#21 心の雑踏
テスト期間のため更新を一時ストップしておりました。すみません
千冬と彩月さんが家を訪ねてきてからさらに1週間がたった。ここまで来るともう手遅れな可能性が高く感じてきた。だけど俺は僅かな可能性に賭けて出かける準備をする。
「……」
考えれば考えるほど、脳をフライパンで叩かれたような痛みがずしっと来る。だけど向き合わないといけない。胡夏さんの責任は俺の責任だから。
「……よし、行くか」
俺は胡夏さんの最寄り駅まで行くお金と、僅かな貴重品を入れたカバンを抱えて家を飛び出す。駅がある方へと向かって坂を駆け降りる。
無謀とも言えるダッシュなんだろうな。
入り組んだ坂道の住宅街を抜けて駅までたどり着く。
改札の前に立つとやっぱり引き返したいという気持ちでいっぱいだった。胡夏さんに「来て」と言われた時はためらいなんてなかったのに、どうして足が動いてくれないんだ。俺がなんとかしないといけないのに————
いつからこうなったんだろう。「俺がなんとかしないといけない」って。今までは胡夏さんの立場に怖気付いていたのに。
俺も俺なりにリードはしていたけど、でもやっぱり相手の立場が上すぎるのと、童貞だった俺には「あぁ……うん……」みたいな感じで男なのに女の人に任せることしかできなかった。それに対しての申し訳なさなのか。はたまた不運と幸運の比率が極端に偏った胡夏さんの過去の話を聞いたからなのか。
悩みながら駅の横を右往左往する。もう一度メッセージを確認してみても何も変わらない。未読のまま、俺の文章がただそこにズラッとあるだけだった。
「……何もマイナスなことは考えない。行こう」
ついに決心する。俺はカバンから財布を取り出しICカードを取り出す。それを改札にかざすと、急いでホームに繋がる階段を駆け上がる。
「もう、環境とか生活とか何も言わないからとにかく生きていてくれ……!」
頭が痛い。けど俺には走る理由がある。
そう一心不乱に目的地を目指そうとした、その瞬間だった。ちょうど列車の通過メロディーが鳴り響く。
「タイミング悪いな……」
快速止まらないのは不便。本当にどうにかしてよ。
——俺が通過電車を待つ。ホームに通過電車が入線する。その時だった。視界の端から、何かが猛烈な勢いで真横をすり抜けた。衣服が風を切り、ローファーが黄色い線を強く蹴る「タッ」という乾いた音が鼓膜に届く————
グシャッ
——え?
人間の肉体と電車が交差した唯一の音だった。火花を散らす車輪の金属音が「キィィィン」と鼓膜を突き刺す。目の前を通り過ぎていく車両の側面を見つめながら、私の脳は、今聞いた音が「人間が壊れた音」だと理解することを拒否していた。
それの顔や性別さえわからないまま。
俺は目の前が急に吐き気を覚える。その吐き気は今まで人だったものが原型をとどめていないということじゃなかった。
こういうようなことが胡夏さんの身に起きていたらと思い立ちくらみがおさまらない。
「胡夏さん、……うっ……やめてくれ、俺をこれ以上苦しめないでくれ……」
俺が地面にへたり込むのと同時に周りの客が悲鳴を上げて遠くに行く。そして駅員の声が響き渡る。
「みなさん、離れてください!!」
そして客はまさに蜘蛛の子散らした状態。その中で俺は未だに現場を見つめたままひたすら願っていた。胡夏さんがこんな目に合っていないことを。
「すみません、ここから早く離れてください!」
「は、はい、すみません」
だけどもちろん俺は駅員によって半強制的に離れさせられる。
俺は急いで駅の改札口の前まで戻る。
「どうしよう、これじゃ胡夏さんの様子見に行けない……」
もう、仕方ないか。こんなのもう俺に胡夏さんを切り捨てろと言ってるようなもんじゃないか。
吐きそうになる自分のことを自分で抑える。精神的にもかなりきていた。俺は駅の中にあるベンチに座ってなんとか吐き気をやり過ごす。
だけど、身体的にも精神的にもボロボロだった俺は、そんな吐き気を我慢できるはずがなく。
「ぐっ……やばいっ」
急いでトイレに駆け込む。人身事故なんかでとどめを刺されるとは思いもしなかった。
あり得ないものを眼にする。
「晃司……くん」
「えっ!?」
この声は…………!?も、もしかして……
俺はすぐさま顔を上げる。そうするとそこには何回も、何十回も、何百回も見たあの顔が俺の目には映っていた。
「胡夏さん……」
「来ちゃいました。何も連絡せずに来てごめんね」
胡夏さんは少し痩せて、どこか頼りなげに、だけど確かにそこに立っていた。その姿を見て俺は居ても立っても居られなかった。俺は幽霊でも見ているのか。俺はそれを確かめるべく彼女の身体を強く抱きしめた。
「よかった……っ、生きてて、よかった……!」
「わっ!?晃司くん……!?」
腕の中に感じる、かすかな体温と鼓動。本物だ。幻じゃない。
「どこに行ってたんだよ……心配したんだぞ……もう会えないかと、思ったんだぞ……」
しゃくり上げながら、言葉を絞り出す。抱きしめる腕の力を緩めたら、また煙のように消えてしまう気がして、狂おしいほどに力を込めた。彼女の身体は一瞬、驚いたように強張った。けれど、俺の背中にそっと、胡夏さんの手が回される。
「本当に、ごめんね……」
胡夏さんが耳元でそっとかすれた声で呟く。胡夏さんも泣いているのがわかる。そんな胡夏さんの声が聞けるだけで俺は幸せだった。
そんな2人だけの時間が止まった世界の周りではいつもと変わらない世界が時間を刻んでいる。ホームに続く階段からは、人身事故が起きたホームの反対方向からきた乗客たちが絶え間なく降りてくる。たまに冷たい視線や、不思議そうな足取りが俺たちの横を通り過ぎていく。けれど、そんなことはどうでもよかった。
いまは胡夏さんだけを意識させてくれ。




