22話アイアン・ベア・サバイバー
ザンギエフが軽い笑みを浮かべて提案を呑んだ瞬間、バヤールの格納庫は一気に熱を帯びた。イワンが即座にアイアン・ベアの改修に取り掛かったからだ。
しかし、そこにあったのは慌ただしい混乱ではなかった。タチアナの冷徹な指示のもと、イワン率いる整備班が、1ミリの狂いもなく作業を進めていく、張りつめた時間だった。
「下げろ!もっと下げろ! 炉のバイパスが熱暴走寸前だ、火花を撒くな!」
イワンの怒声が響く中、火花と重油の匂いが濃く立ち込める。
上空に吊られた《アイアン・ベア》の背中に、アルテミス・レイの予備の大型推進ユニットが据え付けられていく。太いエネルギーパイプと冷却コードが、血管のように機体へ食い込み、左右に追加されたプロペラントタンクが、翼のように重々しく構える。
元々歪で重厚だったシルエットは、さらに禍々しく、しかし確かな
「力」を宿した姿へと変わった。
格納庫の隅で電磁拘束を外されたザンギエフは、腕を組んだままその光景をじっと見上げていた。やがて、低い声で呟く。
「……信じられねえ。あのヒノモトの部品を、俺の熊が拒否しねえ。むしろ、貪るように馴染みやがる」
「当然です」
タチアナが歩み寄り、パイロットスーツのインナーを投げてよこした。彼女の手元の端末では、ハイブリッド炉が新推進器のエネルギーを着実に掌握していくグラフが、静かに推移している。
「旧ソ連製の炉は、馬鹿みたいにマージンが大きい。他国のパーツだろうと、圧力さえ合えば無理やり回す。それがあの機体の、唯一の美点です」
「ハッ、手厳しい女だ。だが、嫌いじゃねえ」
ザンギエフは太い体にパイロットスーツを押し込みながら、獰猛に笑った。
作業開始から数時間後、全てのボルトが締め切られたその時——
バヤール全体の照明が不吉な赤に切り替わり、警告音が低く響いた。
『ブリッジより全艦へ。本艦はまもなく第1熱壁へ突入する。遮光シールド展開。各員、衝撃に備えよ』
ボリス艦長の声が響くと同時に、外壁が閉じられ、窓の外の地球の青は完全に消えた。視界を埋め尽くすのは、太陽の紅炎が荒れ狂う灼熱の世界だった。船体が軋み、人工重力がわずかに揺らぐ。
リーカスはすでにアルテミス・レイのコックピットに滑り込み、システムを立ち上げていた。隣のハッチでは、ニコライのエイドロンが重い駆動音を立てて片腕の補強を終えている。
「死神殿、レーダーは完全に死んだ。ここからは目と勘だけだ」
「ああ、だが敵も同じはずだろう」
固定クランプが重々しく外れる音が響き、改造を終えた巨体が一歩、前へ踏み出した。
洗練された機体とは真逆の、ただ生き残るためだけに鉄を重ねた「動く城塞」——『アイアン・ベア・サバイバー』。
通信回線越しに、ザンギエフの太い声が響いた。
『待たせたな、死神のお嬢ちゃんども。シベリアの熊が、宇宙で暴れるぜ』
その声には、もはや捕虜だった時の影は微塵も残っていなかった。
太陽のプロミネンスが激しく渦巻く熱地獄の只中。陽炎の向こうから、ユウマたちの影がゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。
『アイアン・ベア・サバイバー』の巨体が床を揺らし、アルテミス・レイとエイドロンの横へと並ぶ。
外部モニターに映し出される映像は、すでに強烈な太陽光によって白く焼き切れかけていた。自動減光シールドが限界まで作動しているものの、プロミネンスがのたうつ光景は、網膜をジリジリと灼くような錯覚すら覚えさせる。
「各機、発艦準備! 敵はすぐ後ろまで来ているわ!」
ブリッジからタチアナの鋭い声が響く。
電磁ノイズの激しい嵐の中、かろうじて維持されている近距離通信に、バヤールの後方を捉えた光学カメラの映像がノイズ混じりで投影された。
熱波に揺らめく空間を切り裂き、大推力の光が4つ、こちらへ向かって一直線に伸びてくる。
先頭を走るのは、ユウマの《ノヴァ》。耐熱の白いコーティングを施されたその機体は、まるで地獄の業火を美しく纏う天使のようでもあった。その後方からは、シンの《ヤタガラス》、マキの《コノハナ》、ゴウダの《タケミカヅチ》が、それぞれの得物を構えて肉薄してくる。
「……レーダーが機能していないこの状況で、迷いなく最短ルートを突っ込んできやがる。あの坊主、本当に化け物だな」
ザンギエフがコックピットの中で低く唸った。
「ユウマにとっては、このノイズすら織り込み済みの計算の内ってわけか。だったら、こっちのやることは一つだけだ!」
俺はスロットルレバーを限界まで押し込んだ。
バヤールのハッチが開き、強烈な熱が機体に叩きつけられる。アラートが鳴り響く中、アルテミス・レイは純白の粒子を噴き出し、灼熱の虚空へと躍り出た。
「ニコライ、ザンギエフ! バヤールに近づかせるな! ここで食い止めるぞ!」
「了解だ、死神殿。この熱さ、シベリアの凍土が少し恋しくなるな……!」
ニコライのエイドロンが光学迷彩をパチパチと狂わせながらも、残されたライフルを起動する。
『ハッ、何を弱気なことを! この程度の熱、滾る肉体とアイアン・ベアの炉の出力でねじ伏せてくれるわ! 行くぞ、ヒノモトの若造ども!』
増設された大型推進ユニットが爆発的な咆哮を上げ、ザンギエフの巨体が凄まじい質量を伴って突進を開始する。
その直後、ユウマの《ノヴァ》のメインカメラが冷徹にこちらを捉え、その手にした高出力ビームライフルが、陽炎の向こうで眩く輝いた。
太陽の白炎に包まれたデッドヒート。
互いの意地と生存をかけた、最初の激突の火蓋が切って落とされた。




