19話氷の微笑、鉄の檻
宇宙へと駆け上がっていく《バヤール》の光条を、マキの《コノハナ》とゴウダの《タケミカヅチ》は見上げていた。
「あらあら、逃げちゃった。私の可愛いマシンガンをあんなに浴びせてあげたのに、意外と打たれ強いのね、死神ちゃん」
コノハナのハッチが開いて通信越しにマキがツまらなそうに唇を尖らせると、ゴウダが操縦桿から手を離し、豪快に笑いながらそれに応じた。
「はっはっは! いや見事な受け流しであった! ワシのタケミカヅチのスラスターハンマーを真っ向からいなすとはな。あの大剣、骨のある男よ!」
「二人とも呑気だね。確率論から言えば、あの進路は生存率を著しく下げる。彼らは自ら地獄へ飛び込んだのさ」
シンの《ヤタガラス》が静かに二機に合流する。彼らの視線の先、大気圏の向こうでは、ユウマの冷徹な計算がすでに次のチェス盤を動かそうとしていた。
一方その頃、猛烈なGを振り切り、大気圏を突破して宇宙空間へと躍り出た重巡洋艦の格納庫。
敵の追撃をひとまず振り切り、一息つけるかと思った艦内に、何とも言えない、非常に重苦しく、かつシュールな空気が漂っていた。
「……おい。これ、マジでどうすんだよ」
イワンがスパナを片手に、頭を抱えて座り込んでいた。
彼の視線の先にあるのは、ボロボロになったアルテミス・レイとエイドロン。だけではない。
格納庫のど真ん中に、スペースの半分をドカンと占領して鎮座している、油まみれで超重量級の歪な鉄の塊。《アイアン・ベア》。そしてその足元で、電磁拘束具を嵌められたまま、借りてきた猫のように体育座りをしている無骨な巨漢。ザンギエフの姿があった。
「いや、『可能な限り生け捕りにする』とは言ったがよぉ、リーカス! うちの乾燥食料の備蓄、こいつ一人の一食分で一週間分が消し飛ぶんじゃねえか!?」
ボリス艦長が艦橋からわざわざ格納庫まで降りてきて、ザンギエフを指差しながら怒鳴り散らす。
「フン……。俺だってこんなヒノモトの片棒を担ぐかもしれん軟弱な艦の飯など食いたくはない。ボルシチと黒パン、それとウォッカがないなら餓死した方がマシだ」
ザンギエフはフイと顔を背け、フンゴフンゴと鼻を鳴らす。拘束されているわりには、ずいぶんと態度がデカい。
「おい、捕虜の分際でメニューを注文するな! そもそもこの《アイアン・ベア》とかいう化け物マシン、重すぎてバヤールの右舷のスラスターバランスがさっきから狂いまくってんだよ! 太陽へ向かうっていう極限の航路の最中に、こんなデカいデッドウェイトを載せてられるか!」
「なんだと!? 俺の愛機をデッドウェイトとは何事だ! スクラップに見えても、炉の出力だけならお前らのヤサ男みたいな最新鋭機よりよっぽど力強いわ!」
「うるせえ熊親父! 整備兵の俺の身にもなれ! こんな規格外の旧式ハイブリッド炉、うちの工具じゃネジ一本回せねえんだよ!!」
イワンとザンギエフがガミガミと怒鳴り合いを始め、格納庫はさながら場外乱闘の様相を呈し始める。そこへ、コツコツと冷たい足音が響いた。
「静かにしてください。脳細胞の無駄遣いです」
現れたのは、冷徹な表情を崩さないタチアナ・ボストークだった。彼女は手元のデータ端末に凄まじい速度で指を走らせ、冷ややかな視線をザンギエフに向ける。
「ザンギエフ氏の体重および呼吸量、そしてアイアン・ベアの重量フレームによる慣性モーメントのズレ……すべて計算に組み込みました。これ以上のリソース消費は、艦内の酸素濃度をさらに0.5%圧迫します。これ以上騒ぐなら、私が直接、彼をこの艦のサイズに合わせて圧縮しますが?」
「ひ、一言も喋りません……」
タチアナの底冷えするオーラと冷徹な宣告に、さしものザンギエフも気圧されて完全に縮こまる。
「それからイワン、文句を言う暇があるなら手を動かしなさい。旧ソ連製のハイブリッド炉のバイパス構造なら、私がすでに解析を終えて端末にデータを送っています。規格外の出力なら、エネルギーをバヤールの右舷スラスターに直結させて、重量バランスの相殺に回せばいいだけのことです」
「お、おう……さすがだな、タチアナ」
イワンが気圧されながらも感心してスパナを握り直す。タチアナはフンと鼻を鳴らすと、俺の方を向いて言った。
「リーカス、ザンギエフ氏を捕らえたのは情報資産としては正解です。……ですが、落ち着いている暇はありません」
ひとまず当面の猶予を得たとはいえ、目指すは灼熱の太陽。格納庫には依然として、タチアナの冷徹な視線に怯えて未だに体育座りで「……お腹空いた」と小声で呟く熊男と、それを物珍しそうに物陰から見つめるアイの姿が残されていた。太陽への過酷な航路は、奇妙な静けさとともに幕を開けたのだった。




