21話熊の助走
アメノトリフネの悪魔たちが不気味に牙を研いでいる頃、バヤールのブリッジに隣接する作戦会議室では、薄暗いホログラムの光の中に、三つの影が落とされていた。
ボリス艦長、タチアナ、そしてイワン。
中央のテーブルに立体表示されているのは、先ほどまで「デッドウェイト」と罵られていた歪な重装甲機の三次元構造図だった。先ほどのコメディめいた喧騒は消え失せ、室内には張り詰めたシリアスな空気が満ちている。
「……で、どうなんだ、イワン。あの熊マシンの実態は」
ボリスがパイプの煙を燻らせながら、低い声で問いかけた。イワンは油のついた手で前髪を掻きむしり、うなるように首を振る。
「骨董品だよ、艦長。フレームの歪みも酷いし、装甲はただの重機用を強引にパッチワークしたもんだ。宇宙空間にそのまま出せば、気密漏れを起こして1分と持たねえ。……だがな」
イワンはホログラムの心臓部、赤く光る炉のデータを拡大した。
「このハイブリッド炉だけは別格だ。旧ソ連が凍結した軍事プランの遺物……排熱効率を犠牲にしちまってるが、こと瞬間的なトルクと出力の限界値だけなら、うちのバヤールのメインスラスターすら凌駕しかねねえ。文字通りの化け物だ」
「つまり、宇宙を飛ぶための『靴』さえ履かせれば、戦力にるということですね」
タチアナが冷徹な口調で補足する。彼女は端末のデータを滑らせ、アイアン・ベアの図面にいくつかのパーツを仮想する。
「バヤールの倉庫に眠っている、アルテミス・レイの予備用大型推進ユニット、および大気圏外運用のためのプロペラントタンク……これらをアイアン・ベアの規格外の炉に直結させます。熱対策の冷却バイパスを強引に通せば、機体剛性を補強しつつ、宇宙戦仕様への急造換装が可能です」
「フン……。だが、あの鉄屑を動かせるのは、多分あの体育座りの熊親父だけだぞ」
ボリスが目を細める。ザンギエフは未だに捕虜であり、自分たちのデータと引き換えに使い捨てにされかけたゲリラの頭目だ。
「説得は、私がします」
タチアナが冷ややかに、しかし確固たる意志を込めて言った。
バヤールの薄暗い一角にある簡易監房。
アイに絵本を読み聞かせ終え、再び電磁拘束具を嵌められたザンギエフは、冷たい床に腰を下ろしていた。そこへ、タチアナが一人で歩み寄る。
「ザンギエフ氏」
「……何用だ、冷徹なコミュニストのお嬢ちゃん。俺に吐かせる情報な
ら、もうすべて話したはずだぞ」
ザンギエフは自嘲気味に鼻を鳴らしたが、タチアナはその目を真っ向から見据えた。
「あなたの愛機を、我が艦の予備パーツを用いて宇宙戦仕様へと換装します。……これを受け入れ、あなたが乗りなさい」
「何だと……?」
ザンギエフの目が険しく光る。捕虜に牙を与える。それがどれほど狂った提案か、軍人なら誰でも理解できるはずだった。
「勘違いしないでください。これは慈悲でも信頼でもありません。……対価です」
タチアナは一歩、檻に近づいた。
「まもなく、ユウマ・トード率いるヒノモトの精鋭がこの太陽圏へ追撃してきます。確率論を語るまでもなく、現在の私たちの戦力では、バヤールを守り切ってこの熱地獄を突破できる可能性は限りなくゼロに近い。だから、あなたの命と力を買い叩く」
「俺に、あの連中と戦えと言うのか? 故郷を捨てて、こんな宇宙の果てで……」
「そうです」
タチアナの声が、凍りつくように鋭くなった。
「あなたはユウマに切り捨てられた。あのままシベリアにいても、待っているのはモルモットとしての死だけです。ザンギエフ氏、あなたにはまだ、死に場所を選ぶ権利が残されている。……生きて帰りたいなら、戦いなさい。あの子が望むひまわりの咲く世界へ、あなた自身の手で」
アイの名前が出た瞬間、ザンギエフの巨大な身体が微かに震えた。
彼は縛られた両手を見つめ、それから、天井の向こうにある己の愛機へ視線を向ける。
「……フン。手厳しいな、お嬢ちゃん。ボルシチの代償としては、少々高くつきすぎる」
ザンギエフはのそりと立ち上がると、拘束具の鎖を重々しく鳴らしながら、獰猛な、しかしどこか晴れやかな笑みを浮かべた。
「いいだろう。戦わねばこの艦と一緒にお陀仏だろうしな。俺のアイアン・ベアに、宇宙の飛び方を教えてやれ。あの坊主の横面に、シベリアの熊の一撃を叩き込んでやる」
特務艦バヤールの暗がりの中で、新たな「牙」が産声を上げようとしていた。太陽の極光が窓の外で激しく燃え盛る中、決戦の足音は確実に近づいていた。




