29話 尽
深紅のオーラを纏い、アルテミス・レイが宇宙の虚空を猛然と疾走する。
アスフェリオンの力を限界まで引き出した俺の一撃は、もはや天災そのものだった。
しかし、ユウマもまた穢食の神の名をほしいままにした男だった。
『認めない……! こんな力なんて、認めないぞリーカス!!』
《ハンドマン》の巨体が瞬時に横滑りし、迫り来るヘリオスフィアの炎を紙一重で回避。指先のビームソードを閃かせ、反撃の弧を描く。純白の機体の深紅のオーラを切り裂いた。
俺は歯を食いしばる。
(速い……!この巨体の機体はこんなに動けるのか!)
アルテミス・レイが大剣を振り上げ、空間を歪めるほどの赤い炎を叩きつける。
ユウマはそれを《ハンドマン》の巨大な掌で正面から受け止め、衝撃と熱に機体を歪ませながらも、逆に押し返してくる。
二つの膨大なパワーが正面衝突した瞬間、虚空に巨大な光の渦が生まれ、制御しきれない余波が四方八方へと放射された。
近くにいたユウマの随伴機十数機が、一瞬で蒸発するように消し飛び、数百メートル先に展開していた巡洋艦の艦橋が爆砕。爆炎の連鎖が次々と周囲の艦隊を飲み込んでいく。
(あはははは!いいぞ、いいぞ、ぶち壊せ!全部まとめて壊しちゃえ!)
脳内で悪魔が狂喜するたび、あまりの熱に俺の精神が引き裂かれるような感覚になる。視界が白く染まり、意識が薄れゆく。それでも操縦桿を握る指は、一切緩めなかった。
「くっ……!」
ユウマの《ハンドマン》が掌で受け止めた大剣を強引に押し込み、ビームソードを連続で繰り出す。
アルテミス・レイの胸部装甲に火花が散り、深紅のオーラが激しく乱れる。俺は体勢を崩しながらも右脚のスラスターを全開にし、急接近。至近距離で炎弾を連射した。
二機が激しく絡み合うたび、飛び散るエネルギー残渣と衝撃波が周囲を蹂虙した。
ユウマの艦隊は為すすべもなく、誘爆を繰り返しながら次々と光の塵へと変わっていく。叫び声と通信の断末魔が、俺のコックピットにまで届くほどだった。
その時だった。
「若造……! 後は、任せ、たぜ……!!」
機体がバラバラになりながらも最後の力を振り絞ったザンギエフの《アイアン・ベアサバイバー》が、ユウマの背後から牙を剥き、肩部の大型砲塔『オガリ』が咆哮を上げた。
大口径の砲塔が、ハンドマンの手の甲を直撃。爆風と衝撃波がユウマの視界と制御を一瞬、完全に奪った。
『この、往生際の悪いクズがぁぁぁ!!』
「今だ、リーカス!!」
ザンギエフが命を燃やして作った、ほんの一瞬の隙。
俺はその刹那を見逃さなかった。
「終わりだ……!!」
アルテミス・レイの全エネルギーを集中させ、炎をまとった純白の大剣を振り下ろす。
空間そのものを融解させるほどの炎の奔流が、ハンドマンの指全てを根元から吹き飛ばした。
その瞬間、爆発的に膨れ上がったエネルギー波が周囲数十キロにまで達し、残っていたユウマの主力艦隊を一掃する。巨大戦艦が紙のように折れ曲がり、無数の随伴機が火の玉となって散っていく光景が、まるで星が砕けるかのように広がった。
天才の機体が、悲鳴のような金属音を上げながら大きくのけぞる。
ユウマは歯を食いしばり、最後の抵抗で残った部位を振り上げてきたが
もう遅かった。
アルテミス・レイの追撃が、ハンドマンの全体を容赦なく引き裂いていく。
かつて無敵のようだったユウマの機体が、見るも無惨にボロボロに崩れ落ちた。
勝負は、決した。
だが、俺の限界はとうに超えていた。
アルテミシウム炉の輝きが、静かに失われていく。
コックピット内の熱気が引いたあと、骨の髄まで染み込むような冷たさがゆっくりと這い上がってきた。指一本動かすこともできない、魂が溶けて消えていくような虚無。
「……ああ、ここまで、か……」
俺は、かすかに微笑んだ。
視界がぼやけ、意識の端が崩れ落ちていく中で、ようやく悟った。
もう、バヤールには帰れない。みんなの待つ、あの温かい場所へは、二度と——。
