やっと休めると思ったのに
新作品はじめました!
宜しくお願いします!
「フィーナ・サルヴィア嬢との婚約を、本日をもって破棄する」
夜会の中央で、エドガー・ロイド子爵令息が声を上げた。
広間の空気が、止まった。
シャンデリアの光の下、数十人の視線が私に集まる。
私は——
(やった!)
と、思っていた。
顔には出さなかった。ただ静かに、彼を見返した。
「私には、真実の愛がある。——そして正直に言えば、お前は地味すぎた」
隣に立つご令嬢が、震えながらエドガー様にしなだれかかった。桃色の巻き毛に、今にも泣きそうな大きな瞳。
なるほど。そういうことか。
たしかに、華がある。
「フィーナ嬢、なにかおっしゃることは?」
執事が小声で囁いてくる。
「——いいえ」
短く答えると、またざわめきが広がった。泣くか、縋るか、怒鳴るか。きっと誰もがそれを待っている。
(残念ながら、私には好都合なので)
婚約破棄の宣言を、私はわりと晴れやかな気持ちで受け取った。
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前世の記憶は、いつも唐突に浮かぶ。
蛍光灯の白い光。消毒液の匂い。山積みになった書類。
患者の食事制限を計算しながら、自分の昼食はコンビニのおにぎり一個。
残業は当たり前で、給料は安くて、休日に寝ても疲れが取れなかった。
あの頃の疲れは、今でも骨の奥に染みついている気がする。
体が限界を迎えたとき、私はぼんやりと思った。
——次があるなら、ゆっくり休みたい。
そうして気がついたら、ヴェルニア王国のサルヴィア伯爵家に生まれていた。
今世こそ、と思っていた。
貴族の娘なのだから、婚約者がいて、いずれ嫁いで、穏やかに暮らせるはずだと。
(なのに婚約者が「地味すぎる」と言って去った)
まあ、いい。
むしろこれで、実家でゆっくりできる。そう思っていた。
帰宅するまでは。
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馬車の揺れに身を任せながら、私は天井を眺めていた。
(やっと終わった)
婚約破棄は、思っていたよりあっさりしていた。怒鳴られることも、縋りつかれることも、泣き落とされることもなかった。エドガー様は「真実の愛」を手に入れ、私は自由を手に入れた。
これほど双方に利益のある婚約解消もそうないだろう。
自宅に戻ると、父が玄関に立っていた。
珍しい。夜会から帰った娘を、父が出迎えることなど滅多にない。
「……フィーナ」
父の顔を見た瞬間、私は悟った。
もう知っているのだ。夜会での一件は、噂の伝わる速さで広まったらしい。
「お前が悪いわけではない」
父がそう言った。目が泳いでいた。
(あ、これは困っているやつだ)
没落しかけているサルヴィア伯爵家にとって、私の婚約は数少ない望みだった。婚姻が成立すれば持参金が入る。それが、消えた。
父は何も言わなかった。言わなくてもわかった。
(……また休めなかった)
実家でのんびりするつもりが、どうやらそうもいかないらしい。
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翌朝、私は求人票を探しに出かけた。
(働くならせめて、自分のペースでできる仕事がいい)
それが唯一の条件だった。
いくつかの貼り紙を眺めていたとき、一枚の紙が目に止まった。
「ヴァルク公爵家 料理人急募。住み込み可。前任者の急な退職につき、即日採用」
(公爵家)
貴族の邸宅で働くなど、柄ではないと思った。
でも、住み込みという二文字が気になった。
住み込みなら、実家の食費が一人分浮く。料理なら、食材と向き合うだけでいい。誰かに怒鳴られることも、終わりの見えない残業も…
(あ、これ前世より楽では?)
気がついたら、公爵邸の門を叩いていた。
面接に出てきたのは、白髪交じりの執事だった。
「料理の経験は?」
「あります」
「住み込みは可能ですか?」
「はい」
「いつから来られますか?」
「明日からでも」
執事が少し目を丸くした後、深く頷いた。
「……採用します」
(早い)
本当に人手不足だったらしい。
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公爵邸は、思っていたよりずっと静かだった。
広くて、清潔で、廊下に足音すら吸い込まれていくようだった。
(悪くない)
素直にそう思った。
案内されながら歩いていると、執事——ペリーと名乗った——が立ち止まって振り返った。
「一つ、お伝えしておくことがあります」
「はい」
「公爵様は、長らくよくお眠りになれていないのです」
私は少し考えた。それは料理人に言うことだろうか。
「……そうですか」
「ええ。ですから、食事の面でも、できることがあれば」
(管理栄養士の本能が疼く)
やめてほしかった。前世の癖で、人の体調が気になってしまう。
私はただ料理を作るだけのつもりだった。
なのに翌朝、私は食材を前に、眠れない人間に何が効くかを真剣に考えていた。
(また働いている)
最後まで読んでいただきありがとうございます。
これからは、自分のペースで執筆をつづけていくつもりです。
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