44話ナイフ一閃
濃霧が立ち込める港町。静まり返った桟橋へと続く石畳の道を、わたしは駆け抜けていった。
手首の端末に表示された生体反応の残光と、かつての仲間が残していったかすかな気配だけを頼りに前進する。潮の香りと湿った霧が混ざり合い、視界は数メートル先すらおぼつかない。
カモメの鳴き声すら途絶えた薄暗い港の最奥、古い木製の桟橋の上に、求める影はたたずんでいた。
黒いコートを身に纏い、荒れ狂う暗い海を見つめる後ろ姿。
「……やっぱり、あなただったんだね、ダリア」
わたしの問いかけに、その影は微動だにせず、ゆっくりと振り返った。
冷たく研ぎ澄まされた瞳が、霧の向こうからわたしを射抜く。養成機関時代、常に互いの背中を追い、しのぎを削り合った同期のダリアだった。
「アイ……。こんなところで何をしている? 」
ダリアの声には波風ひとつ立っていなかった。数年ぶりの再会だというのに、歓喜も驚きもなく、ただ冷徹な静寂だけが私たちを包み込む。
「それはわたしのセリフだよ。なんであなたが、なんでこんなイングランドの辺境にいるの? 目的は何?」
わたしが問いただすと、ダリアは小さく鼻で笑い、視線を海へと戻した。
「あなたには関係ない。……言っておくけれど、ここはあんたが足を踏み入れていい場所じゃない。余計な首を突っ込む前に、大人しく国へ帰りなさい。これは忠告よ」
「帰れるわけないでしょ。わたしは『アルテミス・レイ』を追ってるの。この街の地下で何か不穏な動きがあることも掴んでるんだから」
その言葉を聞いた瞬間、ダリアの雰囲気が目に見えて変わった。
「……そう。」
ダリアが低く呟き、静かにわたしの方へと向き直る。その手に、いつの間にナイフが握られていた。
「気が変わった、アイ。あんたのその無駄に鋭い感性と猪突猛進な性格は、私の任務の邪魔になる。ここで排除しておくのが一番確実みたい」
「ちょっ、ダリア……本気で言ってんの!?」
言葉が終わるより早く、ダリアの身体が弾け飛ぶように肉薄した。
霧を切り裂く一閃。狙いはわたしの喉元だ。手加減も迷いもない、鋭い踏み込み。
でも、わたしの身体はすでに反応していた。
養成機関での死線をくぐり抜けた経験、そしてパイロットとしての驚異的な動体視力が、ダリアの攻撃をコンマ数秒前に予知させる。
激しい金属音が湿った空間に響き渡った。
わたしがコートの裏から抜き放ったナイフが、寸前のところでダリアの刃を受け止めていた。火花が飛び散り、互いの刃が噛み合い、二人の視線が至近距離で激突する。
「相変わらずいい反応だ……!」
「そっちこそ、相変わらず容赦ないんだから!」
ダリアが腕の力を込め、刃を押し込もうとする。だが、わたしは無理に力で押し返さず、わずかに手首を捻って相手の威力を逃がすと、一瞬の隙を突いて蹴りを繰り出した。
ダリアはそれを察知して素早く後方へと跳躍。着地と同時に低く身を構え、次なる襲撃の体勢に入ろうとした。
しかし、二度目の打ち合いに踏み出す前に、ダリアの動きが止まった。
短い交錯の中で、わたしの体捌き、刀身の角度、隙のない身構えを見抜いたのだ。今のわたしは、養成機関にいた頃よりもはるかに洗練され、強くなっているから当たり前だけど。
「……チッ、無駄な消耗は避けるべきだな。今のあなたとやり合えば、こちらまで無傷では済まない」
ダリアは不機嫌そうに舌打ちをすると、構えを解き、静かにナイフを納めた。
「なんだ、諦めてくれるの?」
「勘違いするな。ここであんたの手にかかるほど愚かじゃないと言っただけだ」
ダリアがそう言った瞬間だった。
ゴォォォォ……という、地響きのような不気味な重低音が港全体を揺らした。
海の上を漂う濃霧が、何かが巨大な質量をもって通り抜けたかのように渦を巻き、激しく動く。
「嘘でしょ……!?」
わたしが反射的に警戒態勢をとる。
霧の壁を押し破り、姿を現したのは巨大な鋼鉄の「手」だった。
装甲に覆われ、関節部が重々しく駆動音を立てている。どの国の正規軍の機体とも異なる、圧倒的な威圧感を放つ正体不明の腕。それが、霧の中から滑らかに桟橋の上へと伸びてきたのだ。
「来たか……」
ダリアは驚く様子もなく、その巨大な鋼鉄の手のひらを見上げる。
「待ってよ、ダリア! その機体は一体何なの!? あなたは何と繋がっているの!?」
わたしが叫びながら踏み出そうとしたが、巨腕が立ちふさがるように二人の間に降り立ち、わたしの視界を遮った。
ダリアは迷いなく、その鋼鉄の手のひらへと軽やかに飛び乗った。
「言ったでしょう、アイ。あなたには関係ないと」
巨腕に乗ったダリアが、見下ろすようにわたしへ視線を向ける。その瞳には、どこか割り切れない冷たさと、微かな拒絶の色が宿っていた。
「これ以上追ってくれば、次は本当に容赦しないぞ」
巨腕がゆっくりと持ち上がり、ダリアの身体を乗せたまま上空へと退避していく。
「待って!!」
わたしが手を伸ばすが、巨腕はあっという間に厚い霧の向こうへと引き下がり、重厚な駆動音とともにその姿を完全に消し去った。
残されたのは、波が叩きつける静かな桟橋と、深く立ち込める霧だけだった。
わたしは握りしめたナイフを静かに納め、ダリアたちが消えていった上空をじっと見つめた。




