41話鉄の国の傷痕と朝焼けの休息
シュミット部隊長の駆る《シュヴァルツ・ヴェーア》が完全に沈黙し、プロイセンを揺るがした過激派による内戦は、首謀者たちの打倒という形で急速に収束へと向かっていった。
ディートリヒをはじめとする一部の反乱分子は夜霧の向こうへと逃亡したものの、統率を失った改革派の残党たちは、キリアン率いる王政派の本隊と、駆けつけたエルザ大尉の部隊によって次々と武装解除されていった。
しかし、激動の夜が明けた帝都に広がっていたのは、勝利の歓声ではなく、深い傷痕と静まり返った硝煙の街並みだった。
かつて整然とした美しさを誇っていた軍事国家の首都は、崩落したビルの瓦礫、焼け焦げた装甲車の残骸、そして引き裂かれた王国の旗によって無残に彩られていた。
「……ひどい有り様ですね」
パイロットスーツのジッパーを下げ、煤のついた額を拭いながらカインが呟いた。その視線の先では、昨晩まで平和に暮らしていたはずの市民たちが、毛布を肩にかけながら呆然と炎上した我が家を見つめている。
「ああ。だが、ここで俺たちが立ち止まっているわけにはいかない」
俺は痛む身体に鞭を打ち、地面に転がる鉄骨に手をかけた。
戦闘は終わった。しかし、特務部隊『アザレア』の任務がすべて完了したわけではない。俺たちの愛機と《スクナビ》を、命がけで死守し、完璧に修復してくれたのはプロイセンの人間たちだ。その恩を返すため、そして何より目の前で傷ついている人々を放っておくことなど、俺たちにはできなかった。
「アザレア全員に告ぐ! これより、帝都市街地の復興支援を開始する。動ける者は怪我人の搬送と、生活道路の瓦礫撤去に回ってくれ!」
俺の号令に、カインを含めた11人のアザレアの部下たちが力強く応じた。
「了解!」
「救護班、あちらの崩壊現場へ急ぎます!」
そこからの数日間は、まさに泥と汗にまみれた時間だった。
俺たちはパイロットとしての矜持を一度脇に置き、一人の人間としてプロイセンの兵士や市民たちと肩を並べた。頑強なセンコクのパワーアームは、今や道を塞ぐ巨大なコンクリートの塊を持ち上げるための「盾」として大活躍した。カインのスクナビも、その精密な駆動を活かして、崩落寸前の建物から危険物や埋もれた物資を的確に掘り出していく。
11人の部下たちも、不眠不休に近い状態で街を駆け回った。ある者は炊き出しの列で子供たちに温かいスープを配り、またある者は仮設テントの設営に汗を流した。
最初は「ヒノモトの遠征軍」に対して警戒の目を向けていた帝国の市民たちも、泥まみれになりながら自分たちのために必死に働く俺たちの姿を見るうちに、次第にその態度を和らげていった。
「ありがとう、騎士様」
瓦礫の撤去作業の合間、小さな女の子が俺の元へ歩み寄り、泥だらけの手に一本の小さな花を握らせてくれた。
「……いや、当然のことをしただけだ。怪我はなかったか?」
俺が不器用に微笑みながら問いかけると、女の子は小さく頷き、母親の元へと走っていった。その様子を見ていたカインが、スコップに体重を預けながら飄々とした笑みを浮かべる。
「おやおや、レン大尉。すっかり帝国の人気者ですね。これなら、僕たちの滞在費も少しはまけてもらえるかもしれません」
「馬鹿を言うな。俺たちは恩を返しているだけだ」
俺はそう答えつつも、胸の奥の頑なな塊が、少しずつ解けていくのを感じていた。ハインツやソ連の《ニルヴァーナ》に対する激しい怒りと復讐心。それは今も消えてはいないが、こうして人々の笑顔を取り戻す手伝いをしている時間は、戦いで擦り切れかけていた俺たちの心を確かに救ってくれていた。
丸三日間に及ぶ必死の復興作業の末、主要な幹線道路は開通し、インフラの応急処置も完了した。帝都が少しずつ、かつての活気を取り戻し始めたのを見届けた頃、俺たちの元に一通の通信が入った。
『アザレアの諸君、苦労をかけたわね。状況が一段落したわ。キリアンと共に待っているから、本隊の第一会議室まで来て頂戴』
エルザ大尉からの招集だった。
プロイセン王国軍の移動拠点、その最上階にある重厚な鋼鉄の扉が開く。
中に足を踏み入れると、そこには数日前と同じように、シュミットのいない円卓の前にキリアンとエルザの姿があった。しかし、その表情にはかつての険しさはなく、どこか憑き物が落ちたような、静かな哀愁が漂っていた。
