第16話「拳が止まる場所」
武闘家が、レオンとリアへ向かって歩いてくる。
レオンは床についた手へ力を込めた。
「レオンさん、動かないで!」
「まだ……やれる」
剣へ指を伸ばす。
武闘家の足が、その手前で止まった。
レオンが顔を上げる。
次の瞬間、脇腹へ蹴りが入った。
「ぐっ……!」
身体が横へ飛ぶ。
床を転がり、そのまま壁際まで滑った。
「レオンさん!」
リアが駆け寄ろうとする。
その前へ、武闘家が立った。
リアの足が止まる。
すぐ後ろは壁だった。
武闘家が右拳を引く。
ガントレットの表面を、青白い光が走った。
「リア!」
アゼルが床を蹴る。
遠い。
武闘家の拳が振り抜かれた。
リアが目を閉じる。
頬の横で、強い風が動いた。
「……?」
恐る恐る目を開く。
拳が止まっていた。
鼻先から、わずかに離れたところで。
ガントレットの表面には、まだ細い雷が走っている。
それでも拳は動かない。
武闘家はしばらくリアを見たあと、ゆっくりと腕を下ろした。
アゼルも足を止める。
「……こいつとはダチになれそうだな」
「俺も思った!」
「なに呑気なこと言ってるの! 二人とも!」
クレハの声が石室へ響いた。
武闘家が振り返る。
再び、アゼルたちへ向き直った。
「ダチになれそうでも、通してくれる気はねぇか」
「早く終わらせよう。レオンが心配だ」
ガレスが大剣を構える。
その後ろで、リアはレオンのもとへ駆け寄った。
「傷を見せてください」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃありません!」
脇腹の包帯は、半分以上が赤く染まっている。
レオンが起き上がろうとすると、リアが肩を押さえた。
「今度こそ動かないでください」
「だが……」
「ダメです」
レオンが黙る。
武闘家の視線が二人へ向いた。
ガレスが大剣を握り直す。
「エル爺! さっきのとんでもない炎、出してくれ!」
「ええのか?人の焼ける匂いは、嗅ぎたくないじゃろう」
「そうだな! やっぱそれはナシ!」
「ほっほ。決断が早いのう」
エル爺が杖を床へ向けた。
レオンとリアの前で石床が盛り上がる。
隙間から押し出された土と砕けた石がせり上がり、二人を囲うように厚い壁を作った。
「そこから出るでないぞ」
「ありがとうございます!」
武闘家が腰を沈めた。
「来る!」
アゼルが走る。
武闘家も前へ出た。
拳が届くより先に、ガレスの大剣が横から割り込む。
武闘家が身体を引いた。
鞘に収まったままの大剣が胸元をかすめる。
そのままガレスが振り抜く。
武闘家は後ろへ跳んだ。
着地すると同時に、両拳を石床へ叩き込む。
青白い雷が再び四方へ走った。
アゼルが跳ぶ。
ガレスも大剣へ体重を預け、両足を床から浮かせる。
クレハは動かなかった。
床を走る光を見ている。
雷は石材の隙間を伝いながら枝分かれしていく。
その一本が、エル爺の作った土壁へ届いた。
青白い光が表面を走る。
だが、土へ触れたところから勢いを失い、床へ散っていった。
クレハの目が細くなる。
腰へ手を伸ばした。
指の間に、四本の細い鉄針が並ぶ。
「クレハ?」
「ちょっと避けて!」
アゼルが横へ跳ぶ。
クレハの両腕が動いた。
二本。
続けて、もう二本。
鉄針が低く飛ぶ。
狙っているのは石そのものではない。
石材と石材の間に走る細い目地だった。
四本の鉄針が、それぞれ離れた場所へ突き立つ。
武闘家が再び両拳を床へ打ち込んだ。
雷が走る。
だが、先ほどのようには広がらなかった。
床を這っていた光が途中で分かれ、それぞれ四本の鉄針へ向きを変える。
針を伝った雷が四方へ流れ、勢いを失っていく。
アゼルの足元まで伸びてきた光は、細い筋を残しただけで消えた。
エル爺が小さく笑う。
「ほう」
武闘家が両腕を上げた。
アゼルが身構える。
だが、拳は胸の前へ向かわなかった。
右のガントレットへ左手を掛ける。
留め具を外した。
重い金属が床へ落ちる。
続けて左も外した。
二つのガントレットが、武闘家の足元へ並ぶように転がった。
「……外した?」
アゼルとの距離まで4歩ほど。
武闘家が軽く腕を振る。
腰を落とした。
次の瞬間。
