第11話「剣が師匠」
レオンが一行へ加わってから、半刻ほどが過ぎた。
リアの手当てと休憩が効いたのか、先ほどまでより歩調は安定している。左脚を着くたび、わずかに顔をしかめてはいたが、遅れずについてきていた。
「無理をしないでくださいね」
「分かっている」
「本当ですか?」
「……できるだけ、無理はしない」
少しだけ言い直した。
リアはまだ心配そうだったが、それ以上は何も言わず、レオンの歩幅に合わせた。
アゼルは二人の少し前を歩きながら、何度か後ろを振り返った。
怪我をしているからといって、手を貸され続けるのは嫌なのだろう。レオンは休もうとも、荷物を持ってくれとも言わない。
その代わり、前を歩くガレスの背中を何度も見ていた。
正確には、その背負った大剣を。
「ガレス、と言ったか」
「おう」
「あの剣術は、どこで習った?」
ガレスは歩いたまま、少しだけ首を傾けた。
「さっき山犬を追い払った時のことか?」
「そうだ。あれほど長い剣を、林の中で枝にも触れずに扱っていた。力だけでできる動きではない」
「分かるか!」
褒められたのが嬉しかったらしい。ガレスは勢いよく振り返り、危うく後ろ向きに歩き始めるところをクレハに止められた。
「前を見て歩きなさい」
「分かってる!」
「今、道端の石を踏み外しかけたでしょう」
「あれは避けたんだ!」
言いながら前へ向き直り、ガレスは背中の大剣を親指で示した。
「基本は騎士団だな。足の運び方も、構えも、相手の剣の受け方も、そこで教わった」
「やはり、正式に学んでいたのか」
レオンは小さくうなずいた。
「いい指導者がいたんだな」
「ああ。怖い教官も多かったが、教わったことは今でも役に立ってる」
ガレスはあっさり認めた。
だが次の瞬間、背中から大剣を下ろし、鞘に収めたまま肩へ担いだ。
「だが、こいつは訳が違う!」
急に声が大きくなる。
「普通の剣と同じように振ろうとしたら、こっちが振り回される。足の位置が少し悪いだけで踏み込めねえ。腰が遅れりゃ、剣の重さに身体を引っ張られる。息を吸うところを間違えたら、次の一撃へつながらん」
ガレスは鞘の腹を軽く叩いた。
「こいつは重いからな。誤魔化しが利かねえんだ。振り方を間違えれば、毎回きっちり教えてくれる」
「剣が、教える?」
「おう。今のは違うってな」
ガレスは楽しそうに笑った。
「言わば、この剣が師匠ってとこだな」
レオンは意外そうに大剣を見た。
「扱い方は、自分で身につけたのか」
「この大きさの剣を教えられる奴が、騎士団にいなかったからな。最初は立って構えるだけで精一杯だったぞ」
「お前にも、そんな時があったのか」
アゼルが口を挟む。
レオンの口元が、ほんの少し緩んだ。
だが、すぐに自分の腰へ目を落とす。
「俺には、師と呼べる人間はいない」
使い込まれたショートソードの柄へ手を添えた。
「村を守るために必要だったから、剣を持った。獣に噛まれない立ち方も、野盗を村へ入れない間合いも、戦いながら覚えた。誰かに習ったことはない」
「それで、あれだけ動けるなら大したもんだろ」
「だが、我流だ」
ガレスは何か言おうとしたが、先を歩くクレハが手を上げた。
「今日は、あの岩場で休むわ」
木々の向こうに、大きな岩が重なる場所が見えていた。風を避けられ、近くには細い沢も流れている。
レオンは言葉を止め、再び歩き出した。
その横顔には、まだ何か言い足りないものが残っているように見えた。
翌朝。
雨上がりの山道には、湿った土と草の匂いが満ちていた。
レオンは傷の具合を確かめながら、何度かゆっくりと脚を曲げる。痛みは残っているようだが、昨日より動きは軽い。
「走ったり、大きく踏み込んだりしなければ大丈夫です」
包帯を確かめたリアが言う。
「それと、傷が痛んだらすぐに教えてください」
「分かった」
「昨日みたいに、できるだけではなく?」
「……無理はしない」
「約束ですよ」
レオンがうなずくのを見届け、リアはようやく立ち上がった。
六人は朝靄の残る山道を進んだ。
最初に異変へ気づいたのは、アゼルだった。
前方の茂みで、枝が不自然に揺れた。
風とは逆の方向へ。
「止まれ」
声を落とした直後、黒い塊が茂みを突き破った。
大きな猪だった。
肩の高さはアゼルの胸近くまであり、口の両脇から伸びた牙は土で汚れている。濁った目を見開き、口から白い泡を垂らしていた。
猪は道へ飛び出すなり、迷うことなく六人へ突っ込んでくる。
