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05

 それはいつも通りの日だったはずだ。

 いつも通りに授業を終えて、図書室で勉強をする。

 いつも通りリアム様は美しくて、私に優しく笑ってくれて……。


 それなのに、今私の腕の中にいる彼は凄絶な色気を持って、私のαを求めている。



「……ねぇ、ハンナ。僕を君のものにして……、君だけのΩに……」


 むせかえるような、魅惑的で甘い香りにαとしての本能がうずく。

 でも、いまここで一線を越えてしまったら、この人はきっと絶望する。

 貴族として家族を支えようと懸命なこの人を私は知っている。

 Ωという性だけで評価されてしまう苦悩を知っている。

 Ωという性を嫌悪しているのを知っている。


「リアム様、大丈夫ですから。何も心配しないで」


 うわごとのように私の名を呼び、「君のΩにして」と囁く甘い誘惑から逃れるように彼の頭を抱き耐える。


 誰にもこの人を傷つけさせない。

 それがαである私が唯一できること。


 リアム様を抱きしめ直し、他人を近づけさせないように周りを牽制する。

 未成熟なαである私なのでそれで牽制になっているか分からないけれど、それでも私はこの人を守らなければいけない。


「ハンナ、僕のα……」


 うっとりとし、私に体を預けてくるリアム様を突き飛ばしてでも逃げ出したい気持ちはあった。

 だって、これ以上一緒にいたら傷つけてしまう。

 守りたいと思っても、私はどうしたって傷つける側のαだ。初めて間近で浴びた、成熟したΩのフェロモンにあてられて、今まで静かだった私の本能が激しく蠢いている。

 その蠢きに身を任せ、αとしての本能が開花してしまったら、もう私はリアム様と一緒にはいられない。

 私がαとして未成熟だったから傍にいられた関係なのだ。

 私が完成してしまったら、彼を傷つける存在になってしまう。


「……助けて、ハンナ」


 どのような意図で放たれた言葉かは分からなかったけれど、私に理性を取り戻させるのは十分で、この取り戻した理性を手放さないように、自身の唇を強く噛んだ。


 早く、誰かリアム様を私から引き離して……!!!


 その願いが通じたのか、誰かが呼んだβである養護教諭が図書室へ駆け込んできて無事にリアム様は私の腕から離れていった。


「ハンナ!ハンナ!!助けてよ!!ハンナ!!」


 私に手を伸ばして抵抗するリアム様には即効性の鎮静剤が打たれて、くたりと養護教諭の腕の中で気を失い大人しくなった。

 少し薄くなったΩのフェロモンにふぅっと息を吐く。それでもまだクラクラしていて、うっかりするとリアム様に噛みつきかねない。


「あなたも手当が必要ね」

「え?」

「傷だらけよ」

「あ……」


 見れば腕には爪を立てた痕が無数にあって、血が滲んでいた。

 それは私が理性を保つためにつけたものもあれば、リアム様が混濁した意識の中で私をどうにか振り向かせようとつけたものもあるのだろう。


 その場でαの興奮を抑える鎮静剤を打ってもらい、手当をしてもらったけれど、私よりもリアム様を優先して欲しかった。


 彼に誰も近づけないようになっているとはいえ、この場で寝かせておかずに、隠して欲しかった。

 このままではヒートを起こした哀れな貴族のΩとしてまた噂が広がる。

 それを言ったのに、養護教諭は聞き入れてはもらえず私が優先された。


 平民であっても貴重なα。この学園で優先されるのは、身分よりも第二の性であるのだから。

 そもそも学園の認識では私がΩのヒートに巻き込まれた「被害者」だ。加害者よりも被害者を優先するのは当然という認識なのだろう。


「ごめんなさい、リアム様」


 体格のいい教師に抱えられていく姿を見送りながら、そう言葉にする。


 守れなかった。

 守りたかったのに守れなかった。

 Ωとして醜態を晒したと明日には噂が駆け巡っているだろう。

 どんなに私が否定したところで、きっと消えなくて、さらに孤立を深めてしまう。

 今まで以上に周りはあなたを性的にみて、あなたの尊厳を殺す。


 守りたかった。

 でも、きっと私が一番あなたの隣にいたら危険だから。

 一瞬でも、うなじにかみついて番にしてしまいたいと思った私は、もうあなたの隣にいられない、そう思った。



 翌日登校すると、リアム様のうわさで持ちきりだった。

 そして、学園側だけではなく、生徒すら私をΩに誘惑された可哀想な被害者とみていることに、すごく戸惑った。

 だって、ヒートはΩには必ずあるもので、生理的な現象だ。それをコントロールできるならば、リアム様はあの時あの場所でヒートなんて起こしていない。


 それなのに私の耳に入ってくるのは、まるでリアム様がわざとヒートになった加害者と言わんばかりのものだった。


「本当にあの家は野心家で……。あのαって商家の娘でしょう?平民ですら取り込もうとするなんてねぇ?」

「フェロモンをまき散らした挙句、αを傷つけるなんて最低」

「こっちはいい迷惑だ」

「あのαも可哀そうだよな、Ωのヒートに巻き込まれるなんて。怪我したらしいし」


 どうして?どうしてリアム様がそんなことを言われなければならないの?

 でも、ここで私が騒いだところで何も解決しないどころか、篭絡されたという噂が広がるだけだ。

 ただでさえ、クラスメイトである貴族のαが、あることないこと吹聴してまわっているんだから。


 もし、私に力があればリアム様を守れたのだろうか?

 もし、このαの力を使いこなせれば周囲を威圧して黙らせることができたのだろうか?


 リアム様の隣にはいられない。でも守りたい。二つの感情が激しくせめぎ合い、どうすればいいのか分からなくなる。

 αである私が近くにいるのが一番危険だとは思う、でも私よりも世間はリアム様の心と尊厳を傷つけるのではないのだろうか?

 私が自制をすれば、リアム様を助けられるのではないだろうか……?


 ぐるぐると答えのない問答が頭で繰り広げられ、授業には全く集中できなかった。


 私は答えが出ないまま、ヒートが終わり復帰したリアム様と対峙することになったのだ。



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