47話襲撃
濃霧がさらに深く、重く、渓谷全体を白く塗りつぶしていく。
メインモニターはノイズと白い壁に埋もれ、センサー類はほぼ無力化されていた。レーダーも赤外線も使い物にならない。ただの光学カメラだけが、かすかに動く影を捉える程度だ。
「……見失った」
わたしは低く呟いた。
『プリズラクの反応が消えた!』
レフの声が通信に割り込む。ザンギエフも続く。
『霧の密度が急激に上がっている。あいつの散布するミストのせいだ。完全に視界を支配されている』
「チッ……」
ニルヴァーナの操縦桿を握り直す。エアリオンの巨体は、霧の向こうでゆっくりと前進を続けている気配だけは感じ取れた。だが、護衛のプリズラクの位置が完全に読めない。
「レフ、ザンギエフ。背中を寄せ合って動く。単独行動は禁止」
『了解』
『……わかった』
三機の機体が、霧の中で静かに陣形を変える。わたしのニルヴァーナを中心に、レフとザンギエフが左右後方を固める。
その時だった。
——ズン。
背後から、重い金属の足音がした。
「……っ!?」
反射的に機体を反転させようとした瞬間、違和感を感じた。
金属の刃。
ニルヴァーナのコックピット周辺、首に相当する関節部に、鋭いナタがぴったりと当てられていたのだ。
『隊長!?』
『アイ!』
レフとザンギエフの通信が同時に飛び込むが、わたしは動けなかった。ナタの刃がわずかに食い込み、装甲を軋ませる感触が、操縦桿を通じて手に伝わってくる。
「……見つけたよ、アイ」
通信回線に、静かな、しかし冷酷な声が流れ込んできた。
ダリアだ。
プリズラクの漆黒の機体が、いつの間にかわたしの真後ろに立っていた。肩部のフィンからは、今も紫色のミストが静かに噴き出している。霧の中に完全に溶け込み、気配すら消していたのだ。
「油断したね」
ダリアの声は、養成機関時代と同じく、感情を排した平坦なものだった。
「ここであなたを排除すれば、計画はもっとスムーズに進む。でも……せっかくの再会だ。少し話してあげる」
ナタの刃が、さらにわずかに食い込む。
「ヒノモトを滅ぼすのよ」
ダリアは淡々と続けた。
「エアリオンが起動すれば、ヒノモトの主要都市を一晩で無力化できる。アルテミシウム・ノヴァの供給網を断ち、軍事拠点を壊滅させれば、あの国の覇権は崩壊する。……そして、イングランドが新しい秩序の中心になる」
わたしは息を詰めた。
「……ソ連は? あなたはソ連のエージェントだったはずでしょ」
「ソ連は私を捨てた。イングランドが拾ってくれた。……だから私は、ここにいる」
ダリアの声に、わずかな揺らぎが混じった気がした。だが、すぐに冷たい調子に戻る。
「あなたが邪魔をするなら、ここで終わらせる。ニルヴァーナの首を落とすだけだ」
ナタがゆっくりと圧力を増す。
わたしは、その言葉の裏にある「計画」の全体像を頭の中で走査した。
ヒノモトを滅ぼす。
エアリオンの圧倒的な破壊力。霧による隠蔽。ダリアの護衛。
……そして。
「待って」
わたしは低く声を出した。
「それだと……アルテミス・レイも巻き込まれる可能性がある」
一瞬、通信が沈黙した。
「……何?」
「あの機体は今、地球上を無差別に徘徊してる。ヒノモトの都市を壊滅させるなら、アルテミス・レイがその戦場に現れる可能性がゼロじゃない。ヘリオスフィアの影響下にあるあの機体が、エアリオンの攻撃に反応したら……どうなるか、わかる?」
ダリアが息を詰める気配がした。
「……関係ない」
「関係あるよ。アルテミス・レイがあの力で暴走したら、イングランドもソ連も、ヒノモトも、全部巻き込まれて終わる可能性がある。あなたが守りたいものまで壊れるかもしれない」
ナタの刃が、わずかに揺れた。
その瞬間を、わたしは逃さなかった。
ニルヴァーナの右腕を爆発的に動かした。ナタの刃を鞘の側面で強引に弾き飛ばし、同時に機体を後方へ跳躍させる。金属の鋭い音が霧の中に響き、プリズラクのナタが空を切った。
「——っ!」
ダリアが短く息を呑む。
「レフ! ザンギエフ!今!!」
わたしは叫んだ。
三機が瞬時に背中を合わせる陣形を取る。ニルヴァーナ、レフの機体、アイアン・ベア。霧の中で、互いの位置を感覚だけで把握しながら、完全な円陣を組んだ。
『了解!』
『来い、ダリア!』
プリズラクが霧の中から再び姿を現す。同時に、エアリオンの巨体が、滝の飛沫を巻き上げながらこちらへ向き直った。雨覆羽がゆっくりと展開し、圧縮空気の生成音が低く唸り始める。
「……来るよ」
わたしは鞘を前方に構え、刀の鯉口を軽く弾いた。
霧の中に、藍色と漆黒と重厚な鉄の影が交錯する。
「おじさんを……あの機体を、巻き込むわけにはいかない」
わたしは静かに、しかし強く、操縦桿を握りしめた。
三機が同時に推進器を噴射した。
霧の白が、激しい機動と刃の軌跡で引き裂かれていく——。




