31話アイ
10年後……
「ふんふふーん♩」
一人の若い女が、活気あふれる路地をご機嫌に歩いている。そこは帝都ヒノモト。
10年前の『太陽戦争』で未知のエネルギー「ヘリオスフィア」の攻撃を多く受けたハンドマンに残った残滓をヒノモトが解析。それを培養し、アルテミシウムと合成することで、次世代の動力「アルテミシウム・ノヴァ」として迎え入れた。
その技術は瞬く間に世界へと広がり、ヒノモトは爆発的な発展を遂げていた。
その国力は、ヌーベル・フランスやイングランド王国、神聖ローマ帝国、プロイセン王国、秦、ムガル帝国、新羅、オスマン帝国といった並み居る主要大国をまたたく間に圧倒した。
そして何より、各国がヒノモトに下った最大の理由は、アルテミシウム・ノヴァだった。
次世代の動力を手に入れなければ、ヒノモトとの国力差は広がる一方。各国はその技術と供給を求め、ある国は条約を結び、ある国は資源を差し出し、またある国は軍事的な庇護を求めてヒノモトの傘下へと入っていった。
やがて諸国は、ヒノモトの覇権に媚びへつらうしかなくなっていた。
唯一、ヒノモト率いる大連邦に屈していないのはソ連のみ。
元より莫大な資源と強靭な人材、そして強大な軍事力を誇るソ連だけが、この世界の均衡を保つ最後の砦として拮抗し続けていた。
だが、この10年間を語る上で、もう一つ忘れてはならない漆黒の影があった。
『アルテミス・レイ』。
太陽戦争が終結した直後、ヘリオスフィアの禍々しい輝きを宿したその魔機は、ソ連の追撃をあざ笑うかのように振り切り、地球へと消息を絶った。
だがその後、その機体は世界各地へ突如として姿を現し始める。
標的は、ほとんど無差別だった。
ある時は繁栄を誇る大都市。
ある時は厳重に警戒された軍港。
そしてある時は、最先端の研究施設。
神出鬼没の襲撃は不定期に、しかし確実に繰り返され、世界に恐怖を植え付けていった。
各国の最新鋭兵器が総力を挙げて迎撃を試みたものの、天災そのものと化したその圧倒的な戦闘能力の前には木の葉のように一蹴され、地表に刻まれる爪痕は年を追うごとに拡大していく。
ときには大気圏外での征伐を企て、宇宙空間で包囲網を敷いたこともあった。しかし、追い詰められたかに見えた魔機は、人類の常識を遥かに凌駕する恐ろしい速度で加速し、暗闇の彼方へと容易く逃走してみせた。追撃の術すら持たぬ各国の宇宙軍は、ただ茫然とその軌跡を見送るほかなかった。
しかし、襲撃の記録が積み重なるにつれ、世界はある奇妙な法則に気づき始める。
アルテミス・レイは、完全に無差別に破壊を繰り返しているわけではなかった。
襲撃された地点を分析した結果、その多くが周囲と比べて異常に高いアルテミシウム反応を示していたのである。
アルテミシウム炉を備えた軍事施設。
アルテミシウムの採掘場。
あるいは、その研究・精製を行う施設。
アルテミシウム反応が高ければ高いほど、アルテミス・レイが現れる確率もまた高くなる。
それはまるで、あの機体が世界中に散らばるアルテミシウムの存在を感じ取り、その濃度を追うようにして襲撃しているかのようだった。
そして、もう一つ。
世界をあまねく蹂躙するアルテミス・レイが、唯一、ソ連の領土だけは一度も襲撃していないのだ。
「あの魔機は、ソ連が裏で操る秘密兵器ではないのか」
当然の如く沸き起こった疑惑は、瞬く間に各国へと伝播し、人々の不信感を煽った。ソ連政府は国際社会に向けて幾度となく関与を否定する声明を発表したが、その言葉に耳を傾ける者はどこにもいなかった。沈黙を貫く純白の死神が、何よりの雄弁としてソ連の関与を物語っているように見えたからだ。
結果として、世界の勢力図は歪に塗り替えられていく。
未知のエネルギーを以て急速に台頭し、諸国を平伏させる「ヒノモト大連邦」。そして、世界中から疑惑と畏怖の目を向けられながらも、圧倒的な軍事力で君臨し続ける超大国「ソ連」。
失われたはずの魔機がもたらした不穏な火種は、世界をこの二極構造へと押し進め、次なる巨大な動乱の足音を静かに響かせていた。
女はそんな繁栄の象徴である帝都の中心から、少し離れた古びた住宅街へと足を運んでいた。
白いブラウスに淡い桜色のカーディガン、膝丈のプリーツスカート。肩まで伸ばした黒髪を、風に揺らしながら軽やかに歩く姿は、まるでこの街の喧騒とは別の世界から来たかのように可憐だった。
「ふふ、やっと来れた」
女はあるアパートの一室の扉の前に立ち、インターホンを押す。
「はいはい」
ドアの奥からは少し年をとった女の返事の声が聞こえてくる。
やがて、鍵の開く音がしてドアがゆっくりと開いた。
出てきたのは、四十代ほどと思われる女性だった。柔らかい笑顔を浮かべ、わずかに白髪の混じった髪を無造作にまとめている。
「あら、どちら様で——」
その言葉は、途中で凍りついた。
若い女が一瞬で間合いを詰め、右手に握った短刀を女性の腹部に深々と突き刺した。
「っ……!?」
女性の目が見開かれる。苦痛と驚愕に歪む顔を、若い女は冷ややかに見下ろした。
「……あなたが、リーカスおじさんを振った女だね」
短刀をさらに一回転させ、女は低く、静かに告げた。
