第7話「それぞれの流儀」
森を抜ける頃には、傾き始めた陽が木々の隙間から長い影を落としていた。
リアを取り戻し、黒狼盗賊団の残党を坑道へ縛り上げた一行は、リーネ村へ戻る道を歩いていた。捕らえた男たちを村へ運ぶ人手を借り、留守にしている間に何か起きていないか確かめるためだ。
先頭を歩くガレスの背には、いつもの大剣があった。その後ろをリアとエル爺が続き、少し離れてアゼルとクレハが並んでいる。
クレハは、もう姿を隠してはいなかった。
だが、仲間になったとも言っていない。
当たり前のように一行へ加わりながら、どこか一線を引いている。その距離が気になり、アゼルは隣を歩く彼女へ目を向けた。
「俺たちを見届けるって、どういうことなんだ?」
「言えない」
クレハは前を向いたまま答えた。
迷った様子はない。最初から、それ以外の答えを持っていないような言い方だった。
「俺たちが黒狼盗賊団のアジトへ向かう途中、木の上から見てたのもお前か?」
「そうね」
「もう隠れなくていいのか?」
「隠れても、あなたは気づくでしょう?」
「まあな」
アゼルが得意げに答えると、クレハは横目で彼を見た。
「ずいぶん自信があるのね」
「実際、気づいたからな」
「気配がする、と言っただけでしょう。私だとは分かっていなかった」
「……細かいな」
「大事な違いよ」
前を歩いていたガレスが、勢いよく振り返った。
「おい、待て! お前、あの時から誰かいるって気づいてたのか?」
「ああ」
「何で黙ってた!」
「言ったら、お前は木に向かって出てこいって叫んでただろ」
「当たり前だ! 隠れてるなら、呼べば出てくるかも知れねえだろ!」
「出てこなかったら?」
「木を揺らす!」
「どの木にいるか分からないのに?」
リアが尋ねると、ガレスは胸を張った。
「片っ端からだ!」
「ほら、言わなくて正解だった」
「何でだ! 見つかるまで揺らせばいいだけだろ!」
あまりに堂々と言い切るものだから、リアが吹き出した。クレハの口元も、ほんのわずかに緩む。
それを見て、アゼルはもう一度尋ねた。
「それで、今度は姿を見せたままついてくるのか?」
「その方が、お互い余計な手間がないでしょう」
「目的は言えないのに?」
「ええ」
「やっぱり怪しいな」
「盗賊の根城へ忍び込んだシーフに言われたくないわ」
「俺はリアを助けに行ったんだ」
「私も助けたけれど?」
「それは……そうだけど」
アゼルは言葉に詰まった。
クレハがいなければ、リアを救い出すことはできなかった。少なくとも、全員が無事では済まなかっただろう。
「そういえば、アゼルさん」
リアが歩調を緩め、二人の隣へ並んだ。
「あの技、もう一度見せてもらってもいいですか?」
リアは危機を脱した安心感からか村へ向かう足取りも表情も軽やかだ。
「...あれ、結構疲れるんだよ」
アゼルは渋る。
「一瞬で消えて、次の瞬間には別の場所にいるみたいで、すごく格好よかったです」
「消えてはいない。速く動いただけだ」
「でも、シフト・オブ・ゼロという名前なら、消えたように見える方が合っていますよ」
リアは満足そうに微笑んだ。
すると、ガレスが再び勢いよく振り返った。
「よし、次は俺だな!」
「何がだよ」
「技の名前だ! 実は俺にも、とっておきがある!」
「すでに考えてたのか?」
「名前だけじゃねえぞ。型もある!」
ガレスは街道の脇へ寄ると、大剣を鞘ごと背から外した。
「おい。こんなところで振り回すなよ」
「振り回さねえ。見せるだけだ!」
両足を前後に開き、鞘に収めた大剣を頭上へ掲げる。
初めは、ごく普通の上段の構えに見えた。
だが、剣を上げる動きに合わせて、ガレスの重心が後ろ脚へ移る。前足の踵がわずかに浮き、その巨体が弓を引き絞るように力を溜めた。
「普通の振り下ろしじゃないか」
「だから、最後まで見ろ!」
ガレスの上体が前へ傾いた。
踏み出すより早く、身体そのものが前へ倒れ始める。均衡を失ったように見えた瞬間、後ろ足が地面を蹴った。
一歩が深く伸びる。
前の足が地を踏むのと同時に腰が落ち、頭上の大剣が鋭く走った。前の手で柄を押し出し、後ろの手で柄頭を引く。踏み込みと身体の落下、両腕の動きが一つに重なり、鞘の先が地面すれすれで止まった。
