ママの教え
病院から30分ほど車で走っただろうか。
神武山のふもとに到着した僕たちは、山の頂上を見上げた。
この山は、とても低く山と言うよりもどちらかと言うと岡のようで10分もあれば頂上にたどり着ける。
車から降りた僕に、パパはおやつが入ったリュックサックを渡してくれた。
「パパ、これ僕が幼稚園の時に使っていたリュックサックでしょ。小さくて背負えないよ」
「本当だ!!そこまで気が回らなかった。ごめん ごめん。そんなに大変な山登りじゃないから手さげとして持って行ってよ」
「もう、パパは気が利かないんだから」
そういう僕とパパの会話を聞いて、ママは笑った。
「さあ、行くぞ!!」
パパの掛け声で、僕たち家族3人は山頂に向かって歩き出した。
3分ほど登っただろうか。
ママが立ち止まってしまった。
パパはママに手を貸そうとしたが、ママは一人で登ると言い出した。
「ママもう少しだよ。頑張って」
そう声をかける僕にも返事ができないほど苦しそうなママだったが、その視線の先はしっかりと山頂を見つめている。
一歩ずつ力を込めて前に踏み出すママに、僕は心の中で“がんばれ、がんばれ”と声をかけた・・・その時、
キャッ!!
ママはその場に転んだ。
手には擦り傷ができ、血がうっすらとにじんできた。
「ママ、大丈夫か?」
あわてて、抱き起そうとするパパの手を振り払いママは自分の力で立ち上がろうとした。
その光景を見た時、僕は“はっ”とした。
苦しい時こそ、あきらめてはいけないこと。
長い人生の中で、つらい試練にぶち当たる事がいっぱいあるけど、逃げずに立ち向かうこと。
そして、頑張れば必ず目的地に行ける事。
それらを僕に気付かせるため、ママはこの山登りを通じて体を張って大きなメッセージを送ってくれているのだ!!
ママ、頑張れ!!
もう少しで頂上だよ!!
ママは歯を食いしばって目標となる一点だけを見つめ、苦しそうな表情をしながら誰の手も借りず少しずつ前に進んだ。
僕もパパもそんなママを心の限り応援した。
30分ほどたっただろうか。
顔に大粒の汗を浮かばせたママは1人で山頂まで登り切った。
「やったねママ!!頂上までたどり着いたよ!!」
晴れやかなママの笑顔は、その日の空の青さよりさわやかだった。
「ママ、どこでお弁当食べる?」
「そうね、あの滑り台の近くのスペースがいいわ!!」
そう言ってママが指さしたスペースは、保育所の帰り道に2人でママのお手製のおやつを食べていた僕のお気に入りの場所だった。
僕はママに負担がかからないように涼しそうな木陰を選び、平らな場所にリュックサックの中から取り出したビニールのシートをひいた。
パパはそのシートの上にお手製のお弁当を出した。
「わー すごいパパ!!」
「そうだろ、朝5時に起きて準備したんだ!!」
パパのお弁当は、本当に素晴らしかった。
2段重ねの少し大きめのお弁当箱の2段目にはミートボールにプチトマト、からあげや色とりどりのフルーツがふんだんに盛り付けされていて、1段目のおにぎりはのりで巻いたおにぎりとママがいつも作ってくれた卵焼きで包んだおにぎりが入っていた。
「このお弁当ママが作ってくれてたお弁当とそっくりだね」
「パパはママが作ってくれたお弁当が大好物なんだ。いつもお昼にママのお弁当を食べるとパワーがみなぎってきて昼からの仕事がバリバリ頑張れたんだ!!だからママ、早く元気になって俺に弁当を毎日持たしてくれよ・・・」
そう言ってママの顔を見つめるパパは、心の底からママを大切に思っているのが良く分かった。
「もう、パパったら!! ご飯は楽しく食べようね!!りょうちゃん、何が食べたい?」
ママは、パパが準備してくれた小皿にたくさんのおかずとおにぎりを取り分けてくれた。
「ありがとう!!」
卵焼きでくるまれたおにぎりを頬張る僕を見て、パパとママは幸せそうに笑った。
木陰から漏れる太陽の日差しがぽかぽかとして心地よい。
パパはお弁当を食べ終わったのを見計らい、キャンプ用のガスコンロを取り出しコーヒーを入れた。
山頂からは、僕が育ってきた町がよく見える。
「ママあそこ見て!! 僕の家が見えるよ!!」
「本当だ。パパと結婚した時に買った家だよ。こう見えてもパパはしっかりとしていてたくさん貯金してたんだよ!!」
「ハハハ。こう見えてって失礼だなママ!!」
パパは入れたてのコーヒーを、ママに手渡した。
こんなに安らぐ時間は、久しぶりだ。
僕は永遠にこの幸せが続くことを神様に祈った。
それから数分間の沈黙が続いた。
多分、それぞれがこれからの事を考えていたのだろう。
僕は、不安に押しつぶされそうになり現状から逃げる事ばかり考えていた。
「りょうちゃん」
「なに? 」
「ママはりょうちゃんがこんなにたくましく、やさしい男の子に育ってくれたことをうれしく思うよ」
「ありがとう、ママ」
「りょうちゃん、よく覚えておきなさい。きっとこれからのあなたの長い人生の中で、良いことも悪いこともたくさん起こると思うの。でも、あなたにはその現実から決して逃げないで立ち向かってほしいの。そして、いつも、いつも上に向かって羽ばたくんだよ。この場所から見渡せる素晴らしい景色を見るように、あなたならきっと人生の素晴らしい景色を見渡せることができるはずよ。だから頑張って生きて行こうね」
「ママ、僕自身がないよ・・・・」
「大丈夫よ。だってあなたはママの息子だもん。きっとどんな試練にも打ち勝って幸せな人生を歩めるよ」
「分かったよママ。だからお願いがあるんだ」
「なに? ママにできる事は何でもしてあげるよ!!」
「じゃあママ。お願いだから、お願いだから・・・・・。いつまでも、僕のそばにいてよ」
「いつまでも、いつまでも・・・。本当に、うっうっうっ お願いしますから・・・」
今まで我慢していた感情が吹き出した。
止めようとしても、止まらない涙が滝のようにあふれ出す。
それを見たパパも、僕に泣くなと言いながら自分も涙を流していた。
「今日はママのわがままにつきあってくれてありがとう。ママは一生りょうちゃんと見たこの景色は忘れないよ」
その言葉が、ママとしっかりと話をした最後の言葉だった。
病院に帰ったママは、その日の数日後この世を去った。
35年の短い生涯だった。