「私はアイ・ソノダ。リーカスおじさんの養子。あんたがあの人の気持ちを踏みにじったんでしよ。……許さない」
女の口から、赤い血が溢れ出す。
膝から崩れ落ちようとする体を、アイは左手で乱暴に壁へ押しつけたまま、感情のこもらない声で続けた。
「おじさんは全くあんたのことを私には言わなかった。それが、余計に腹が立つ」
短刀を引き抜くと同時に、鮮血がアパートの床に飛び散った。
女性は壁に背を預けたまま、ゆっくりとその場にへたり込む。
アイは血に濡れた刃を一振りして振り払い、冷たい瞳で倒れゆく女性を見下ろした。
「これで……少しは、おじさんの無念が晴れたかな?」
そう言い、アイはアパートの部屋を後にして階段を降りた。そこには車が一つ止まっており、一人の私服の女がいた。それはタチアナだった。
「アイ……ほんとによかったんですか?」
「もおー、タ・チ・ア・ナちゃん!あのオバハンはリーカスおじさんを裏切ったんだよー!こうなっても当たり前なんだよ!」
「……そう…ですか」
タチアナちゃんは10年前、バヤールでヘリオスフィアを輸送中、再び戻って来たユウマとかいうクズにヘリオスフィアを暴走させられてアルテミス・レイは地球へ飛んでちゃった。それでソ連からは奪還の指示をされてたの。その延長でなんと私の復讐にも付き合ってくれてる。でも、こんなにも私のことを手伝ってくれるなんて何かお礼してあげたいなぁ。
ふと、そう思った私は、久しぶりに甘えたくなった。
「えっ、アイ、急に何を——ん……」
タチアナの体が一瞬、固まった。
頰がみるみる赤く染まっていくのが、夜の街灯の下でもはっきり分かった。
「ちょっと、外ではダメって言ったじゃないですか……!」
「ふふ、でも満更でもないでしょ?」
私は笑いながら助手席に滑り込んだ。タチアナも慌てた様子で運転席に座る。
「もう行きますよ!」
車が静かに発進する。私はシートに体を預け、窓の外を流れる帝都の夜景を眺めた。
タチアナちゃんとは2年前に付き合い始めた。でも、好きになったのはもっと前、私とタチアナちゃんが出会った時、その時は恋心に気づかなかったが。リーカスおじさんを失った直後、彼女らしい硬い言葉で励まされてこれは恋心だと気づいた。そして15歳の時、自然と想いを伝えた。でも「未成年とは付き合えません!」と言われ、18歳になるまで待たされたっけ。
それで私は10年前からどうなったかというと結果的にはソ連にヘリオスフィアを持ち帰れなかったため、ソ連の市民になることは叶わなかった。でも私の希望とタチアナの強力な推薦もあって、ソ連のエージェント養成機関に編入することができた。
それからの5年間は、地獄のような日々だった。
まず叩き込まれたのは基礎的な諜報員教育。暗号解読、尾行・反尾行技術、偽装工作、毒物と薬物の知識、通信傍受。そして何より、徹底的な格闘訓練と暗殺術。ソ連の教官たちは容赦がなかった。睡眠時間を削り、骨が軋むまで格闘を繰り返し、実際に刃物を使った実戦形式のスパーリングを何度もこなした。失敗すれば即座に罰則——氷点下の水槽に放り込まれる「耐寒訓練」や、48時間連続での尋問耐性訓練は、今でも悪夢として蘇る。二年目からは専門課程に移り、火器の扱いから爆発物、電子戦まで幅広く学んだ。特に力を入れられたのは「静かな殺し方」。痕跡を残さず、目撃者を残さず、誰にも気づかれずに標的を排除する技術。……今日のアパートでの一件も、その訓練の成果と言える。
そして三年目から、私の人生を大きく変えたのが「人型兵器」の操縦訓練だった。
アルテミシウムを動力源とする人型機動兵器。それは常人離れした動体視力と空間把握能力、感情、そして何より「同調率」が必要だった。
私はこの同調率が異常に高かったらしい。教官曰く「天才的適性」。脳波とアルテミシウムの共振が異様に安定しており、機体への負担も少ないという。最初はシミュレーターで数百時間の仮想戦闘をこなし、その後、実際の機体を使った実戦訓練へ。雪原での機動演習、都市部での潜入・破壊工作、空中からの落下降下突入……。痛い思いも何度したかわからない。G負荷で意識を失いかけたことも、模擬弾で機体ごと吹き飛ばされたこともある。
でも、そのおかげで今、私はソ連のエージェントとしてだけでなく、新人パイロットとしてはあり得ないアルテミシウム炉を積んだ《ニルヴァーナ》の正規パイロットとしても活動できる立場を手に入れた。タチアナが言うには「前例のない若さでの二重資格者」らしい。
「アイ、着きましたよ」
タチアナの声で、私は回想から現実に引き戻された。車は帝都の外れにある、ソ連の秘密連絡所となっている古い倉庫の前に停まっていた。
私はシートベルトを外しながら、隣の彼女に小さく微笑んだ。
「タチアナちゃん、今日は付き合ってくれてありがとう。またお礼、してあげるね?」
「任務の最中です……」
赤い顔でそっぽを向くかわいいタチアナちゃんを見ながら、私は静かに、あらためて思った。
この力も、この身体も、すべてはリーカスおじさんにもう一度出会うため。幸い今もバヤールとアルテミス・レイは大雑把だかGPSで繋がっている。そして、たとえ死んでいてもおじさんのすぐ側で"伝えたい言葉"がある。私の戦いは、まだ終わっていない。




