4話月面都市の喧騒の中で
「そういえばおじさんってどんなことをしている人なの?」
と買い物へ向かう道中にアイは俺に質問を投げかけてきた。
「俺か、この国を守るお仕事さ」
俺はなるべく軽いトーンで、そうはぐらかした。嘘じゃない。だが、その「守る」という言葉の裏に、どれだけの血と、どれほどの恐怖が隠されているか。それをこの少女に今さら語る必要はなかった。
「ふーん……すごいんだね、おじさん」
アイは感心したように小さな声を漏らし、俺の顔を覗き込んできた。その無垢な瞳に見つめられると、胸の奥が少しだけ痛む。
「すごくはないさ。ただ、生き残るために必死なだけだ」
何故、俺はここまでこの少女に構っているのだろう。
戦場では、これまでに数え切れないほどの命を奪ってきた。その中には、彼女と同じくらいの子供たちの親もいたはずだ。罪滅ぼしか? それとも、ただの気まぐれか。
理由なんてどうでもよかった。ただ、コックピットの中で死の恐怖に怯え、叫ぶことしかできなかったあの頃の自分を、この少女の中に見てしまったからかもしれない。
「まずは、服屋だな」
俺たちは居住区の片隅にある、お世辞にも高級とは言えない既製服の店に入った。並んでいるのは、どれも耐久性だけが自慢の地味な作業着や普段着ばかりだ。
「好きなのを選べ。あー……動きやすいやつがいいな」
「えっと……じゃあ、これ……」
アイが恐る恐る指差したのは、ごく普通のシンプルな淡いブルーのワンピースと、白いニットの上着だった。月面都市の灰色に汚れた景色の中では、少し眩しすぎるくらいの、綺麗な色。
「分かった。それと、下着や靴も一通り揃えるぞ」
店員にサイズを合わせてもらい、まとめてクレジットで会計を済ませる。一瞬、店員が俺とアイを不審そうな目で見たが、俺が軍のIDカードをチラつかせると、すぐに余計な詮索をやめて頭を下げた。軍人の特権など、戦場以外では使いたくもなかったが、こういう時は便利だと皮肉混じりに思う。
「次は食料だ」
服の入った袋を片手に、俺たちは近くの闇市まがいの配給マーケットへ向かった。
本物の生鮮食品は高騰して手が出ないが、マシなグレードの合成肉や、保存の効く真空パックの野菜をいくつか買い込む。気づけば、両手は買い物袋で塞がっていた。
「おじさん、それ、私が持つよ」
アイが気まずそうに、小さな手を伸ばしてくる。
「バカ言え。こんなの、アルテミシウムの炉のレバーを引くより軽い。お前は自分の服だけ持ってろ」
ぶっきらぼうに返すと、アイはふふっ、と小さく笑っ
た。昨日出会ってから、初めて見る彼女の本当の笑顔だった。心臓の奥が、ほんの少しだけ温かくなるのを感じる。
家に戻り、買ってきたばかりの服に店内で着替えたアイを改めて見る。
サイズがぴったり合ったその姿は、どこにでもいる普通の、守られるべき少女そのものだった。
「……よし。じゃあ、今度こそ美味い飯にするか」
「うん!」
キッチンに立ち、買ってきた食材を並べる。
俺の手は、操縦桿を握るためでも、引き金を引くためでもなく、今はただ、目の前の小さな命を繋ぎ止めるために動いていた。
宇宙の果てで純白の閃光を散らす「不朽の死神」としての俺は、今この狭い部屋にはどこにもいなかった。
だが、そんなささやかな平穏さえも長くは許してくれなかった。
ピピッ――、ピピッ――。
リビングのテーブルに放り出していた、軍支給の通信端末が冷徹な電子音を鳴り響かせた。
その音を聞いた瞬間、俺の身体は本能的に強張った。アイもビクリと肩を揺らし、スプーンを持ったまま俺の顔を不安そうに見つめてくる。
俺は無言で端末を拾い上げ、画面を表示させた。
『リーカス・ソノダ大尉。休暇中、突発の任務につき申し訳ない。至急、アウトラインズ中央基地、第4格納庫へ出頭せよ。ソ連軍特務部隊「セーラス」の残党が、本居住区近海へ向けて急加速中。アルテミス・レイの即時出撃が必要である。これは命令だ』
俺を再びあの不朽の死神の呪縛へと引きずり戻そうとするのか?