「よく来てくれた、アザレアの諸君。まずは、我が国の未曾有の危機に対し、多大なる復興の支援を尽くしてくれたことに、軍を代表して深く感謝する」
キリアンが帽子を胸に当て、深く一礼した。その仕草には、戦場での軽薄さは一切なく、一国の将官としての誠実さが溢れていた。
「俺たちは自分のできることをしたまでです、キリアン部隊長。……それより、話というのは」
俺が促すと、キリアンはゆっくりと顔を上げ、大きなホログラムスクリーンを起動した。そこに映し出されたのは、逮捕された改革派の兵士たちのデータと、そして、命を落としたシュミット部隊長の顔写真だった。
「……彼らが、シュミットたちがなぜこれほどの規模の反乱を起こしたのか、その全容が判明した」
キリアンは静かに語り始めた。
「シュミットが過激派の思想に傾倒した背景には、彼の年の離れた実の兄の存在があった。彼の兄は高名な技術将校であり、我が国でのアルテミシウム技術の礎を築いた男だ。だが10年前、世界規模の技術革新の波の中で、ヒノモト大連邦が圧倒的な覇権を握った。我が国は主権を守るため、連邦との盟約を結び、多くの技術情報を開示せざるを得なくなった……。シュミットの兄はそれを『プロイセンの魂の切り売り』だと激しく憂い、最後は流行り病で失意のうちに亡くなった」
シュミットが最期に叫んでいた『持たざる我らの、兄さんの無念』という言葉が、俺の脳裏に蘇る。
「兄の遺志を継いだシュミットは、ヒノモトの覇権の影に隠れ、牙を抜かれていくプロイセンの現状に耐えかねていた。我が国が再び独立した強国として世界の中心に立つためには、連邦の特務機である君たちの《センコク》や《スクナビ》を奪い、その技術を完全に解析した上で、ソ連や連邦の衝突を利用して漁夫の利を得るしかなかった……。それが、彼の信じた『鋼鉄の革新』の正体だ」
会議室に重苦しい沈黙が流れる。
彼らの行為は決して許されるものではない。多くの無辜の市民を巻き込み、祖国を火の海に変えたのだから。だが、自国を愛するがゆえに、世界の巨大な波に抗おうとしたその執念の悲しさに、俺は複雑な感情を抱かざるを得なかった。
「持たざる者の焦燥、ですか」
カインがいつになく真面目な顔で呟いた。
「世界の均衡が崩れれば、歪みは必ずどこかに現れる。プロイセンにとっては、それがシュミット部隊長だったというわけですね」
「ああ。悲しいかな、あいつの操縦技術は本物だった。俺と並び称されるのが嫌だと笑っていたカタブツが、まさかあそこまでの執念を隠し持っていたとはね……」
キリアンは視線を落とし、悲しげに目を細めた。かつて背中を預け合った親友を、自らの手で葬らなければならなかった天才の胸中は、察するに余りある。
「動機はどうあれ、私たちは踊らされていたのよ。……あの狂犬も含めてね」
不意に、それまで沈黙を守っていたエルザが口を開いた。
彼女は腕を組み、会議室の窓から見える朝焼けの帝都を見つめていた。その横顔はどこか冷徹でありながらも、言葉の端々に隠しきれない割り切れない感情が滲んでいる。
「エルザ大尉……?」
俺が問いかけると、エルザは小さくため息をつき、俺たちの方を振り返った。その瞳には、勝ち気な彼女らしい強固な光が戻っていた。
「驚かせてしまうかもしれないけれど、事実だから話しておくわ。……私と、あのハインツ・ケラーは、かつて恋人同士だったの」
「えっ……」
俺は思わず声を詰まらせた。カインも驚いたように眉を跳ね上げている。あの狂気に満ちた、闘争だけを求める重装甲の狂犬ハインツと、規律を重んじ、部下思いで勝ち気なエルザが、かつて恋人関係にあったなど、到底想像もつかなかった。
「驚くのも無理はないわね」
エルザは自嘲気味に笑った。
「あいつは昔から不器用で、戦いの中でしか自分の存在を証明できない男だった。でも、軍人としては誰よりも真っ直ぐだったのよ。だから私は、あいつのその不器用な強さに惹かれていた。……だけど、いつから狂ってしまったのかしらね」
エルザの拳が、きつく握りしめられる。
「シュミットの過激な思想が軍内に広まった時、ハインツはその圧倒的な『力』による現状打破という甘い蜜に、真っ先に飛びついた。あいつにとっては、国のためというよりも、自分の力を世界に誇示するための格好の舞台に見えたんでしょうね。私はあいつを止めようとした。何度も、何度も話し合おうとしたわ。だけど、あいつは聞く耳を持たなかった。それどころか、まさかシュミットと結託して、この私やキリアンまで裏切り、本隊を奇襲するなんて……本当に、予測すらできなかったわ」