「散れ!」
アゼルの声に、全員が左右へ分かれた。
猪はそのまま走り抜け、岩へ牙をぶつけた。鈍い音が響き、石の欠片が飛ぶ。
普通なら、そこで逃げるはずだった。
だが猪はすぐに向きを変え、再び地面を蹴った。
さらに奥の茂みから、もう一頭が姿を現す。
「逃げる気がないな。魔獣か?」
「そのようじゃな」
エル爺は短く答え、リアの前へ立った。
一頭目がガレスへ突っ込む。
ガレスは大剣を鞘ごと横へ構えた。正面から受け止めず、牙へ鞘の腹を当てて身体を半歩ずらす。猪の勢いが横へ流れ、巨体が斜面へ滑った。
二頭目は、空いた道を抜けてリアへ向かう。
アゼルが小石へ手を伸ばすより早く、レオンがその前へ出た。
大きくは踏み込まない。
猪の正面にも立たない。
斜めから剣の腹を牙へ当て、手首と腰を返す。猪の頭がわずかに逸れた。突進の向きが、リアから道端の木へ変わる。
ぶつかる直前、レオンはすでに一歩下がっていた。
猪が木の根元を抉る。
振り向く前に、レオンの剣が前脚の付け根を斬った。
獣の身体が傾く。
それでも止まらない。
牙を振り上げ、レオンへ食らいつこうとする。
レオンは追撃せず、剣を身体の前へ戻していた。牙を受け流し、もう一度、相手とリアの間へ立つ。
「傷は大丈夫なのか!」
アゼルが声を上げる。
「走っても、大きく踏み込んでもいない!」
「そういう抜け道を探すなよ!」
「できることをしているだけだ!」
言い返しながらも、レオンの視線は魔獣から離れない。
倒すことだけを考えた剣ではなかった。
猪がどちらへ向かうか。
後ろに誰がいるか。
一撃のあと、自分がどこへ戻れば次を止められるか。
その全てが、村の入口に立ち続けた者の動きだった。
一頭目が斜面から戻ってくる。
クレハの鉄針が鼻先の地面へ突き立ち、猪の足を止めた。
その横からアゼルが駆け込む。
短剣を抜き、前脚の付け根へ斬りつけた。
刃は入った。
だが、巨体を止めるには浅い。
猪が怒りに任せて頭を振る。
「ガレス!」
「おう!」
振り下ろされた大剣の鞘が、猪の額を捉えた。
巨体が地面へ沈む。
残る一頭は、まだリアへ向かおうとしていた。
レオンが牙を受け流す。
今度は獣の勢いに逆らわず、その横へ並ぶように身体を回した。
無防備になった首元へ、ショートソードが深く入る。
猪は数歩進み、力を失って倒れた。
レオンはすぐに剣を引き抜いた。
倒れた獣ではなく、周囲へ目を向ける。
茂みの奥。
斜面の上。
別の気配がないことを確かめてから、ようやく息を吐いた。
「本当に無理をしていませんか?」
リアが駆け寄る。
「大丈夫だ。傷は開いていない」
「見せてください」
「今ここでか?」
「今ここでです」
有無を言わせない声だった。
レオンは大人しく脇腹の包帯を見せる。
ガレスはその横へ来ると、倒れた魔獣とレオンを交互に見た。
「お前も十分強いじゃないか。さすが勇者と呼ばれるだけのことはあるな」
レオンの表情が固くなった。
「……だが、我流だ」
「またそれか」
「正式に剣を学んだ者とは違う。それに、俺は勇者と呼ばれる資格はまだない」
ガレスは腕を組んだ。
何か深く考えているような顔で、レオンを見つめる。
やがて、首を傾げた。
「ふーん、そんなもんかね」
「……何?」
「剣振ってれば剣士だろ」
あまりにも簡単に言うものだから、レオンは言葉を失った。
「だが、型も流派も――」
「知らん。お前が剣であいつを止めたのは見た」
今度こそ、レオンは何も返せなかった。
ガレスは答えを待たず、大剣を背負い直した。
「それより、傷が開いてなくてよかったな! もう一回倒れたら、今度こそ俺が背負うぞ!」
「それは断る」
「遠慮するな。大剣より軽い!」
「重さの問題ではない」
「なら何の問題だ?」
「全部だ」
いつもの調子に戻ったガレスを見て、アゼルは笑った。
答えらしいことを言ったつもりはないのだろう。
剣を振っている。
だから剣士。
ガレスにとっては、それだけの話らしい。
だがレオンは、歩き出してからも黙っていた。
時折、自分のショートソードへ目を落とす。
長く使い込み、何度も研ぎ直した剣。
誰かに授けられたものでも、勇者の証でもない。
それでも、その剣で村を守ってきた。
レオンは柄から手を離し、山の奥へ目を向けた。
木々の向こうには、まだ塔の姿は見えない。
その足は変わらず、答えを求める場所へ向かっていた。




