46話捜索
濃霧が揺れる。
わたしは呆然と立ち尽くしていた。
ダリアを乗せた巨大な鋼鉄の腕が、濃霧の向こうへと消えていく。
「……え。」
数秒遅れて、状況を理解したわたしの叫びが港に響き渡った。
「ええええええええぇぇぇぇぇぇぇっ!!?」
ちょっと待って、何あれ!? 意味が分からない!
霧から現れた見たこともない巨大な腕――。
「怖っ!!」
思わず後退したその瞬間だった。
霧の奥から、ずしん……ずしん……と重苦しい地響きが聞こえてくる。
(……やばい)
直感が全力で警報を鳴らす。生身の人間が立ち向かってどうこうできる相手じゃない。
「やばいやばいやばいやばい!!」
わたしは全力で踵を返した。
「バヤール!! もう帰る! 今すぐ!!」
『どうしました、アイ!?』
耳のインカムに怒鳴り散らすわたしに、タチアナの困惑した声が返ってくる。
「生身じゃ潰される!! ガチで潰されるってば!!」
『何がですか!?』
「なんか来た!! めちゃくちゃ強そうなやつ!!」
『説明が雑すぎます!!』
「いいから早くーーーっ!!」
わたしは霧の港を全速力で駆け抜けた。後ろなんて絶対に見ない。見たら負けだ。絶対にあの黒い機体と目が合う気がする。
「死ぬ死ぬ死ぬ!!」
港を飛び出し、そのまま山道を駆け上がる。数分後、霧の中から静かに滑り込んできたバヤールのハッチへ、わたしは滑り込むように飛び乗った。
「セーフ!!」
ハッチが重々しく閉まるのと同時に、わたしはそのまま床へ倒れ込んだ。
「はぁぁぁぁ……死ぬかと思った……」
『……アイ。あなた、まさか生身で人型兵器とやり合おうとしたのですか?』
「いやあ、まさか……えへへ」
『笑い事ではありません!』
「ごめんなさい……」
『本当に心臓が止まるかと思いました』
「まあまあ……さすがに今回は本当にダメかと思ったよ」
『“今回も”でしょう』
呆れたように肩をすくめるレフと、腕を組みながら重いため息を吐くザンギエフ。二人から同時に注がれる視線に、わたしは思わず苦笑いを浮かべた。
「まったく。昔から無茶ばかりだな、隊長は」
「えー?」
「『えー』じゃない」
あきれ顔の仲間たちに囲まれながら、わたしは冷や汗を拭った。
その夜。わたしは格納庫で地下施設について考え続けていた。
あの霧の中から現れた腕、そしてダリア。全てがひとつに繋がっているはずだ。
「バヤール、まだ《ニルヴァーナ》は出さないことにしたから」
『……調査を続行するのですか?』
「うん。今回は生身で調べる」
「危険だ、隊長」
制止しようとするレフに向かって、わたしはニッと笑ってみせた。
「機体で動いたら目立っちゃうでしょ。隠密調査はエージェントの基本だよ」
翌朝。わたしは再び霧の街へと降り立った。
今度は完全に一般人の装いだ。古びたトレンチコートに深く被った帽子、手には観光用の地図。どこからどう見ても、ただの旅行者にしか見えないはずだ。
そこから丸一日、わたしは足が棒になるまで街を歩き回った。
軍の搬入口、監視塔の配置、補給トラックの運行ルート、街全体の電力供給ラインと地下ケーブルの密度。それらを頭の中で立体的なパズルとして組み立てていく。
(ここじゃない……ここも違う……)
夕刻、わたしは北側の険しい渓谷へと足を踏み入れた。
人気のない山道、途切れた獣道、切り立った崖と湿った岩肌。一見すると、ただの荒涼とした自然にしか見えない。
だがわたしはある不自然な現象に足を止めた。
「……風?」
渦巻く霧の中で、一箇所だけ吸い込まれるように流れが途切れている場所がある。
わたしはそっと地面にしゃがみ込み、岩壁に手を当てた。
ひんやりと冷たい石肌。しかし、その奥からほんの僅かな微振動が伝わってくる。
「やっぱりね……見つけた」
岩壁全体が精密な偽装扉になっているのだ。数十分おきに漏れ出る微弱なアルテミシウムの反応。間違いない、ここがあの地下施設への入口だ。
わたしは手首の端末に位置情報を暗号化して記録した。
「ただいまー」
夜、バヤールへ戻ると、待ち構えていたレフが速攻で端末のデータを取り出した。
「……本当に入口を特定したのか」
「うん! ここが本丸みたいだよ」
地図を覗き込むザンギエフが、重々しく頷く。
「なるほど、これほどの隠蔽工作か。これだけの施設なら、中に隠されている空間も相当な規模だな」
「うん。だから明日、入口の近くで待ち伏せるの」
「待つ?」
不思議そうに眉をひそめるレフに、わたしは悪戯っぽく笑ってみせた。
「絶対誰か出てくるか、入っていくから。そこを狙うんだよ」
「相変わらず楽観は化け物だな、隊長は」
「楽観じゃないよ、計算されたよ・そ・く。」
わたしは窓の外を見つめた。濃霧に覆われた北側渓谷の闇。
あの冷たい霧の底には、必ず“何か”が眠っている。
わたしの瞳からコミカルさは消え去り、獲物を狙う狩人の鋭い光が宿っていた。
翌朝。北側渓谷を覆う濃霧は昨日よりさらに深く、冷たく湿っていた。
一帯は真っ白な壁に呑み込まれ、十メートル先すら判別がつかない。
その深い霧の只中、私たちは三機の機体で巨大な岩陰に身を潜めていた。
わたしの乗る藍色の愛機ニルヴァーナ。