エルザの声が一瞬だけ細くなった。愛した男が完全に狂気に囚われ、祖国を裏切り、自分に牙を剥いてきた。その事実が、どれほど彼女の心を傷つけたかは計り知れない。
「……でもね」
エルザはパッと顔を上げ、俺たちの目を真っ直ぐに見据えた。そこには、一人の誇り高きプロイセン軍人としての凛とした姿があった。
「レン、カイン。あんたたちがあいつを叩き潰し、完全に分からせてくれたおかげで、私は救われたわ。あいつは最期、醜く死んだあの瞬間に、私の知っていたハインツ・ケラーは完全に死んだのよ。あんたたちに目を覚ましてもらって、本当に……清々したわ」
彼女の「清々した」という言葉は、ハインツへの決別の証だった。裏切られた悲しみをその強がりの裏に隠し、前を向こうとする彼女の姿に、俺は深い敬意を抱いた。
「エルザ部隊長、俺たちはただ……」
「いいのよ、お礼を言わせなさい。あんたたちが我が国の技術の結晶であるセンコクとスクナビを正しく動かし、あの狂犬を止めてくれなければ、帝都は今頃跡形もなく消し飛び、私たちは本当の売国奴になるところだったんだから」
エルザはそう言って、小さく微笑んだ。
「ただ……一つだけ、気がかりなことがあるわ」
キリアンが表情を曇らせ、ホログラムの画面を切り替えた。そこに映し出されたのは、漆黒の隠密機のデータだ。
「ディートリヒ・バウアー大尉……。彼はシュミットの腹心として、今回の反乱の通信遮断や爆破工作のすべてを裏で手引きしていた張本人だ。ハインツやシュミットが倒れた後も、奴は自機の光学迷彩を最大限に利用し、プロイセンの国境線を越えて逃亡した形跡がある」
「逃げた、ということですか」
カインが目を細める。
「ああ。奴の行方は未だに掴めていない。だが、奴の背後には、今回の内戦を裏で煽動していた『別の影』が見え隠れしている。……おそらくは、君たちが追っているソ連のあの藍色の機体、そして《アルテミス・レイ》の一派だ」
キリアンの言葉に、俺の全身の血が再び冷たく沸騰するのを感じた。
やはり、すべては繋がっている。この国を襲った悲劇も、あのシュミットの暴走も、すべてはあの白い悪魔と藍色の骨董機が仕組んだ、世界を混沌に陥れるためのシナリオの一部だったのだ。
「ディートリヒ……。奴を追えば、あのソ連の機体に辿り着けるかもしれないな」
俺が低く呟いたその時、隣にいたカインが顎に手を当て、小さく目を細めた。
「……ソ連の機体、ですか。確かにタイミングが良すぎますが、少々引っかかりますね。あの藍色のパイロット、ハインツをあしらっている時も『人の話を聞かないのはさっきの狂犬だけで十分』と酷く呆れていました。内戦を裏で操るフィクサーにしては、いささか現場任せというか、彼女自身も何かを必死に探しているように見えましたが……」
「カイン、奴らを庇うつもりか? 現にあの時、奴らはプロイセンの基地に侵入していたんだぞ」
俺が鋭く視線を向けると、カインは「いえ、ただの軍人としての直感ですよ」と、いつもの飄々とした態度で両手をすくめてみせた。
「まあ、現段階ではディートリヒが残した足跡がソ連側のセクターへ向いている、というだけさ」
キリアンが苦笑混じりに割って入り、俺の肩をポンと叩いた。
「その追跡は、我が国の憲兵隊と、君たち連邦の情報部が共同で行う。情報が入り次第、すぐに共有することを約束しよう。だから――」
キリアンはいつもの気さくな、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「アザレアの諸君。ここ数日間、君たちは泥にまみれて我が国の復興のために働き詰めで、まともな休息も取っていないはずだ。機体の完全な最終調整が終わるまで、あと丸一日かかる。――今度こそ、この街で存分に羽を伸ばしてくるといい」
「え?」
俺が呆気に取られていると、エルザも悪戯っぽく微笑んで見せた。
「少佐の言う通りよ。プロイセンの帝都は、戦車と硝煙だけの街じゃないわ。美味しいものも、綺麗な場所もたくさんあるんだから。案内はお任せしなさい。アザレアのエースたちに、我が国の最高の文化を体験させてあげるわ!」
キリアンとエルザの温かい提案に、俺とカインは顔を見合わせ、ようやく小さく頷いた。張り詰めていた緊張の糸が、朝焼けの光の中に溶けていくようだった。




