上の空
翌朝、望が身支度を終えて一階に降りていくと、朔は両親と一緒に朝食を食べていた。
「あれ?あんたもう回復したの?」
「なにが?」
「何がって…」
望が言葉に詰まる。
「凄いことに気づいた。何があってもお腹ってすくんだね」
朔は恥ずかしそうに微笑むと箸を動かし次々と皿を空にしていく。それを見ていた望の表情が和らいだ。
「食欲が回復したんなら大丈夫ね。心配して損した」
「心配って何の話?朔の風邪?望も移っちゃった?」
父親の海月がキュウリの漬物を齧りながら望の顔を見た。
「あ~はいはい、お父さんは娘の話に割り込んでこないでね」
望の言葉に無言になる海月。沙夜が朔の額に手を当てる。
「風邪薬が効いたのかしら」
「風邪薬って?」
朔は沙夜に手を当てられたままキョトンとした表情で返す。別方向から返ってきたのは望の強い視線だった。
「昨日ワ・タ・シたでしょ」
「え?あぁ、うん。もう大丈夫かな、ありがと」
望の含んだ言葉で何かを察した朔は調子を合わせた。
「朔はお母さん家の血を継いでるわね。清原家は漢方が効くのよ」
「そうなの?」
興味なさそうに聞き流し食後のお茶を飲む朔。関心があったのは海月だった。
「何言ってんだ母さん、漢方に体質なんて関係ないだろう」
「あなたこそ何言ってんのよ。丈夫な胃腸、これが重要なのよ。調べたことあるんだから」
「いや、症状に対して適正な漢方であれば……」
両親のやり取りを横目で見ながら朔は食事を終えた。
「ごちそうさま。さ、ちょっと早いけど……」
「五分待って朔。一緒に出よ」
望の言葉に海月も沙夜も会話を止める。海月が珍妙なものでも見るように望へ目を向けた。
「珍しいね。隕石でも落ちてくるんじゃない」
「落ちてくるとしたらお父さんの頭にだね」
望がやり返すと沙夜が苦笑して応えた。
「大丈夫。お父さん、頭カッチカチだから」
学校へ向かう道すがら、しばらく二人の間に会話はなかった。前を歩く望が口を開く。
「無理しなくていいよ」
「え?」
思いがけない言葉に朔が足を止める。振り返った望が真剣な面持ちで見つめていた。
「昨日のあの様子じゃ一晩寝たぐらいで吹っ切れるようなもんじゃないでしょ」
「……別に」
朔は視線を逸らす。
「心配させないように無理して明るく振る舞う必要ないからね」
「なにそれ」
いつになく真面目な望の言葉に、朔は俯きながら不貞腐れたように呟いた。
「話したくなったらいつでも言って」
そこには普段の無愛想な望はいなかった。
「私はあんたのお姉ちゃんなんだから」
ただ妹を気遣う姉がいた。朔は明後日の方向に顔を向ける。
「……お姉ちゃん、お金なら貸さないよ」
「チッ、今月金欠なのに。じゃね」
望は微笑むと背中を向け歩き出した。
「ありがと」
振り返らず手を上げて応えた。
朔はそのまま歩き去る望の後ろ姿をしばらく見ていた。
「いかん、遅刻してしまう」
足早に学校へと向かった。
「朔ちゃん、朔ちゃんって!!」
何度めかの呼びかけに、朔はようやく顔を上げた。時計を見ると午前中の授業が終わって昼休憩の時間になっていた。
「……ん?どうかした?」
「今日何か変だよ? ずっと、ぼうっとしてる」
智子が心配そうに顔を覗き込む。朔は一瞬、返事に詰まった。
「え? そ、うかな?」
「そうだよ。何かあった?」
「……別に、何もないよ」
朔が誤魔化すように微笑んだ。智子は納得がいかない様子で、さらに問いかける。
「今変な間があった、何かあったんでしょ?」
「いや、ちょっと風邪気味でさ。微熱あんのよ。それだけ、ホント」
朔は額に手を当てて言った。智子はまだ何か言いたげだったが、ひとまず追及をやめた。
「ならいいけどさ。悩んでることがあったら言ってよ。解決はできないかもだけど共有はできるから」
黙って二人の会話を聞いていた楓が口を挟んだ。
「共有できても解決できなかったら意味ないじゃん」
「あ、楓ちゃん、それ男性的思考」
智子は不満げに楓を指さした。
「そうなの?」
「そうだよ」
楓が興味がなさそうな顔で返すと智子が即答した。楓が朔へと向き直る。
「ま、そういうことだからさ。智ちゃんの言う通り何かあったら言ってよ」
「……分かった。二人ともありがとね」
朔は何処か上の空で二人に笑いかける。智子と楓は視線を交わすと息をついた。
「さ、お昼食べよ。今日は何かなっと」
「あ~、お母さんまた茄子入れてる。べちゃべちゃになるから入れないでって言ってるのに」
いつも通りの雰囲気を作ろうと、智子と楓は軽口を叩き合った。