震える指で、必死にバヤールへの全回線を開く。カチリ、という小さな音が、まるで人生の終わりを告げる鐘のように響いた。
「ザンギエフ……生きてるか……」
声が、ひどく掠れていた。
「頼みがある……。アイを、俺の代わりに……守ってやってくれ。あいつの、家族に……なってやってくれ……」
『リーカス……!? おい、何を言ってるんだ、お前!』
ザンギエフの声が、必死に震える。
俺は目を閉じ、最愛の少女の顔を瞼の裏に浮かべた。
あの笑顔。あの小さな手。初めて出会った日の、アイ。
一緒に約束した、未来。
全部、胸が痛くなるほど愛おしかった。
「……アイ」
俺は、精一杯の優しさを声に込めた。
「ごめんな……約束、守れそうにない。
おじさんは、もう少し一緒にいたかったよ。お前が大きくなって、笑って、誰かを好きになって……その全部を見てやりたかった。
……でも、仕方ないな。
お前と出会えて、俺は本当に、本当に幸せだった。
ありがとう、アイ。
お前がいてくれたから、俺は……最後まで、戦えたよ。
幸せに、なれよ。絶対に、な……」
通信の向こうで、幼い泣き声が爆発した。
『リーカスおじさん!?いやぁぁっ! 嫌だよ、戻ってきて!
おじさん、行かないで……!リーカスおじさぁん!!』
アイの叫びが、胸を抉るように響く。
必死に泣き叫ぶ声。助けを求める小さな手が、画面の向こうに見えるようだった。
俺は、血の混じった唇を震わせて、最後の微笑みを浮かべた。
「……泣くなよ。おじさんは、いつも……お前のそばにいるから……」
その言葉を言い終えると同時に、操縦桿を握っていた手が、ゆっくりと滑り落ちた。
アルテミス・レイの全ての灯が消え、漆黒の機体は冷たい宇宙の闇に溶け込むように漂い始めた。
意識が、遠のく。
温かな光の向こうに、アイの笑顔が見えた気がした。
——ごめんな。
——愛してるよ。
(アハァ!やっと君の体は僕のものだぁ!!)
リーカスの精神の死を見届けた悪魔アスフェリオンの狂った歓喜の声が、機能停止したはずのコックピット内に木霊する。
その瞬間、完全に沈黙していたアルテミシウム炉が、突如として禍々しい漆黒の輝きを再び、放ち始めた。
ドクン、と機体全体が脈打つ。
リーカスの亡骸を乗せたまま、アルテミス・レイの関節各部が異様な動きで軋み、背部のスラスターが狂暴なまでの出力を超臨界状態で噴射した。
大気を、空間を、すべてを置き去りにするような圧倒的な加速。
漆黒の尾を引きながら、純白の魔機は地球の重力圏へと向かって猛然と急発進した。それは「撤退」などという生易しいものではない。まるで星そのものが墜落していくかのような、狂気の逃亡だった。
『リーカス――ッ!!』
バヤールのブリッジで既に救出されたザンギエフが絶叫する。
すぐさまボリスが艦を最大出力で点火し、舵を地球方向へと切らせようとした。だが、
「くそっ、この期に及んで……!」
ボリスは拳をコンソールに叩きつける。
先ほどの激戦の余波――リーカスが起こした強烈な爆風と破片は、バヤールの推進部を正確に直撃していた。
メインスラスターの半分が沈黙し、残ったノズルからも異常燃焼の火花が激しく吹き出す。バヤールの巨体は出力低下を起こし、急転舵の負荷に耐えかねて激しく震えるばかりで、思うように加速できない。
「主推進機関、大破! 出力が30%まで低下しています! 船体の制御を維持するのがやっとです!」
タチアナの絶望的な叫びがブリッジに響く。
アスフェリオンに引きずられるようにして地球へと落ちていくアルテミス・レイ。その漆黒の尾を引く光は、推進力を失ったバヤールのモニターの中で、またたく間に小さくなっていく。
追いつけない。
物理的な距離が、絶望的な速度差で引き離していく。
バヤールは、ただ急速に遠ざかるアルテミス・レイを、見届けることしかできなかった。推進部の悲鳴のような駆動音だけが、虚しくブリッジに響き渡っていた。




