噂
昼休み。朔は智子と楓と共に弁当箱を出し机を囲んでいた。殆ど食べ終えた頃、昨夜聞こえた奇妙な音の話を切り出す。
「あ、そう言えばさ昨日の夜、凄い音がしなかった?うちの家族は誰も聞こえなかったって言ってんだけど 」
「音? どんな?」
「管楽器みたいな。パッパーって、もうすんごい音だった」
楓に尋ねられ、両目を見開いて驚くような音量だった事を表現した。食事を終えた智子が尋ねる。
「何時頃?」
「10時ぐらい」
「ん~、分かんない。もう寝てたから」
「私はそんなの聞こえなかったなー」
楓は最後に残った卵焼きを頬張りながらあまり興味なさそう。
「えー」
朔が声を上げると智子が茶化すよう言った。
「朔ちゃんにしか聞こえない音か……こわ」
「何? オカルトの話?」
そっち方面は苦手とばかりに引き気味の楓。
「違うと思う。そっか、私だけか。何だったんだろ、マジ不思議」
「朔ちゃんは不思議少女だから」
智子が素直な感想を漏らすと、楓もすかさず便乗した。
「不思議ちゃんに改名して」
「ざけんな」
楓の頭に手刀を振り下ろそうとしていると、近くの席から男子生徒が声をかけてきた。
「俺も聞こえたよ。トランペットみたいな音だろ?」
「北原君、女子の話に聞き耳たててキモチワル」
弁当箱を片付けながら楓が苦い顔をして男子生徒を誂う。
「ばっ、違うわ。聞こえてきたんだよ。声大きいんだ十六夜は」
「パッパー?」
朔が昨夜聞いた音を擬音にして出すと、北原は少し考えて答えた。
「パッパパーみたいな?」
「あぁ、私だけじゃなかったんだ」
SNSではなく現実で自分以外にも聞こえた人がいた。心のなかで姉に悪態をつく。朔が尋ねる。
「北原くんって何処住んでるの?」
「俺は西区だよ」
「結構離れてるね。じゃあ聞こえた人の住所はバラバラってことか。SNSにもぽつぽつ投稿があるけど、みんな住んでる場所が違うっぽい」
朔がスマートフォンで見かけた投稿から推測して話すと、北原は不思議そうに眉を寄せた。
「謎だな。でもマジビビったわ。突然すごい音で鳴り響いて、地震速報かと思った。考えてみたら全然音違うけど」
「私は暴走族かと思った」
「まぁ確かに、そんな音だったな。俺も家族に聞いたけど、知らないってさ。学校来て松原とかにも話したけど、知らんの一言だった」
北原が思い出すように天井を仰ぎながら言った。
「そっかー。聞こえた人と聞こえなかった人がいるんだね。ありがと」
「別に……」
朔が礼を言うと、北原は気恥ずかしそうに視線を逸らした。
「良かったね北原くん、朔ちゃんと話せて」
智子がにやにやしながら口を挟んだ。
「っ、何だそれ」
北原が何か言いかけた、そのときチャイムの音とともに教室の扉が開き、数学の教師が入ってきた。
「はい、昼休みは終わり。席に着け。授業始めるぞ」
北原は慌てて自分の席へ戻り、朔たちもそれぞれ机の中から教科書を出す。退屈な午後の授業の始まりだった。
放課後
部活に行く生徒、友達と帰りに何処へ寄るか話し合ってる帰宅部の生徒、教室がガヤガヤ騒がしい中、重そうな鞄を肩にかけると楓は二人に声をかけた。
「じゃあ朔ちゃん、智ちゃん、また明日ね」
「楓は今日も部活?走るのってさー疲れないん?」
朔が尋ねると、楓ははにかんだ。
「好きなんだよね、走ってる瞬間が。なんか真っ白って感じで。朔ちゃんは? 道場?」
へっぴり腰で正拳突きの真似をする。
「うん」
朔が頷くと、楓は手を上げた。
「じゃあね」
「ばいばい」
朔が手を振り返すと、少し遅れて智子も声をかけた。
「また明日」
楓を見送った朔は、智子に顔を向けた。
「智子もテニス?」
「そう、あー憂鬱。何で運動部に入ったんだろ。わたし、どう見たって文系なのに」
智子は大きくため息をついた。
「中学までの殻を脱ぎ捨てたかったって言ってなかった?」
朔の言葉に視線を斜め下に逸らす智子。
「後悔先に立たず」
「ま、せっかく始めたんだから頑張んなよ」
「だよね」
智子は苦笑すると、ふと思い出したように続けた。
「そういえば、朔ちゃんの通ってる空手の道場って、美好区の廃ビルの近くなんでしょ?」
「うん、そうだよ」
「ビルの周辺で女子高生が襲われたらしいから、気をつけてね」
突然智子の口から出た思いがけない話に、朔は目を丸くした。
「え? そうなの? こわ」
「偶然、人が通りかかって無事だったらしいけど、なんか最近あの辺ヤバいらしいよ。街灯少なくて暗いんでしょ?」
智子は心配そうに朔を見た。
「ふ、大丈夫。私が何年空手をやってると思ってんのよ。十年よ、十年。二段黒帯。変態が来たらぶちのめしてやるわ」
朔は胸の前で力強く拳を握る。
「そうだね。朔ちゃんなら大丈夫か」
その自信に智子は安堵の息を漏らす。
「智子も帰るとき気をつけなよ。じゃね」
朔は軽く手を振る、教室を出ると別のクラスの友人と出くわした。喋りながら廊下を渡る。
校舎の出口で部室に行くその友人とも別れ、校門をくぐると道場へと向かった。
「あっしたーっ!!」
築三十年の古びた道場に威勢のいい挨拶が響き渡る。二時間弱に及ぶ鍛錬が終わり、門下生たちは汗だくの空手着から私服に着替え、それぞれ帰り支度を始めていた。
その中で、師範の村上が朔を呼び止めた。激しい鍛錬から解放され漸く息が整いつつあった朔が振り返る。
「朔、今日からしばらくは残らず遅くなる前に帰れ。そこの廃ビル近くで女子高生が暴行されそうになったそうだ。お前も十分気をつけろよ」
「それ学校でも言われました。犯人は捕まったんですか?」
「捕まってないから言ってんだよ」
「ですよね」
朔は答えた。どうやら、ビル周辺で起きた事件の話は道場にも伝わっているらしい。
「おい、誰か途中まで一緒に帰ってやれ!!」
村上が道場内を見渡して声を張り上げる。何人かの同じ年頃の男子たちが思春期特有の自意識で目を逸らす。
「大丈夫ですって。なんなら走って駅まで行くんで。それでも万が一その変質者に出くわしたら返り討ちにしてやります」
朔は軽く拳を握ってみせた。拳ダコができていた。空手に向き合ってきた十年という歳月は朔に自信をもたらすには十分だった。
「返り討ちってお前。本当に一人で大丈夫か?まぁ、まだ早い時間だからそれほど危険はないと思うが」
教え子の自信に村上は案じるような目を向ける。
「最悪逃げます」
言い切る朔に、村上は小さく息を吐いた。
「……そうか。有効なのは金的だ、加減は無用だぞ。それでも駄目だったら、とにかく大声で叫べ」
「手加減無用の金的ですね、分かりました。一度潰してみたかったんだよなー。それじゃぁまた明日、押忍」
朔は物騒な冗談を言い残すと、着替えるために女子専用室へと入っていった。村上はその背中を見送りながら、何とも言えない顔で息をついた。




