気持ちを、内側へ渡した。

 返事は、すぐに来た。

『見てる』

 アジーのことばだった。

 返事に、アジーの怖さも重なった。伝えていいと、選んでくれた気持ちだ。

 レティは、息を止めずに聞いた。

 扉の隙間から、地上の光が落ちてくる。

 レティは、席の上で、自分の右手を開いた。

「行こう」

 口で話す声は、一つだった。

 その声へ、いくつもの考えが重なった。

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