第9話「村の勇者」
リーネ村の入口へ着く頃には、夕陽が山の端へ触れかけていた。
畑から戻る途中だった女が、五人の姿を見つけて立ち止まる。手にしていた籠を道端へ置くと、酒場の方へ声を張った。
「戻ってきたよ! あの旅人たちが!」
酒場から人が出てくる。頭の包帯が新しくなった男。右腕を吊った若者。昼間の襲撃で手当てを受けていた者たちだ。
彼らの視線は、まずリアへ集まった。
酒場の主人が歩み寄り、傷がないことを確かめるように彼女を見る。
「……無事だったか」
「はい。ご心配をおかけしました」
リアが頭を下げると、主人は短く息を吐いた。
大きな歓声は上がらなかった。村人たちは旅人である彼女の名前さえ、ほとんど知らない。それでも、自分たちの村で攫われた少女が戻らなかったなら、後味の悪い記憶を抱えることになっただろう。
安堵したように肩を落とす者がいた。どこか気まずそうに目を伏せ、アゼルたちへ頭を下げる者もいる。
アゼルには、親しい相手の帰還を迎えているようには見えなかった。村に残されていた心配が、ようやく一つ減ったような反応だった。
「一人、増えてるな」
酒場の主人が、アゼルたちの後ろにいるクレハへ目を向けた。
「山で拾った」
「拾われてないわ」
すぐさま訂正が入った。
「助けてくれたんです」
リアが付け加えると、主人は詳しいことを尋ねず、クレハにも一度だけ頭を下げた。
酒場の卓へ村の者たちが集まった。
アゼルは坑道で起きたことを、順に説明した。
黒狼盗賊団の根城を見つけたこと。頭目を含む一団を制圧したこと。全員、生きたまま拘束してきたこと。
「捕まえた連中は、今も坑道に縛ってある」
主人の眉間へ深いしわが寄る。
「ここまで運ばなかったのか?」
「俺たちだけで運べる人数じゃなかった。それに、リアを早く村へ連れ帰りたかった」
「縄は俺が確かめた。そう簡単には抜けられねえ」
ガレスが胸を張る。
「だから人手を借りに戻った。坑道までの道は俺たちが教える」
村人たちが顔を見合わせた。
最初に一行を見つけた女が立ち上がる。
「荷車が二台ある。動ける者を集めれば運べるよ」
「俺も行く」
頭へ包帯を巻いた男が続く。自分たちを襲った者が相手である。声には恐れが残っていたが、椅子へ座り直そうとはしなかった。
その様子に他の者たちも同調の声を上げる。
だが日が沈んでから山へ入るのは危険なため、出発は夜明けと決まった。
覚悟を決め立ち上がった者たちではあったが、どこかほっとした表情も見られた。
落ち着いたところで酒場の主人が切り出す。
「盗賊どもの処分は、村だけでは決められん」
「騎士団へ渡そう」
アゼルは懐から銀色の徽章を取り出した。
王家と第一騎士団、二つの紋章が灯りを受けて光る。
「第一騎士団の副団長から預かったものだ。俺たちの話だけで信用されないなら、これを見たと伝えてくれ」
「お前、そんな物を持ってたのか!」
ガレスが一番驚いていた。
「お前の前でも受け取っただろ」
「そうだったか?」
「何を見てたんだよ」
「お前の足元に落ちてた金貨だな」
「正直に言えばいいってもんじゃないぞ」
主人は二人のやり取りを聞きながらも、徽章だけは真剣に確かめた。近隣の騎士団詰所まで馬を走らせられる者が一人いるという。夜のうちに支度を整え、朝一番で使いを出すことになった。
話がまとまりかけたところで、包帯の男が拳を卓へ置いた。
「レオンさえいてくれれば……」
「レオン?」
アゼルが聞き返す。
「この村の勇者だよ」
「村にも勇者がいるのか」
「どこかの騎士団で学んだわけじゃない。けど、この村でまともに剣を使えるのは、あいつだけだ」
小型の魔獣が村付近へ下りてきた時も、野盗が荷車を狙った時も、レオンは剣を持って駆けつけた。冬の前に食料を荒らす獣を追い、夜通し村の外へ立ったこともあるという。
特別な地位はない。
誰かに命じられたのでもない。
それでも危険が来るたび、村人より先に立ってきた。
「だから俺たちは、あいつを勇者と呼んでる」
男の言葉には、迷いがなかった。
「それなら、どこにいる?」
黒狼盗賊団が村を襲った時に姿を見せなかった理由が、アゼルには分からない。
主人が重い息を吐いた。
「十日前から、村にいないんだ」
「少し留守にする、すぐ戻る。それだけ言って出ていった」
