第2話「沈黙にひびが入る」
小さな笑いが、広場のあちこちへ伝わっていった。
警備隊長の顔が、みるみる赤くなる。
「何がおかしい!」
兵士たちは空になった腰や手元を見つめている。石畳の中央には、槍、剣、弓、短剣がひとまとめに積まれていた。
武器は壊れていない。
持ち主だけを、きれいに失っていた。
「素手で構わん! そいつを捕らえろ!」
隊長の命令を受けても、兵士たちはすぐには動かなかった。
若いシーフの背後にいる人々が、もう道を空けようとしなかったからだ。
兵士の一人が、おそるおそる前へ出る。
その進路を、大剣が塞いだ。
鈍い音を立てて、分厚い大剣の鞘が石畳へ立てられる。
幅広の鞘には、削った木片がところどころ当てられ、その上から厚手の革が幾重にも巻きつけられていた。擦れ、裂け、また巻き直した跡まで残る、ひどく不格好な代物だ。
噴水のそばで成り行きを眺めていた旅の剣士が、いつの間にか若いシーフと警備隊の間へ歩み出ていた。
「悪いな。大勢が寄ってたかって一人を捕まえるのは、趣味じゃない」
「貴様も反逆者になるつもりか」
「まだ剣も抜いてない男を反逆者にするのか? ずいぶん便利な法律だな」
男が笑う。
「どけ!」
兵士が旅の剣士を押し退けようとする。
横から、古びた荷車が割って入った。
少女を擁護した老人が、震える腕で押してきたのだ。車輪が石の継ぎ目に引っかかり、空箱が音を立てる。
「ここは市場だ。荷車が通るのは当たり前だろう」
声は震えていた。それでも、目は伏せなかった。
魚屋の青年が老人の隣へ立つ。パン屋の主人も店先へ出た。野菜売りの女と職人たちが続く。
誰も警備隊へ殴りかかろうとはしない。
逃げるのをやめ、そこに残ることを選んだだけだった。
「……もう、黙るのはやめよう」
誰かが言った。
警備隊長が群衆を睨みつける。
「貴様ら全員、反逆罪だぞ!」
人々の間に緊張が走った。
魚屋の青年の拳は固く握られていた。恐怖が消えたわけではない。
それでも、誰も後ろへ下がらなかった。
若いシーフはその光景を黙って見ていた。自分が武器を奪っただけでは、こうはならなかった。彼らは自分たちで、これまでとは違う方を選び始めている。
時計塔の鐘が鳴った。
三度目の鐘に重なって、揃った足音が聞こえた。
西側の大通りから、白銀の鎧をまとった騎士たちが現れる。
騎士たちは群衆へ槍先を向けず、左右へ分かれて出口と警備隊を押さえた。
胸に刻まれているのは、レグナ王家の紋章だった。
隊列の先頭を歩くのは、一人の女性騎士だ。
腰まで届く銀色の髪と、青い外套。使い込まれた鎧には細かな傷が刻まれている。
彼女は広場を見渡し、最後に若いシーフへ視線を止めた。
「全員、その場を動かないでください」
大声ではない。それでも、広場の端までよく通った。
「だ、第一騎士団……なぜ、ここに……?」
警備隊長の顔から血の気が引いていた。
若いシーフは武器の山から離れ、両手が見えるよう外套の前を開く。
第一騎士団が敵か味方かは、まだ分からない。事情を知らない相手が増えたときほど先に動くなと、師匠から何度も言われていた。
女性騎士の部下たちは、市民ではなく警備兵を囲んでいる。彼女自身も、若いシーフより先に警備隊長へ向き直った。
「警備隊長ダリウス」
名を呼ばれただけで、男の肩が跳ねた。
「王都監査局より、収賄および職権乱用の疑いで、あなたに対する調査命令が出ています」
広場がざわめく。
「でたらめだ! 証拠はあるのか!」
「証拠ならある」
答えたのは女性騎士ではなかった。
荷車を押していた老人が背を伸ばし、上着から王家の封蝋が押された羊皮紙を取り出した。
「私は王都監査局の監察官だ。二か月前から、この街へ入っていた」
ダリウスが目を見開く。
旅の剣士は老人と荷車を見比べた。
「どうりで、荷車の押し方が妙にぎこちなかったわけだ」
監察官が咳払いをする。
「白鷺商会からの収賄、商人への恐喝、冤罪による財産没収。証言と証拠は揃っている」
ダリウスの視線が、縛られた少女へ走った。
「その娘は盗人だ! そこの男もだ! 見ろ、足元に金貨が落ちている! 先にあいつらを捕らえろ!」
女性騎士は落ち着いた声で返す。
「彼らについては事情を確認します。ですが、今、拘束命令が出ているのはあなたです」
第一騎士団の騎士たちが距離を詰めた。
ダリウスの目つきが変わる。
「殺せ!」
彼の部下たちへ向けた怒号。
男は腰へ手を伸ばす。
何もつかめない。
短剣も、鞘も、剣帯ごとなくなっている。
ダリウスは空の腰と武器の山を交互に見た。
「ぜーんぶ、あそこだよ」
若いシーフが武器の山を指す。
旅の剣士が堪えきれずに笑った。
第一騎士団は迷わなかった。
二人の騎士がダリウスの両腕を取り、石畳へ膝をつかせる。残る騎士たちは警備兵を一人ずつ離し、抵抗する意思がないことを確かめていった。
警備兵の中には市民を睨む者も、その場へ座り込む者もいた。全員がダリウスと同じ悪人ではないのだろうが、少女が殴られるのを黙って見ていた事実は消えない。
女性騎士が少女のそばへ向かい、自ら縄をほどいた。
少女の手首には、縄の跡が赤く残っていた。
「立てますか?」
少女は差し出された手を借り、自分の足で立った。
「あの……私だけじゃありません」
声はまだ震えていた。
「さっき、私のことを信じてくれた人たちには……何もしないでください」
女性騎士は群衆を見回し、うなずく。
「皆さんには証人として話を伺います。罪に問うことはありません」
張り詰めていた空気が、ようやく緩んだ。
歓声は起こらない。人々は隣にいる者と顔を見合わせ、確かめるように言葉を交わし始めた。
本当に終わったのか。もう怯えなくてもいいのか。
その答えを、互いの表情に探しているようだった。
若いシーフは騒ぎに紛れて立ち去ることも考えた。
落とした金貨を拾い、路地へ入れば追いつかれはしない。
だが、女性騎士がこちらへ歩いてくる。
彼女は武器の山ではなく、彼の手元を見ていた。
敵意でも、盗人を見る嫌悪でもない。
何かを確かめようとする目だった。
女性騎士は若いシーフの前で立ち止まる。
「あなた」
銀色の瞳が、わずかに細められた。
「今の手並みを、誰に教わったのですか?」