実際に刃を見せたわけではない。
それでもアゼルの目には、重い大剣が風を断ち、その先にあるものを叩き割る姿がはっきりと見えた。
「今、わざと前に倒れたのか?」
「倒れたんじゃねえ」
ガレスは低い姿勢のまま、にやりと笑った。
「倒れる先を決めるんだ」
「同じじゃないのか?」
「全然違う!」
大剣を肩へ担ぎ直し、ガレスは立ち上がった。
「こいつは重い。腕だけで速く振ろうとすりゃ、剣の重さが邪魔をする。だったら、身体ごと先へ落とせばいい。踏み込みも、腰も、両腕も、全部まとめて一撃を大地へ叩き込むんだ!」
「大地と戦うのか?」
「もののたとえだ!」
アゼルの横槍を声で押し返し、ガレスは胸を張る。
「速さも、重さも、力も、全部乗せる! 大地をも絶つつもりで振り下ろす、俺の一撃――」
そして、森じゅうへ聞かせるように名を告げた。
「グランド・ブレイクだ!」
一瞬の静寂のあと、近くの枝から鳥が一斉に飛び立った。
「声が大きいんだよ」
「これくらいでちょうどいい!」
「技の形をはっきり思い描くために、名前を付けたんですか?」
リアに尋ねられ、ガレスは大きくうなずいた。
「おう! どこから踏み込んで、どう振り抜くか。完成した一撃を何度も頭に描いて、そこへ身体を近づけていく。名前があれば、その姿を見失わずに済むからな!」
「本当に、それだけか?」
アゼルが横から顔をのぞき込む。
「どういう意味だ」
「格好いい名前を叫びながら、剣を振ってみたいだけじゃないのか?」
ガレスは目を逸らさなかった。
「もちろんだ!」
「認めるのかよ」
「こんな名前を付けておいて、黙って振る奴があるか!」
「剣筋のイメージはどこへ行ったんだ」
「それも本当だ! 一つが本当なら、もう一つが嘘になるわけじゃねえだろ!」
「開き直ったな」
リアが声を上げて笑った。
「お前にだけは言われたくねえぞ。名前を付けてもらった時、随分と嬉しそうだったじゃねえか」
「あれはリアが勝手に――」
「嫌なら使わなければいいだろ」
「嫌とは言ってない」
「やっぱり気に入っているんですね」
リアにまで追い打ちをかけられ、アゼルは唇を尖らせた。
「……少しはな」
「技の名前を考えるのはいいけれど」
クレハが、ガレスの背負った大剣へ目を向けた。
「それほどの一撃を考えているのに、さっきは一度も剣を抜かなかったでしょう?」
笑い声の余韻が、わずかに薄れた。
「あれだけの人数を相手に、鞘に収めたまま戦っていた。どうして?」
「鞘で十分だったからな」
ガレスは何でもないことのように答えた。
「斬らずに済む相手まで斬る必要はねえ。剣を持っているからって、いつも刃を使わなきゃならん決まりもないだろ」
「人を斬ったことはあるの?」
「ある」
あっさりとした返事だった。
「俺は故郷じゃ、騎士団にいたからな」
「……お前が?」
思わず声を上げたアゼルを、ガレスが振り返る。
「なんだ、その顔は!」
「いや、お前が騎士だったっていうのが……」
「そんなにおかしいか?」
「命令どおりに整列して、上官に敬礼してるお前がどうしても浮かばない」
ガレスは一瞬きょとんとしたあと、腹の底から笑った。
「はっはっは! 奇遇だな。俺にも浮かばん!」
「自分の話だろ」
「だからやめて、今はこうして旅の剣士をやってるんだ!」
そう言って、ガレスは大剣の柄を親指で示した。
「やめた理由は、それだけ?」
クレハが尋ねる。
ガレスは笑ったまま前を向いた。だが、次の言葉を口にする時、その声から少しだけ勢いが引いた。
「まあ、俺には向いてなかった。それだけでも十分だが――人を斬ったあとのことを、見すぎたのかもしれんな」
「斬ったあと?」
「命を奪えば、また別の恨みが生まれる。遺された奴が剣を取って、今度は誰かの命を奪う。その連鎖は嫌というほど見てきた」
ガレスは背中へ手を回し、鞘の上から大剣に触れた。
「俺は、できれば御免だな。さっきの連中くらいなら、鞘でぶん殴れば済む。それで全員生きて帰れるなら、その方がいい」