「っ!」
拳が、もうアゼルの顎の下にあった。
アゼルは反射的に後ろへ跳ぶ。
身体を反転させる。
拳が鼻先をかすめた。
そのまま回転する途中、アゼルのつま先が武闘家の顎を下から蹴り上げた。
顔が跳ね上がる。
だが、武闘家はその勢いに逆らわなかった。
後方へ身体を投げ出し、そのまま空中で蜻蛉を切る。衝撃を回転へ逃がし、両足で床を捉えた。
着地した瞬間、二人の視線がぶつかる。
ほとんど同時だった。
アゼルが後ろへ跳ぶ。
武闘家も跳んだ。
一度、バク転。
続けざまにもう一度。
二人はまるで示し合わせたように同じ動きで距離を取り、同時に構え直した。
「……さっきより速くなったな」
武闘家が構える。
アゼルも腰を落とした。
二人が同時に床を蹴る。
中央。
アゼルの拳が先に伸びる。
頬へ入った。
武闘家の顔がわずかに横を向く。
すぐに拳が返る。
アゼルは身体を沈めてかわした。
脇腹へ一発。
さらに肩。
武闘家が腕を振る。
アゼルはその外へ抜ける。
距離が開く。
互いに向き直る。
また走る。
今度もアゼルの方が早い。
胸へ拳。
続けて腹。
武闘家の身体が揺れる。
拳が返ってくる。
アゼルは横へ抜けた。
「まだ俺の方が速い!」
再び距離が開く。
武闘家の目だけは、ずっとアゼルを追っている。
三度目。
中央へ飛び込む。
アゼルが先に頬を打つ。
反対側へ回る。
脇腹へ蹴り。
武闘家の身体が傾く。
それでも倒れない。
アゼルが背後へ抜ける。
振り返る。
また目が合った。
「……」
武闘家が走る。
アゼルも前へ出た。
拳が先に胸へ入る。
続けて腹。
武闘家の身体がわずかに揺れた。
アゼルがもう一歩踏み込む。
頬へ拳が入る。
顔が横へ振れる。
だが、武闘家は止まらずさらに踏み込んだ。
「なっ……」
そのまま一歩、前へ出る。
アゼルの拳を受けたまま。
武闘家の右拳が大きく引かれた。
直後、拳が一瞬で線を引いたように走る。
避けるより先に、腹へ深く入った。
「ぐっ……!」
アゼルの身体が浮く。
大きく後ろへ飛ばされた。
床へ落ち、そのまま何度も転がる。
「アゼル!」
クレハが声を上げる。
アゼルはすぐに手をついた。
だが、息が抜けたまま立ち上がれない。
「……重いっ」
武闘家が歩き出す。
アゼルへ向かって。
その前へ、大剣が下りた。
「ガレス!」
ガレスが武闘家との間へ割って入る。
「俺に任せろ!」
大剣を横へ振る。
武闘家が身を引く。
すぐに懐へ入った。
拳が腹へ入る。
「ぐっ……!」
ガレスの身体が折れる。
続けて頬。
頭が振られる。
蹴りが胸へ入った。
数歩下がる。
それでも踏みとどまった。
口元の血を腕で拭う。
「タフなのはお前だけじゃねえ! 存分に撃ってみろ!」
武闘家が踏み込む。
拳。
肘。
蹴り。
ガレスは大剣を盾にしながら受ける。
身体が揺れる。
足が滑る。
それでも前から退かない。
アゼルはゆっくりと立ち上がった。
腹を押さえながら、二人を見る。
武闘家の肩。
腰。
足。
拳。
そして、目。
ガレスへ拳を入れながらも、アゼルがわずかに右へ動けば、視線がこちらへ向く。
左へ。
また追う。
「……」
武闘家の蹴りがガレスの胸へ深く入った。
「ぐっ!」
身体が後ろへ飛ぶ。
床を転がり、大剣とともに倒れた。
「まだまだー!」
ガレスの咆哮。
ダメージは確実にある。だが立ち上がる。
一瞬で距離を詰め、体重を乗せた前蹴り。
再びガレスは吹き飛び倒れる。
武闘家は3度その場からバク転で距離を取った。
その場所には、二つのガントレットが並んだまま残っていた。
ガレスが片手を床につく。
「まだ……!」
身体を起こそうとする。
武闘家が足を振った。
一つのガントレットが床を滑る。
「うおっ!?」
起き上がりかけたガレスの胸へぶつかった。
身体が再び床へ落ちる。
「……それはずるいだろ!」
アゼルが思わずそちらを見る。
「いいから前見ろ!」
「元気だな!」
「うるせえ!」
アゼルが武闘家へ向き直る。
息を一つ吐いた。
さっきまでより、肩の力が抜けている。
「……そういうことか」
武闘家が構える。
アゼルも身体を沈めた。
二人が走る。
中央。
アゼルの拳がわずかに早く届く。
