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正義のシーフは勇者になりたい  作者: 小暮ハル


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第13話「ただの塔」

 木々が途切れた場所から、塔までは遠くなかった。


 腰ほどの草を分けて進むと、灰色の石壁が次第に大きくなる。遠くから見た時と変わらず、近づいても目を引く装飾は見当たらない。長い年月の間に欠けた石と、隙間へ入り込んだ苔があるだけだった。


 塔の前まで来ると、アゼルはその壁を見上げた。


「思ってたより、普通だな」


「塔なんだから、こんなものじゃない?」


 クレハは周囲へ目を配りながら答えた。


「勇者になれる場所だって噂もあるからな。扉に剣でも刺さってるのかと思った」


「それを抜いたら勇者か?」


 ガレスが鼻で笑う。


「お前なら、扉ごと引き抜きそうだけどな」


「俺を何だと思ってる!」


 ガレスの声が石壁へぶつかり、森の方まで響いた。

 リアが慌てて口元へ指を立てる。


「静かにしてください。中に誰かいるかもしれません」


「悪い」


 ガレスは素直に声を落とした。


 塔の入口には、両開きの木の扉があった。

 表面は雨風に晒され、ところどころ白く乾いている。片側がわずかに開き、細い隙間の向こうには暗がりが続いていた。


 アゼルは扉の前へしゃがんだ。


「何かある?」


 クレハが背後から覗き込む。


「待て」


 敷居の内側に、土のついた足跡がいくつか残っていた。

 積もった埃も、その周囲だけ薄くなっている。


「誰かがここを通ってる」


「アルトか?」


「たぶんな。古い跡じゃない」


 扉の縁と蝶番も確かめる。

 仕掛けらしいものはなく、鍵も掛かっていなかった。


「何もない」


「本当に?」


「こういう時だけは信用しろよ」


 アゼルは扉の隙間へ指を掛けようとした。


「待つんじゃ」


 杖の先が、扉とアゼルの間へ差し出された。


 振り返ると、エル爺は五人を見回していた。


 いつもの笑いはなかった。


「もう一度だけ聞いておく。本当に、この塔へ登るんじゃな?」


「さっきも聞いただろ」


「あれは塔へ向かうかどうかじゃ。今度は、この中へ入るかと聞いておる」


 アゼルには、その違いが分からなかった。


 目の前にあるのは、古びた木の扉だ。

 隙間の向こうには、薄暗い石壁が見えるだけだった。


「答えは変わらない」


 アゼルはエル爺を見る。


「俺はアルトを追う。あいつがこの中にいるなら、ここで帰る理由はない」


 返事をしたのはアゼルだけだった。


 だが、誰も来た道へ目を向けなかった。


 レオンは腰の剣へ手を添えた。クレハとガレスもその場を動かず、リアは不安そうに眉を寄せながらも、エル爺をまっすぐ見返していた。


 エル爺は五人の顔を一人ずつ見ると、杖を下ろした。


「そうか」


 アゼルは隙間へ指を掛け、ゆっくりと扉を開いた。


 蝶番が低く軋む。


 中から流れてきたのは、土と埃の匂いだった。


 塔の一階には、何もなかった。


 丸みを帯びた石壁に囲まれた、がらんとした空間があるだけだった。壁際には上へ続く石段があり、細い窓から差し込んだ光が床を斜めに照らしている。


 机も、椅子もない。

 何かが祀られているわけでもなければ、古い武具が並んでいるわけでもない。


 クレハが部屋を一周し、壁へ手を触れた。


「隠し扉もなさそうね」


「地下へ下りる道もない」


 レオンも入口の周囲を確認する。


「本当に、何もありませんね」


 リアの声が、空の塔へ小さく響いた。


「昔からこうだったのか?」


 アゼルはエル爺を見る。


「うむ。少なくとも、ここまでは変わっておらん」


「じゃあ、上も同じか」


「さての」


「そこは分からないのかよ」


「何年前の話じゃと思っておる。中の様子が多少変わっていても不思議ではあるまい」


 それ以上は答えず、エル爺は髭を撫でた。


 ガレスが部屋の中央まで進み、天井を見上げる。


「こんな何もない場所に、よく調査へ来たな」


「何もないかどうかを調べるのも、調査のうちじゃ」


「で、本当に何もなかったのか?」


「一階にはの」


 それ以上を聞かれる前に、エル爺は石段へ向かった。


 杖の先が石を叩く。


 乾いた音が、一段ずつ上へ昇っていった。


 石段は、塔の壁に沿って緩やかに続いていた。


 幅は二人が並べるほどもない。アゼルが先頭を歩き、その後ろをクレハ、レオン、リア、ガレスが続く。エル爺は最後尾から、急ぐ様子もなく杖をついていた。


「傷は大丈夫ですか?」


 前を歩くレオンへ、リアが尋ねる。


「この程度なら問題ない」


「痛んだら言ってくださいね」


「分かっている」


「本当に?」


「……痛んだら言う」


 後ろからガレスの笑い声が聞こえた。


「信用がないな」


「お前に言われたくはない」


「俺は無理をしても平気だからな!」


「それは平気とは言わないと思います」


 リアにすぐ否定され、バツが悪そうにガレスは黙った。


 アゼルは足を止めず、段の端へ目を向ける。


 角が少し丸くなっている。

 大勢が歩いた跡なのか、ただ長い時間に削られただけなのかは分からない。


 段を上るにつれ、入口から差し込んでいた光が遠くなる。代わりに、壁へ開いた細い窓から白い光が落ちていた。


 明かりを用意する必要もない。

 息苦しさもなく、妙な音が聞こえることもなかった。


 古い石段を上っている。


 ただ、それだけだった。


 やがて、階段の先に踊り場が見えた。


 正面には、閉じた扉がある。

 一階の入口より小さく、石壁の中へ収まるように造られた扉だった。


 アゼルは最後の一段を上がり、扉の前へ立つ。


 取っ手へ手を掛けた。


 鍵は掛かっていない。


 ゆっくりと押す。


 扉は重い音を立てながら、奥へ開いていった。


 二階にも、石造りの部屋が続いていた。


 細い窓から差し込む光。

 埃の積もった床。

 何の飾りもない壁。


 一階と、ほとんど変わらない。


 ただ一つ。


 部屋の中央に、人が立っていた。


 アゼルは重心を落とし、人影の動きを見た。


 クレハとレオンも、すぐに身構えた。

 その後ろで、ガレスが大剣の柄を握った。


 最後尾で、エル爺の杖が止まった。


「……おかしいの」


 小さな声だった。


 アゼルは人影から目を離さずに尋ねる。


「何がだ?」


 エル爺は人影を見つめたまま、少しだけ間を置いた。


「わしが昔登った時には、こんな者はおらなんだ」

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