「それに、この剣は知り合いの親父が最期に打ったものだ。できることなら、人の血で汚したくねえってのも本音だ」
「もし、抜かなければ仲間を守れない時が来たら?」
クレハの問いに、ガレスは一瞬も考えなかった。
「そりゃ、抜くさ」
いつもの明るさを取り戻した声で、ガレスは笑う。
「剣を汚したくないってのは、俺の都合だ。お前たちの命より大事なわけがないだろう」
クレハはしばらくガレスを見つめ、それからアゼルへ視線を移した。
「あなたも同じ考えなの?」
「俺は……少し違う」
アゼルは前を向いたまま答えた。
木々の切れ間から差し込む夕陽が、細い街道を赤く染めていた。
「アルトが人を殺すところを、何度か見たことがある」
リアが息を呑んだ。
ガレスは何も言わず、アゼルの言葉を待っている。
「多くはない。どうしようもない時だけだったんだと思う。それが本当に必要だったのか、俺には分からない。アルトを責めたいわけでもない」
アゼルは道の端に転がっていた小石を蹴った。
乾いた音を立てて、小石が草むらへ消えていく。
「ただ、見ているうちに思ったんだ。もしアルトに出会っていなかったら、俺も殺された奴らと同じような人生を送ってたんじゃないかって」
シーフの技術を教わった。
生き延びる術を教わった。
何を盗んではいけないのかも、誰から奪ってはいけないのかも教わった。
アルトに拾われなければ、そのどれも知らないままだった。
「俺だけ運よく拾われて、苦労はあっても、悪くない人生を生きてる。なのに、運がなかった奴の命を俺が奪うのは……何か違う気がした」
「だから、誰も殺さない?」
「ああ」
アゼルは、腰に下げた短剣の柄へ触れた。
「少なくとも俺は、そうすると決めた」
「相手があなたを殺そうとしていても?」
「それでも、まずは殺さずに済むやり方を探す」
「見つからなかったら?」
アゼルはすぐには答えなかった。
「見つかるまで考える」
「戦いの最中に?」
「そのために、速くなったんだ」
無茶な答えだった。
けれど冗談で言っているのではないことは、その横顔が物語っていた。
「甘いのね」
「よく言われる」
「アルトにも?」
「あいつは何も言わなかった」
アゼルの返事を聞いて、クレハはわずかに目を伏せた。
その横で、ガレスが声を上げて笑った。
「はっはっは! 見つかるまで考えるとは、また無茶を言うな!」
「笑うなよ」
「笑ってねえ。気に入ったんだ!」
「笑ってただろ」
「決めた!お前が考えてる間は、俺が前に立つ。敵が来たら止める。道がなけりゃ開ける。だから好きなだけ考えろ!」
アゼルはガレスを見た。
「最初から、そのつもりだっただろ」
「おう!」
即答だった。
アゼルは呆れたように息を吐き、それでも口元には笑みが浮かんでいた。
しばらく黙っていたクレハが言う。
「分かったわ」
「何がだ?」
「同行する限り、私もあなたたちのやり方に従う」
アゼルが足を緩める。
「いいのか?」
「あなたたちを見届けるために一緒にいるの。勝手に輪を乱すつもりはないわ」
「でも、必要なら殺すんだろ?」
「その必要がない方法を、先に考える」
クレハはアゼルの言葉をそのまま返した。
「それでいい?」
「ああ」
アゼルが笑うと、クレハは前を向いた。
「まだ、あなたたちの仲間になったわけではないけれど」
「分かってるよ」
「その顔、分かっていないでしょう」
「ちゃんと分かってる」
「どうだか」
木立の向こうに、リーネ村の屋根が見え始めた。
リアがほっとしたように胸へ手を当てる。ガレスも、村へ聞こえそうな声で「戻ったぞ!」と叫んだ。
「まだ遠いだろ」
「先に知らせておけば、迎えが来るかもしれねえ!」
「お前の声を合図にする村じゃないんだぞ」
再びガレスが笑う。
「なるほどのう」
それまで一行の会話を黙って聞いていたエル爺が、髭を撫でた。
穏やかだった空気が、わずかに揺らぐ。
「姿を隠して一行を見届け、鉄針を操り、己の素性は明かさぬ、か」
クレハの足が止まった。
その右手が、無意識に腰元へ近づく。
エル爺は振り返らなかった。
ただ、道の先に見える村を眺めたまま、静かに尋ねた。
「おぬし――宵守かの?」