まだ休暇は数週間残っているはずだった。だが、軍にとって俺はただの人間ではないのだろう。「アルテミス・レイ」という巨大な鉄の塊を動かすための、代替の利かない「部品」なのだ。
「おじさん……?」
アイの声が震えていた。俺の表情が一瞬で変わったのを、聡い彼女は察したのだ。
「……すまん、アイ。急に仕事が入った」
「仕事……? 行っちゃうの?」
「ああ。行かなきゃならない。だが――」
俺はアイを見る。そして、思い出した。この国の孤児への支援は程度が低い。それなら可能性に賭けるほうがいいだろう。
「よし、アイ。一緒に行くぞ」
「え……? いっしょに……?」
アイは驚いたように、藍色の大きな目を見開いた。
「ああ。この街の孤児への支援なんて最低限以下だ。お前をここに一人で置いていけば、明日にはどうなっているか分からない。軍の施設の方がセキュリティだけは厳重だからな。それに……お前を一人にはしない。俺が信頼できる奴のところに預ける。……いいな?」
俺がそう言ってコートを羽織ると、アイは不安そうに、だけど俺の目をまっすぐに見つめ返し、小さく、強く頷いた。
「うん……おじさんについていく」
中央基地の分厚い装甲隔壁を、俺の軍用IDカードで通過する。大きめの制服コートをアイの頭からすっぽりと被せ、周囲の喧騒や憲兵の鋭い視線から隠しながら、俺は基地のオペレーション・フロアへと急いだ。
向かうのは、この狂った軍隊の中で、俺の数少ない知り合いである女性オペレーターのところだ。
ブリーフィングルームの傍らにある管制室のドアを叩くと、中からインカムを外しながら、一人の女性士官が怪訝そうな顔で出てきた。本国との通信を担当している、臨時のオペレーターだ。
「……何ですかリーカス大尉、あんた休暇中でしょ。なんで基地にって、ちょっと、誰の子!?」
「すまない急な出撃命令が出た。こいつを、お前の部屋かオペレート室の隅で預かってくれ……ないか?」
俺がコートを少しめくると、中から不安げな表情のアイが顔を出した。
「はぁ!? 出たわね。リーカスのカスの部分!」
「行き場のない子だ。この子を一人で置いておくわけにはいかないんだ。頼む、お前にしか頼めない」
俺が真剣な目で詰め寄ると、彼女は呆れたように大きなため息をついた。だが、その目はすぐに俺の背後、怯えて身を縮めているアイへと向けられた。
彼女はそっとアイの目線に合わせて屈み、声をかけた。
「……お名前は?」
「……アイ」
「そう、アイちゃんね。分かったわ、私の目の届くところに置きましょう。このぶっきらぼうな大尉みたいに怖くはないから。……おいで」
彼女が優しく手を差し伸べると、アイは何度も俺の顔を振り返りながらも、おずおずとその手を握った。
「助かる、恩にきる」
「お礼なんていいから、ちゃんと生きて戻りなさいよっ」
彼女の言葉に短く頷き、俺はアイの目線に合わせるように屈んだ。
「アイ、行ってくる。彼女の言うことをよく聞いて、いい子にしてろよ」
「おじさん 死んじゃいやだよ……?」
アイが引き止めようとする声を背中で聞きながら、俺は振り返らずに第4格納庫へと続く回廊を歩き出した。
キィィィィィン……。
格納庫に近づくにつれ、耳の奥を刺すような不快な高音が大きくなっていく。アルテミシウム炉の駆動音だ。俺の乗る「アルテミス・レイ」の出撃準備がすでに始まっている。
ドクン、ドクンと、心臓が再び嫌な音を立てて跳ね始める。
死にたくない。またあの地獄へ戻るのか。恐怖が俺の全身を支配していく。
だが、格納庫のプラットホームに足を踏み込んだ瞬間、俺の目はある一つの影に釘付けになった。
「アルテミス・レイ」の隣。そこには、別のドックに係留された、もう一機の純白の姉妹機「アルテミス・ノヴァ」の姿があった。そして、その機体の足元で、フライトスーツのジッパーを無表情にあげている男がいた。
「……ユウマ?」
俺の声に、その男がゆっくりと振り返った。
数年ぶりに出会う、かつての親友。ホロ・モニターの中では、冷徹なまでに洗練された「軍の英雄」として戦場を支配していた男。
だが、間近で見るその姿は、プロパガンダの映像すら生ぬるく感じられるほどの圧倒的な存在感に満ちていた。
ユウマの肌は健康的な血色を帯び、その切れ長の瞳はかつてないほど力強く澄み渡っている。何より、操縦桿を握るはずのあいつの手は、寸分の狂いもなく完全に静止していた。
次の瞬間、その瞳に宿ったのは、すべての不安を完全に超越した「確固たる自信と希望の光」だった。彼は拳を強く握りしめ、頼もしさに満ちた不敵な笑みを浮かべた。
「ユウマ?」
「おお、久しぶりだな、リーカス。驚くんじゃねえぞ」
ユウマは静かに微笑んだ。その瞳には、かつての怯えなど微塵も残っていない。
「このアルテミシウムの炉の音が、俺には未来を切り裂く凱歌に聞こえる。戦場に出るたび、俺は確実に進化している。それが、たまらなく気持ちいいんだ」
「な、何言ってるんだ…」
低く、力強い声。言葉の端々に、絶望をねじ伏せた者の重みがあった。周囲の空気さえ、彼の自信に染め上げられている。
「この高揚こそが、俺たちが勝つ理由だ。行こうぜ、リーカス。この腐った時代を、俺たちの手で終わらせる」
ユウマはヘルメットを抱えると、迷いなくリフトに飛び乗った。上がっていく機体の中で、その背中は揺るぎなかった。新時代を切り開く使命などという大仰なものではなく、ただ「勝つ」という明確で病的な意志だけが、そこにあった。
キィィィン……!
二基の炉が共鳴し、格納庫に鋭い高音が響く。
俺は自分の機体に滑り込み、コクピットに身を沈めた。操縦桿を握る手に、ユウマの熱が伝わってくる。
(死ねるか……。俺は、まだ死にたくない……!)
「リーカス、アルテミス・レイ、発進する!」
純白の機体を漆黒の宇宙へ解き放つ瞬間、俺は歯を食いしばった。
生き延びる執着だけを胸に。