その背後に控えるレフの機体と、ザンギエフのアイアン・ベア。
光学迷彩は探知されないよう最低出力に抑え、通信も極力控え、完全な沈黙を守り続けていた。コックピットの薄暗がりの中、わたしはメインディスプレイ越しに冷たい岩壁を見つめ続ける。
「さあ……何が出てくるかな」
わたしは息を潜めてモニターを覗き込んだ。
……しかし。
「……来ない」
待ち伏せを始めて六時間が経過した。だが、昨日わたしが生身で見つけた地下施設の偽装ゲートは、一度として開く気配を見せない。
コックピットの通信から、レフの困惑混じりの声が聞こえる。
『隊長……完全に読みを外したんじゃないですか?』
「おかしいなぁ……」
わたしは暗号化モニターの数値を睨みつける。
地下施設は間違いなくここにある。人々の息遣いも、エネルギーの蠢きもある。なのに、一番大きな動きが全くない。
「まさか別の搬出口があるの……?」
『隊長、物資の計算は本当に合っていたんですか?』
「合ってるよ。昨日歩いた時にね、地下施設へ搬入される補給物資のトラックを全部数えたの。食料、燃料、医療品、交換部品……全部。この施設の規模なら最低でも千人以上が隠れている計算になる。でも昨日運び込まれた量はその半分以下だった。だから今日が『本命の大量搬入、あるいは搬出の日』なのは間違いないんだけど……」
『相変わらずそういう計算だけ異常なんだよなぁ……』
「褒め言葉?」
『どうでしょう』
張り詰めた空気の中、思わず三人で小さく苦笑いを交わす。……だが、その直後だった。
ピッ――
「……! アイ、三時方向!」
ザンギエフの低く鋭い声が通信を打つ。わたしは反射的にメインセンサーの感度を引き上げた。
だが、画面に映し出されるのは相変わらずの白一色だ。
「霧……?」
いや、違う。違和感がある。
霧が“流れて”いるのだ。風の影響ではない。まるで何かが意図的に、途途方もない量の霧を吐き出し続けているかのように、生き物のようにのたうっている。
「この霧……動いてる!」
次の瞬間
山全体を内側から引き裂くような、凄まじい重低音が響き渡った。
『地震か!?』
「違う! 震源は渓谷じゃない……北西! 滝だ!!」
北西方向の巨大な水流が激しく流れ落ちる絶壁から、地鳴りのような轟音が響く。
「なっ……!?」
レフの声が裏返る。
絶壁を流れ落ちていたはずの巨大な滝が左右へと割れていく。
滝の裏側。岩盤に隠されていた極密の隠しドックが露出し、その奥から無数の誘導照明が妖しい光を放ち始めた。
「隠しドック……! 渓谷の岩壁はダミーで、本当の大型搬出口は滝の裏側だったのか……!」
ザンギエフが息を呑む。
割れた水流の奥から、白い巨体がゆっくりと、地響きを立てて踏み出してきた。
高さ百メートル級。
広がる雨覆羽。その純白の装甲を滝の水流が洗い流し、飛沫を散らしていく。まるで神が水の帳を破って降り立ったかのような、圧巻の威容。
ホログラムカメラが自動解析を開始するが、表示される数値はどれも規格外だ。未知の装甲、未知の出力、そして圧倒的な存在感。
「やばい……これ、本当にやばい」
本音が漏れた。レフも息を詰まらせている。
『今まで見たどの機体とも違う……なんて強大なアルテミシウム反応・・・!アルテミス・レイを引き寄せてしまう』
『あの巨体、もしあれが敵として動けば、一個艦隊でも止められんぞ……』
ザンギエフが苦々しく呟く。わたしはエアリオンを見つめながら、操縦桿を握る手にぐっと力を込めた。あれだけは……絶対に野放しにしておけない。
その時だった。
重々しく進み出る機体の前に、一機の漆黒の機体が、滑らかに舞い降りた。
黒い装甲。鋭く研ぎ澄まされたシルエット。そして、見間違えるはずもないあの機影。
「……! 《プリズラク》……!」
その機体を見た瞬間、わたしの脳裏に昨日の光景が鮮明に蘇った。
あの日、港でダリアを手に乗せて霧の中へと消えていった、あの不気味で巨大な「手」。
《プリズラク》は、まるでエアリオンを守る忠実な騎士のように前方に立ち、その肩部に増設された大型フィンをゆっくりと左右へ展開した。
「何をする気……?」
フィンの内部が、禍々しい紫色に発光し、絶え間なく激しい勢いでミストが噴き出した。
噴き出されたミストは一瞬で周囲の視界を呑み込み、風向きすら無視して猛烈な速度で街全体へと流れていく。
わずか数秒。周囲の視界は完全なゼロへ落ち込み、レーダー精度は激減。赤外線センサーも乱反射を起こして使いものにならなくなった。
「これ……!」
昨日から感じていた違和感が、パズルのピースのように一気に組み上がっていく。
この街に入った時からずっとまとわりついていた、異様なほどの濃霧。自然現象にしては不自然すぎる密度の濃さ。
「アレが……街全体に霧を散布していたんだ!」
港でダリアが現れた時もそうだ。あの一瞬だけ、不自然に霧が急激に濃くなった。
そしてあの巨大な手で姿を消した。
全部。全部、最初から繋がっていたんだ。
「ダリア……」
わたしは白く塗りつぶされていくメインモニターを見つめ、静かに唇を噛んだ。
あの子は最初から、この巨大な悪魔を世界の目から隠し通すための“霧”そのものだったのだ。