武闘家の腕が動く。
逸らされる。
脇腹へ拳が返る。
身体をひねってかわす。
二人がすれ違った。
距離が開く。
また走る。
今度はアゼルが右から入る。
武闘家の目が先に動く。
蹴りへ切り替える。
武闘家の身体が沈む。
足が頭上を抜ける。
肩を押され、アゼルが横へ流れる。
着地。
すぐに向き直る。
アゼルは武闘家の目を見た。
ガントレットを着けていた時も。
外した後も。
こちらが動けば、必ずその目が追ってくる。
「クレハ!」
「なに!」
「あいつの視線を外せるか?」
クレハが一瞬だけアゼルを見る。
その目が床へ動いた。
先ほど打ち込んだ四本の鉄針。
「一瞬でいい?」
「ああ!」
「分かった!」
左右の手に一本ずつ、新しい鉄針を取る。
武闘家はアゼルを見ている。
アゼルも正面から見返した。
二人が少しずつ離れる。
石室の両側。
武闘家が腰を沈める。
アゼルも構えた。
同時に床を蹴る。
クレハの両手が動いた。
二本の鉄針が、武闘家の左右を抜ける。
その背後。
床へ突き立っていた二本の鉄針へ、正確にぶつかった。
二つの澄んだ金属音が、ほとんど同時に左右から響く。
武闘家の目が動いた。
ほんの一瞬。
アゼルから外れた。
「そこだ!」
踏み込む。
武闘家の顔が戻る。
だが、遅い。
アゼルの拳が胸へ入った。
続けて肩。
さらに脇腹へ蹴り。
武闘家が大きく傾く。
アゼルは止まらない。
懐へ潜る。
掌底が胸へ入る。
武闘家が数歩下がった。
その背後には、ガントレットを外した場所が近づいている。
「アゼル!」
ガレスの声が飛ぶ。
アゼルが横へ抜ける。
武闘家の後方。
床を滑る金属の音が近づいてきた。
「お返しだ!」
ガレスが先ほど自分へ蹴り飛ばされたガントレットを、鞘の腹で打ち出していた。
床すれすれを走った金属の塊が、武闘家の足首へ入る。
足が流れる。
身体が前へ傾いた。
手をつこうと腕を伸ばす。
その先。
最初に外された場所から動いていない、もう一つのガントレットがあった。
拳の部分が、わずかに上を向いている。
武闘家の顎がそこへ入った。
頭が大きく跳ね上がる。
そのまま身体が床へ落ちた。
「効いたろ!」
ガレスが大剣を支えに立つ。
武闘家の指が動いた。
「……まだ立つのか」
アゼルが構え直す。
武闘家は両手を床についた。
しばらくそのまま動かない。
やがて、ゆっくりと頭を起こした。
口元から血が流れ落ちる。
顎へ一度手をやり、立ち上がる。
アゼルは笑わなかった。
武闘家も拳を構えない。
二人はしばらく見つめ合った。
やがて、アゼルが後ろへ下がる。
一歩。
もう一歩。
武闘家も反対側へ下がった。
石室の中央に、広い空間ができる。
腰を落とす。
武闘家も同じように身体を沈める。
二人が同時に床を蹴った。
距離が一気に縮まる。
アゼルの方が、ほんのわずかに早い。
中央。
武闘家の拳が伸びる。
アゼルが顔をずらした。
頬の横を拳が抜ける。
そのまま懐へ入る。
右足を軸に身体を回す。
踵が武闘家の顔へ向かった。
武闘家は避けなかった。
アゼルの足が止まる。
頬のすぐ横。
あと少し伸ばせば届く距離で。
風だけが、武闘家の髪を揺らした。
誰も動かなかった。
アゼルがゆっくりと足を下ろす。
武闘家は目の前のアゼルを見る。
拳を下ろした。
横へ一歩退く。
背後にあった石段への道が空いた。
「……通っていいってことか?」
返事はない。
「最後まで喋らないんだな」
アゼルが頭を掻く。
ガレスが足を引きずりながら近づいてきた。
「気が合いそうなのに惜しいな!」
クレハが呆れたように息を吐く。
エル爺が土壁を崩す。
リアがレオンの肩を支えて出てきた。
レオンは脇腹を押さえたまま、武闘家を見る。
何か言おうとして、やめた。
代わりに、小さく頭を下げる。
武闘家は動かなかった。
六人は石段へ向かう。
アゼルは一段目へ足を掛ける前に、振り返った。
石室には、何本もの鉄針と二つのガントレットが残っている。
その間に、武闘家が立っていた。
もう拳は構えていない。
アゼルも何も言わず、階段を上がった。
その後を、仲間たちが続く。
三階の石室から、追ってくる足音はなかった。