普段から、村のために近くの町へ買い出しに行くことはあった。魔物や獣の跡を追い、数日戻らない時もある。
初めは誰も心配していなかった。
だが、今回は十日経っても帰らない。その間に、黒狼盗賊団の襲撃が起きた。
「行き先を知ってる奴はいないのか?」
返事はなかった。
酒場の裏にある物置には、村を襲った盗賊が五人拘束されていた。
坑道で頭目たちを捕らえ騎士団へ引き渡されると伝えると、男たちの態度は目に見えて変わった。村人を睨んでいた者は目を逸らし、黙り込んでいた一人は、自分から水を求めた。
「左の頬に傷がある男を知ってるな?」
アゼルが尋ねると、壁際の男の頬が引きつった。
「あいつの仲間か?」
「弟子だよ」
「冗談じゃねえ。師匠も弟子も、俺たちに何の恨みがあるんだ」
「騎士団が何故か居場所を探してるんだ。師匠が何をした?」
男は縛られた手を動かし、ささくれた唇を舐めた。
「山道で揉めた。こっちは五人いたのに、武器も金も全部取られた。命まで取られると思ったが……馬鹿にしたみたいに返してきやがった」
アルトらしい。
「その後、どっちへ行った?」
「さらに山奥だ。ずっと昔からある、古い塔の方角へ向かった」
「塔?」
「近づく奴もほとんどいない。木より高い石の塔が、山の奥に立ってるだけだ」
男は急に身を乗り出した。
「知ってることは話した。だから、騎士団には俺が協力したと――」
「伝えるかどうかは、話を全部確かめてからだ」
アゼルは立ち上がった。
アルトは生きている。
そして、山奥の古い塔へ向かった。
それだけ分かれば、今は十分だった。
翌朝。
リーネ村には、日が昇る前から人の動く音が満ちていた。
坑道へ向かう二台の荷車には、縄と水が積まれている。騎士団詰所へ向かう使者も、すでに馬へ鞍を載せていた。
アゼルたちは坑道へ続く分かれ道を教え、入口に描かれた黒い印と、盗賊団の武器をまとめた場所を伝えた。
「あとの処分は騎士団へ任せる。俺たちはアルトを追う」
「任せておけ」
酒場の主人と別れ、五人は村を出た。
背後では荷車の車輪が鳴り、反対の街道からは使者の馬蹄が遠ざかっていく。
黒狼盗賊団が残した傷まで消えたわけではない。それでも、あの黒い狼の印を恐れて閉ざされていた村は、自分たちの手で後始末を始めていた。
「待って!」
村外れへ差しかかったところで少女の声がした。
振り返るとまだ幼さの残る少女が息を切らして走ってくる。ミーナと名乗った少女は両膝へ手をつき、何度か呼吸を整えた。
「さっき、みんなが話してるのを聞きました。アルトって人を追って、山の奥へ行くんですよね」
「そうだけど」
「だったら、お願いがあります」
ミーナは村の方を一度見た。誰かが追ってくる様子はない。
「レオンのことです」
「居場所を知ってるのか?」
「分かりません。でも……」
躊躇った後、不安そうに呟いた。
「最近、昔話のことをよく話していました」
「どんな昔話だ?」
「子どもの頃からみんなで聞いていたお話です。山の奥には、登りきれば勇者になれる塔があるって」
その言葉に、エル爺の視線だけが山の奥へ向いた。
ほんの一瞬のことだった。
アゼルは気づいたものの、今は尋ねなかった。
「レオンは、行き先を教えてくれませんでした」
ミーナは胸元で両手を握った。
「でも、あの塔へ行ったんじゃないかって思うんです」
アルトが向かった古い塔。
レオンが目指したかもしれない、登れば勇者になれる塔。
それが同じものだと、まだ決まったわけではない。
だが、方角は同じだった。
「もしレオンに会ったら……帰ってきてって伝えてください」
ミーナは頭を下げた。
「すぐ戻るって、言ったんです」
「分かった。見かけたら伝えとくよ」
アゼルは気軽に引き受けた。
レオンがどこにいるのかも、塔が本当にあるのかも分からない。今、捜しているのはあくまでアルトだ。
それでも、同じ道の先にいるなら、声を掛けるくらいはできる。
五人は再び、山へ向かって歩き出した。
背後にはリーネ村と、いつまでもこちらを見送るミーナがいる。
アゼルが追うのは、アルトの足跡。
ミーナが願うのは、レオンの帰還。
まだ別々の目的だった。
ただ、向かう先だけが重なっていた。
山奥にある、名も知らない古い塔へ。




