2話絶望
「な、なんですか。これは?」
俺はあまりの光景に将校に質問を投げかけた。
「生き残った…ということは君にはある程度力があることが上で認定されたのだよ。ということで君にはこの「アルテミス・レイ」を授与することに決めた。」
「い、いや俺はもう戦うことはできません……」
「は?機体授与の名誉を冒涜すると言うのかね」
その言葉はあまりにも威圧的だった。
「あ、いや……」
俺は言葉を詰まらせた。
将校の鋭い視線が、フライトスーツ越しに俺の身体を射抜く。その目は、一人の兵士を見ているのではない。ただ、この巨大な鉄の塊を動かすための「部品」を品定めしている、冷徹な科学者のような目だった。
「勘違いするなよ、ソノダ二等兵。これは命令だ」
将校は一歩、俺に歩み寄る。
「君に拒否権などない。君が生き残ったあの戦場で、我が軍は多大な損失を出した。カズキ大尉も、レイカ中尉も失った。その穴を埋めるのは、生き残った君の義務。そうだろう?」
亡くなった先輩たちの名前を、まるで作戦のコストのように吐き捨てられて、俺の奥歯がガチリと鳴った。
怒り?
いや、違う。
そんな高尚なものじゃない。目の前にそびえ立つ純白で大剣を持つ「アルテミス・レイ」から漂う、圧倒的な質量への恐怖。そして、再びあの地獄へ引きずり戻されることへの、底なしの絶望だ。
俺はその瞬間、悟った。
"敵対する国全てを滅ぼすまで終わらないと"
数年後。
俺はまだ生き残り続けていた。理由は色々あるが。特に大きなものは純白のアルテミス・レイのアルテミシウムの炉と"死への恐怖心"だった
かつて怯えるだけだった二等兵は、今やヒノモト宇宙軍において「不朽の死神」と恐れられる存在になっていた。
キィィィィィン……。
コックピット内に響く、アルテミシウム炉の駆動音。
それは数年前と変わらず、俺の心臓を掴むような不快な高音だ。
だが、この音が激しく鳴り響いている時だけは、自分がまだ生きていると実感できた。
「リーカス・ソノダ大尉。前方よりソ連軍の遊撃部隊が接近中。迎撃をお願いします」
オペレーターの冷静な声が通信に響く。
かつては恐怖で震えた格納庫のハッチが開く。目の前に広がるのは、漆黒の宇宙と、無数の光条が飛び交う戦場。
「大尉、行けますか?」
随伴する部下のパイロットが緊張した声で聞いてくる。
俺は何も答えない。ただ、操縦桿を握る手に力を込める。
ドクン、と心臓が跳ねる。
視界の端に、迫り来る敵機の群れが映った瞬間、俺の身体は本能的な「死の恐怖」で満たされた。怖い。今でも戦場は、死は、たまらなく恐ろしい。
その恐怖に反応し、純白の特務機「アルテミス・レイ」の装甲から、眩いばかりの光の粒子が吹き出す。
『アルテミス共鳴』
「死にたくない……」
俺は小さく呟いた。
その瞬間、アルテミス・レイは月面の重力を無視した超加速で跳んだ。手にした大剣が、敵の機体を紙切れのように一刀両断する。
俺は英雄ではない。ただ、死から逃げ回り、目の前の障壁をすべて破壊し尽くしてきただけの男だ。
「さあ……早く終わらせよう。俺を殺そうとする、すべての敵を消すために」
そうして、戦場に、純白の閃光が狂ったように吹き荒れるのだった。
そして、その日の戦場での小競り合い終え、帰りに乗った船でのことだった。
戦闘を終え、データ共有とメンテナンスのために立ち寄ったブリーフィング・ルームで、俺は一枚のホロ・モニターを眺めていた。
画面に映っていたのは、同じアルテミシウムの炉を積んだ「アルテミス・ノヴァ」を駆る、ユウマ・トードの戦闘記録だ。かつて士官学校で背中を並べたあいつは、俺みたいな乱暴な戦い方と違って洗練された戦い方で、軍のプロパガンダの象徴になっていた。
あいつはあいつの地獄を生きているんだろう。だが、今の俺には他人の心配をする余裕なんて一ミリもなかった。度重なる出撃で、俺の精神と肉体はとっくに限界を迎えていたからだ。
上層部も「死神」の刃が鈍るのを恐れたのか、俺に数ヶ月ぶりとなる長期の特別休暇を命じた。向かう先は、月の「アウトラインズ」にある、俺のアパートだった。
数日後、俺は懐かしい実家の前に立っていた。
軍服の襟を緩め、私服のコートを羽織り、不精髭を生やした姿は、どこからどう見てもただの疲れ切ったおっさんにしか見えないだろう。
カチャリ、電子ロックを解除して数ヶ月ぶりに敷居をまたぐ。
「……ただいま」
