32話再出発
車は帝都ヒノモトの灯火を背後に、夜の帳が降りた臨海工業地帯へと滑り込んでいく。
街灯の途切れた暗がりに佇む、錆びついた赤レンガの倉庫。そこがソ連情報部の極東における秘密連絡所だった。
タチアナが連れてきてくれたその場所へ一歩足を踏み入れると、外観の荒廃ぶりとは打って変わり、銀色の床や壁が埋め尽くす洗練された広大な整備場が広がっていた。
「おーい! アイ!」
聞き覚えのある大声に私が振り向くと、そこには工具を片手にニカッと笑う男がいた。バヤール以来の付き合いになる整備士のエース、イワンだ。彼もまた、今回のヘリオスフィア奪還作戦に参加する重要な一人だった。
「よお、帰ってきたか。バヤールの準備とお前の"相棒"の準備は終わってるぞ」
「そっか! じゃあ私の相棒の元に案内してくれる?」
「ああ! もちろんあっちだ!」
案内されたドックの最奥に佇むのは、私の愛機の《ニルヴァーナ》。名付け親は私だ。ふふん!
由来は「私にはないものは何かなぁ」と考えてつけたもの。まあ、そのないものを欲しがっているわけではないけれど。
そして、この機体には特別な思い入れがある。なんせ、10年前の太陽戦争でバヤールを守るために尽力してくれたニコライおじさんの愛機のエイドロンを回収し、ソ連の技術で全面改修した機体なのだから。
近接戦も遠距離戦もそつなくこなす万能機だったエイドロンをベースに、さらに私好みの尖った仕様へと大改造してもらった。
まず、これまでの武装は思い切って全て整理した。
スナイパーライフル《ヘカテー》廃止!
ピストル《ネメシス》廃止!
高周波ナイフ《サイレンス》廃止!
ステルス機能も廃止。10年後の今の技術だとすぐバレるため。
「え? 武器減らしすぎじゃない?」って?
ふふ……甘いねぇ。私に必要なのは、そんな中途端な武器じゃない。
追加したのは、一本の「刀」。そしてその刀を納める「鞘」だけど、この鞘はただの鞘じゃない。なんと、鞘の鯉口(刀を出し入れする穴)から強力なビームが撃てるのだ!
「鞘で撃って、刀で斬る。」
我ながら天才的な発想だと思う。
教官には「整備性を考えろ」と呆れられ、本国の技術者には「そんな変態仕様は前例がありません」と頭を抱えられたけど、ちゃんと形になって動くんだから結果オーライだよね。
遠距離では鞘をそのままビーム銃として使い、接近戦では刀を抜く。だから戦場でも「刀を抜いた瞬間に銃を捨てる」なんて無駄な動きは一切ない。うん、やっぱりこの装備、最高!
仕上げに、私の名前にちなんで鮮やかな藍色に装甲を塗装してもらった。ここもポイントが高い。
そうやって私がニルヴァーナを前に自画自賛の世界に浸っていた、その時だった。
「ハハ! 相変わらずそれに惚れ込んでるな。アイ!」
地響きのような豪快な笑い声とともに、整備場の奥から巨大な影が現れた。
ザンギエフだ。
10年前の太陽戦争で満身創痍となりながらも生き残り、今は私の後見人であり、同時にこの部隊の一員の頼もしき老兵。その無骨な顔にはさらに深い皺と戦傷が刻まれていたが、分厚い胸板と眼光の鋭さは健在だった。
「ザンギエフ! もう、妄想の邪魔しないでよ!」
「妄想とは人聞きが悪いな、隊長。ただの事実の指摘ですよ」
ザンギエフの背後から、呆れたように、けれどどこか嬉しそうな声が続いた。
特注のパイロットスーツの胸元を少し緩め、壁に寄りかかってニヤリと笑う男。レフ・ポポフ(21歳)だ。
ザンギエフの息子たち(テロリスト)をはじめ、血気盛んな義勇兵が大半を占めるこの小隊において、彼は唯一の正規訓練校卒業生であり、私の直属の部下を務める副隊長だった。
「それにしても……相変わらず凄まじい変態兵器だ。刀と鞘をセットで使うなんて、あなた以外には絶対に乗りこなせない」
そう言ってニルヴァーナを見上げるレフの視線は、すぐに私へと戻る。その瞳には、上官に対する敬意以上の、隠しきれない熱い感情が滲んでいた。
「でも、俺は嫌いじゃないですよ。あなたのそういう、誰も追いつけないような尖った天才的なところ……最高に格好いいと思ってます」
「がっはっは! 言うようになったなレフ! だがアイ、この若造の言う通り、その機体はお前にしか扱えん。ニコライの魂もお前が乗ることを喜んでいるはずだ。……さあ、リーカスを、あの魔機を奪還する準備はいつでも整っているぞ」
ザンギエフが重い拳を手のひらに打ち付け、闘志を燃やす。
レフがどれだけ熱い視線を送ろうが、ザンギエフがどれだけ私を鼓舞しようが、私の頭の中にあるのはリーカスおじさんの奪還と、ヒノモトへの復讐。そして何より、恋人のタチアナちゃんのことだけだ。
「はいはい、二人ともありがと。レフは口を動かす前に、自分の機体のサンスカーラの最終チェックでもしてきなよ。」
「えっ、隊長、あしらうの早すぎません?」と肩を落とすレフを置き去りにして、私はさっさとニルヴァーナのコックピットへ繋がる階段へと足をかける。
「イワン! ニルヴァーナのシステムチェック、私も手伝う!」
「おうよ、最高の状態でお前を送り出してやるからな!」とイワンが頼もしく応じる。
「冷たいなぁ……。ま、そこも素敵なんですけどね」と懲りずに髪をかき上げるレフと、それを「若造、色恋は戦場から戻ってからにしろ!」と豪快に笑い飛ばすザンギエフの声を背中に浴びながら、私は愛機のハッチを開いた。
藍色の装甲に包まれたコックピットに滑り込むと、一瞬にして私の表情は冷徹な戦士の目へと変わる。
この日のために、私は地獄のようなエージェント訓練と人型兵器の操縦訓練を耐え抜いてきた。脳波とアルテミシウムの共振が異様に安定しているという「天才的適性」を武器に、若くして二重資格者の座をもぎ取ったのだ。すべては、おじさんに再び出会い、"ある一言"を告げるため。
「待っててね、おじさん……」
メインモニターが起動し、世界が光に染まっていく。
艦長ボリス、タチアナの指揮する「バヤール」、そしてザンギエフたち心強い仲間たちのバックアップを受け、恐らく今も機体に囚われたリーカスおじさんを奪還する10年越しの作戦が、いよいよ幕を開けようとしていた。




