パパとキャッチボール
数日が経ったある日、たまたま平日に休みが取れたパパが、僕をキャッチボールに誘った。本当は断りたかったが、誘いは受けるという教えだけは貫こうとグローブを持ち公園に向かった。
公園までの道のりはパパとは何も話さなかったけど、学校帰りの同級生とすれ違った時に、パパの陰に隠れる僕の背中を「堂々と歩きなさい」と押し出したその顔は、いくつもの試練を乗り越えてきた男の顔だった。
公園に着いた僕は、パパに向かって思いっきりボールを投げた。
パパも、少し速めの球を投げ返してきたが、1年生の球拾いの合間にした投球練習がこの時役だった。
「りょう、男だったら逃げるんじゃないぞ。苦しいことつらいことなどいっぱいあるけど、時には立ち上がる勇気も必要なんだ」
「パパ、分かっている。でも学校に行けないんだ・・・」
「そうだな、分かるよ。パパだって会社に行きたくないこともあるんだよ。」
「へー、パパもそう思うことがあるの?」
「あるさ。ママには内緒だけどしょっちゅうあるよ」
パパは、少年のような表情で笑った。
「でもそんな気持ちがあるのに、どうして会社に行けるの?」
「それは、パパの高校生の時にこんなことがあったからなんだ」
「なにがあったの? もったいぶらずに教えてよ!!」
「ハハハ 分かったよ。じゃあ、向こうのベンチで少し休むか」
初夏の太陽の光とさわやかな風が本当に心地いい。
近くのベンチに座った僕たちは、ママが用意してくれた冷たい水筒のお茶を交互に飲んだ。
「パパ、さっきの話の続きをしてよ!!」
パパはしばらく黙り込み、僕が話を聞く体制が整うのを見計らって、ゆっくりと話し始めた。
「いつもパパは、お前に勉強しなさいって言うだろ?」
「うん。毎日ね!!あれストレスたまるんだよ!!でも、パパの子供の頃は毎日しっかりと勉強してたんでしょ?」
「ハハハ りょうにはパパが勉強を頑張っていたように見えるんだ。でも、実はそれはハズレだよ」
「えっ じゃあパパは、全く子供の頃に勉強していなかったの?」
「その通りさ!!パパは毎日夜遅くまで漫画やゲームをして、眠くなったら寝るの繰り返しの学生生活しか送ってこなかったんだよ」
「もう、それなら僕に偉そうに勉強しなさいって言ったらダメだよ!!」
「りょう、それとこれとは別問題だ」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「まあいいや。パパ、話の続きを聞かせて」
「あれは、高校1年生の冬だったな。とても寒かったのを覚えているよ。あの日パパは次の日が休みだということもあって、リビングで夜遅くまでゲームを楽しんでいたんだ」
「夜遅くって何時くらい?」
「3時くらいだったかな。今、りょうがそんなことをすると、ママの大目玉を食らうね」
「確かにその通りだよ。絶対にママはゲームを取り上げ僕の分からないところに隠してしまうか、ひどければ、ゴミの日に捨ててしまうかもしれないよ」
パパと僕は、ママの怒った表情を思い出すとなぜか笑えてきた。
「それでどうなったの?」
「パパがゲームをしていると、2階からりょうのじいちゃんが眠そうな目をこすりながら降りてきたんだ。パパが“おはよう”と声をかけると、じいちゃんは“まだ起きているのか、体に悪いぞ”と言いながら、前日の夜にばあちゃんが準備しておいた朝食を冷蔵庫から出し、レンジで温め始めたんだ」
「そういえばじいちゃんの仕事は朝早かったって聞いたことがあるよ!!」
パパは、うなずいた。
「その通りさ。じいちゃんはいつも、夜中の3時に起きて仕事に行くというサイクルの繰り返しをパパの子供の頃から続けてくれていて、なんでそんな大変な仕事を頑張ることができるのか疑問に思ったパパは、その日、その理由をじいちゃんに聞いてみたんだ」
「じいちゃんなんて言ってたの?」
「“わしが働けばこの家は回る。”そう言ってたよ。じいちゃんはその後、朝食をすませ、制服を着て“早く寝ろよ”と言って仕事に向かったんだ。じいちゃんが早く起きて仕事に行っていることはパパも知っていたんだけど、実際にこの目でその光景を見たのは初めてで、何とも言えない複雑な気持ちになったよ。りょう、パパは何故そんな気持ちになったか分かるかい?」
「う〜ん 難しいよ」
「じいちゃんは、家族の大黒柱としてパパ達家族を養うために、いつもこんなに朝早くから夜遅くまで頑張って働いてくれているのに、パパは、いつもこの時間は、暖かい布団に入ってぐっすりと寝ていたんだ。じいちゃんの苦労も考えずにだよ」
パパは、あの時の事を思い出したのか目にはうっすらと涙を浮かべながら話を続けた。
「あの時の“仕事に行ってくる”と言って家を出たじいちゃんの背中はとても大きく頼もしかったんだ。そして、パパはその背中を見ながら決めたんだ。“いつか自分に家族ができた時には、どんなにつらいことがあっても歯を食いしばってじいちゃんみたいに家族を守る”とね」
「じいちゃんすごいね。とても僕にはできないよ」
そう言って、僕は自信を無くしてうつむいた。
「りょう、何を言っているんだ? パパにもお前にもそのじいちゃんの血が流れているんだぞ!! 」
ドクン。ドクン。
僕は、体の中の熱い血の流れを感じることが出来た。
「焦ることはない。立ち直れりょう!!」
そう言ってパパは、激励の気持ちを込めて僕の肩を強くたたいた。
パパの気持ちのこもったエールは、しっかりと僕の心に届き大きな力が沸いてきたが、それでも学校に行くことが出来るかどうかは分からなかった。