誰もいないはずの薄暗い空間に、声を落とす。両親は開戦初期に亡くなり、この家は俺が帰るためだけの、ただの空箱だった。
ソファに深く身体を沈めると、天井のシミがやけに低く感じられた。部屋は耳鳴りがするほど静かだった。古い冷蔵庫の、低く頼りない駆動音だけが、コンクリートの壁に跳ね返っている。昔は違った。仕事帰りの親父の足音、母親が刻む包丁の音。勝手に上がり込んで冷蔵庫を開けるユウマと、それを呆れ顔で見ているミサキ。かつてそこにあったはずの、生活の雑音。だが、今は何も聞こえない。ただ、俺という肉塊が一つ、ここに残されているだけだ。
「……クソ」
毒を吐き捨てるように呟いた。硝煙の煙る戦場では、心などとっくに摩耗して消えたと思っていた。だが、こうして前線から引き剥がされると駄目だ。静寂が、泥に沈んだ連中の顔を容赦なく引きずり出してくる。逃げるように立ち上がり、壁に掛けた古びたコートを羽織って外へ出た。月面都市「アウトラインズ」の夜は、網膜を焼くほどに眩しい。巨大なドームの内壁には欺瞞に満ちた人工の青空が広がり、極彩色の広告ホログラムが空中をのろのろと泳いでいる。行き交う人々は、まるで戦争など遠い星の出来事であるかのように笑い、酒を酌み交わし、肩を寄せ合って歩いていた。だが、一歩路地へ踏み込めば、光の届かない底溜まりがある。
軍需企業の下請け工場から吐き出される煤煙。行き場を失った難民区画。泥を捏ねたような顔でうずくまる、身寄りのない子供たち。
この都市の繁栄は、そうした見えない犠牲の上に成り立っていた。
そこで俺は、じっと背中に突き刺さる視線を感じ、足を止める。振り返ったが、路地の闇があるだけだ。気のせいかと思った瞬間、ガタン、と反転したゴミ箱の陰で硬い音が響いた。
反射的に右手が腰のホルスターへと動く。だが、指先が触れたのはコートの生地だけだった。今は休暇中だ。「鉄の塊」は宿舎に置いてきた。息を殺し、足音を消して近づく。
「ひっ……!」
案の定、短い悲鳴が上がった。ゴミの隙間に縮こまっていたのは、小さな少女だった。せいぜい十歳前後。サイズの合わないボロボロの上着に身を包み、細い手足は煤で黒ずんでいる。何より、その目が俺の足を止めさせた。追い詰められた小動物のそれであり、そして、戦場で嫌というほど見てきた、死の淵に立つ人間の目だった。少女はガタガタと歯を鳴らして震えている。俺はただ、無言で見下ろした。張り詰めた沈黙を破ったのは、少女の、消え入りそうな声だった。
「ご、ごめんなさい……」
何もしていないのに、まず謝罪が出る。理不尽に殴られることが日常になっている者の、防衛本能としての言葉だった。俺は無意識に眉をひそめ、次の瞬間には昔の自分みたいなおせっかいが出ていた。
「何日食ってない」
「え……」
「何日だ」
少女は怯えたように視線を落とし、小さな声を絞り出した。
「……二日」
嘘だ。頬のコケ方からして、三日は水だけで凌いでいる。その言葉を証明するように、少女の腹が情けない音を立てた。少女は恥ずかしそうに、さらに身体を小さく丸める。胸の奥に、言葉にできないざらついた感情が広がっていく。俺は小さくため息を吐いた。
「来い」
「え?」
「飯だ。まともなものを食わせてやる」
少女の顔がにわかに強張った。あからさまな警戒の光がその瞳に宿る。当然だ。この退廃した月面都市において、見返りのない親切ほど疑わしく、危険なものはない。
「嫌ならいい。勝手にしろ」
背を向け、歩き出す。数歩進んだところで、背後から衣服の擦れる音が追ってきた。
「あの……っ」
振り返ると、少女は泣き出しそうな、それでいて必死な顔で俺を見上げていた。
「本当に……ご飯を、くれるの?」
「ああ、飯だけだ」
少女はしばらく、俺の品定めをするようにじっと目を見つめていたが、やがて意を決したように、おずおずと距離を詰めてきた。そして、躊躇いながらも、俺のコートの裾を小さな指先でぎゅっと掴む。その手は、凍りつきそうなほど冷たかった。
「名前は?」
歩調を緩め、前を向いたまま尋ねる。少女は少しの間を置いてから、囁くように答えた。
「……アイ」
「そうか」
俺はコートのポケットに両手を突っ込み、その小さな足音に合わせて、ゆっくりと夜の街へ歩き出した。
その時は知らなかった。「寂しかった」そんな理由で助けた少女が自分の終わった人生を変えるなんて。




