第15話「雷鳴」
結界師の横を通り過ぎ、六人は三階へ続く石段を上がった。
二階よりも少し広い石室だった。
壁も床も灰色の石で組まれ、正面の壁際には、さらに上へ続く石段が見える。
その前に、一人の男が立っていた。
「……またいるな」
アゼルが足を止める。
男はアゼルより少し背が高い程度だった。
肩や腕は厚く、服の上からでも鍛えていることは分かる。だが、ガレスのような大柄な体格ではない。
目を引くのは、その両腕だった。
前腕から拳までを金属製のガントレットが覆っている。
いくつもの部品を組み合わせたような作りで、拳の表面には細い溝が走っていた。防具と呼ぶには厚いが、腕だけが不自然に大きく見えるほどではない。
「今度は見るからに戦う気がありそうね」
クレハが男を見る。
「聞こえてるか?」
アゼルが声を掛ける。
男は答えない。
六人が石室へ入っても、ただその場に立っている。
「また喋らねえのか」
ガレスが大剣を肩から下ろした。
その横で、エル爺だけが男の顔をじっと見ていた。
「おかしいのう……見間違いでなければ、あやつは二十年前に死んどる」
「え?」
リアが振り返る。
アゼルも男から目を離した。
「知ってるのか?」
「話したこともない。二十年前に見かけただけじゃ」
「それで覚えてるのかよ」
「わしは物覚えが良いんじゃ」
「良いって程度か、それ」
エル爺は答えなかった。
男の顔を見ていた目が、ゆっくりと両腕へ下がる。
「それにしても……厄介なもんを着けとるのう」
「一体あれは何なんだ?」
「あれは、魔力の扱いが達者でない者でも扱えるようにした魔道具じゃ」
言い終わると同時に、男の身体が沈んだ。
「アゼル!」
クレハの声が飛ぶ。
男が腰を深く落とす。
右腕が石床すれすれまで下がった。
次の瞬間、アゼルとの距離が消えた。
「っ!」
低い。
地を這うような姿勢から、右のガントレットが跳ね上がる。
アゼルは後ろへ退かなかった。
迫る拳へ片足を乗せる。
突き上げる力を足裏で受け、その勢いに合わせて後方へ跳んだ。
身体が空中で反転する。
拳をやり過ごした。
そのまま着地しようと足を伸ばした瞬間、ガントレットの表面を青白い光が走った。
「うわっ!」
足裏から衝撃が抜けた。
膝が勝手に曲がる。
空中で姿勢を崩したアゼルは、片手をつくこともできず背中から石床へ落ちた。
「高速で撃ち込んだのち、拳の面を当てることで雷撃を発生させるガントレットじゃ」
「早く言えよ!」
「さっき言おうとしたじゃろ」
アゼルは顔をしかめながら上体を起こした。
右脚を伸ばす。
まだ指先まで痺れている。
「やけに詳しいな」
「わしが構造を考えたからの」
「お前かよ!」
エル爺はアゼルの抗議を気にも留めず、男のガントレットを眺めていた。
やがて、目尻がわずかに下がる。
「まさか、あれから完成させた馬鹿者がおったとは……長生きはするもんじゃの」
小さく笑った。
馬鹿者と言いながら、どこか嬉しそうだった。
「感動してるところ悪いけど、弱点は?」
「無い! わしが考えたんじゃぞ」
「それは厄介だ」
アゼルは立ち上がった。
右足を一度踏み込んでみる。
痺れは残っているが、動ける。
武闘家がゆっくり拳を下ろす。
アゼルはその動きを見ていた。
踏み込みは速い。
拳も重い。
だが、攻撃を終えて次へ移るまでに、ほんのわずかな間がある。
「でも今分かった」
アゼルの口元が上がる。
「スピードなら勝てる! 拳の部分に当たらなければいいんだな!」
「それができたら問題ない」
「よし」
アゼルは足を前後に開いた。
低く腰を落とす。
そこからさらに身体を沈め、左手の指先を石床へついた。
額を地面すれすれまで下げ、右腕を真横へ伸ばす。
「シフト・オブ・ゼロ」
声を置き去りにして、アゼルの姿が消えた。
武闘家の拳が空を切る。
その脇腹へ、アゼルの拳が入った。
男の顔が向く。
そこにはもういない。
反対側から蹴りが入る。
振り向こうとした背中へ掌底。
武闘家が肘を振る。
アゼルはその下へ潜り込み、太腿へ蹴りを入れた。
拳が振り下ろされる。
横へ抜ける。
ガントレットが床を叩いた時には、その腕を足場にして跳んでいた。
肩を蹴る。
頭上へ抜ける。
身体をひねり、回転と落下の勢いを乗せた蹴りを背中へ叩き込む。
武闘家の身体が前へ傾いた。
着地したアゼルはすぐに床を蹴る。
右。
左。
背後。
一歩ごとに立つ場所が変わる。
武闘家の拳は、そのたびに少し前までアゼルがいた場所を通り過ぎた。
胸へ拳が入る。
脇腹へ膝。
身体が傾いたところへ、反対側から蹴り。
武闘家の頭が揺れる。
それでも拳を返してくる。
「反応はいいが、体がついて来ていないな!」
さらに踏み込む。
男が右を向けば左から。
左を向けば背後から。
拳を入れ、避け、蹴り、また離れる。
石室のあちこちで、短い打撃音が続いた。
ガントレットがアゼルを捉えることはない。
だが、武闘家の目だけは動いていた。
アゼルが右へ抜ければ右へ。
背後へ回れば、身体より先に視線が追う。
アゼルはそれを見ながらも、止まらない。
肩へ片足を掛け、そのまま跳んだ。
空中で身体をひねる。
踵が背中へ入った。
武闘家が前へ崩れる。
横から蹴りを重ねる。
身体が床を滑った。
立ち上がろうとしたところへ踏み込み、胸へ拳を入れる。
一発。
続けてもう一発。
さらに腹へ。
武闘家の膝が落ちた。
「これで!」
アゼルの前蹴りが胸の中央へ入った。
武闘家の身体が後方へ飛ぶ。
石壁へ背中を打ち、そのまま床へ崩れた。
「どうだ!」
アゼルが息を吐く。
男は動かない。
「さすがに今のは効いただろ」
返事の代わりに、武闘家の手が床へついた。
「……は?」
身体を起こす。
片膝を立てる。
ゆっくりと立ち上がった。
口元には血が滲んでいる。
呼吸も少し深くなっている。
だが、まだ両足で立っていた。
「鍛え方が違うな」
ガレスが低く言った。
「思ったほど効いてねえぞ」
「……みたいだな」
アゼルは武闘家を見る。
また目が合った。
あれだけ死角へ回った。
それでも、その視線だけは一度もアゼルを見失っていなかった。
武闘家が動いた。
アゼルは身構える。
だが、こちらへは来ない。
男は石室の端まで走ると、そのまま床を強く蹴った。
身体が高く上がる。
「飛んだぞ!」
ガレスが顔を上げた。
武闘家は空中で身体を反転させた。
両腕が下へ向く。
「散って!」
クレハの声に、全員が動いた。
武闘家が落ちてくる。
二つのガントレットが同時に石床へ叩き込まれた。
腹の底まで響くような重い音が、石室を揺らした。
その直後。
武闘家を中心に、青白い雷が四方へ走った。
「うわっ!」
アゼルが跳ぶ。
足元を光が抜けていく。
一本ではない。
何本もの雷が床の上で枝分かれし、石材の目地に沿うように石室いっぱいへ広がっていく。
クレハが横へ跳んだ。
そのすぐ後ろを雷が追う。
ガレスは大剣を床へ突き、腕の力で身体を持ち上げた。
雷が靴の下を走り抜ける。
「危ない!」
レオンがリアの腕を引いた。
二人のいた場所へ光が走る。
「こっちです!」
リアが別の隙間へ足を向ける。
だが、床を這う雷は一方向から来るわけではない。
壁へ近づけば、別の筋が横から伸びてくる。
アゼルは着地すると同時に、再び跳んだ。
「止まるな!」
武闘家が両腕を床から引き抜く。
身体を起こす。
左右のガントレットを胸の前へ構えた。
エル爺が杖を上げた。
「まだ来るぞ!」
二つの拳が動いた。
一度だけ。
高速で振られた両腕が、胸の前で強くぶつかる。
硬い金属音が石室いっぱいに響いた。
同時に、ガントレットの間から雷が弾けた。
今度は床だけではない。
青白い光が武闘家を中心に膨れ上がり、空中へ枝を伸ばす。
壁へ届く。
天井へ届く。
石へ触れた雷が向きを変え、さらに別の場所へ跳ねる。
「っ!」
アゼルが身体を反らした。
目の前を雷が抜ける。
着地する。
今度は横から来る。
しゃがんで避けた頭上で、光が壁へ弾けた。
「こいつ、どこまで飛ばすんだよ!」
ガレスが大剣を盾のように構えかける。
「金属を前に出すでない!」
「先に言え!」
「見れば分かるじゃろ!」
慌てて大剣を引く。
その横を雷が走った。
クレハは壁際へ跳ぶ。
雷が目の前を横切り、足を止めた。
逃げ道を探して視線を動かす。
床にもまだ青白い光が走っている。
「リア!」
アゼルが叫んだ。
リアが振り返る。
足元。
床を這う雷が迫っている。
横へ逃げる。
その先へ、空中を走った雷が伸びた。
「……っ!」
リアの足が止まった。
右から光。
左からも来る。
後ろは壁。
レオンが走った。
「レオンさん!」
リアの前へ身体を滑り込ませる。
その背中へ雷撃が入った。
「ぐっ……!」
レオンの身体が大きく反った。
腕が開く。
足が床から離れた。
それでも、倒れない。
片足が床を捉える。
続いてもう片方。
歯を食いしばり、リアの前に立ったまま耐える。
「レオンさん!」
「下がってろ……!」
声が掠れていた。
腕も震えている。
レオンはそれでも一歩前へ出ようとした。
そこで脇腹を押さえた。
「……っ」
指の間から血が滲む。
包帯へ赤い色が広がっていく。
リアの顔から血の気が引いた。
「傷が……!」
レオンの膝が床についた。
片手をつく。
呼吸が乱れる。
それでも顔を上げた。
リアはまだ、自分の後ろにいる。
石室を走っていた雷が、少しずつ消えていく。
その残光の向こうで、武闘家が胸の前から両腕を下ろした。
何も言わない。
レオンが剣を拾おうと手を伸ばす。
指先が届くより先に、武闘家が一歩を踏み出した。
そのまま、レオンとリアへ向かって歩き始めた。




