15話ザンギエフ
猛吹雪が吹き荒れる白銀の荒野。その一角に、息を潜めるようにして佇む巨大な鉄の塊があった。ザンギエフの駆る《アイアン・ベア》だ。
コックピットの薄暗い光の中で、ザンギエフは操縦桿に置いた自分の無骨な手をじっと見つめていた。その手は、かつて国家のために数々の勲章を受け取った手であり、そして瓦礫の下から見つけ出した、妻と娘の冷たくなった手を握りしめた手でもあった。
目を閉じれば、あの日失った故郷の焦土が、家族の泣き叫ぶ声が、今でも鮮明に脳裏をよぎる。
(俺はあの日、一度死んだ。国家という巨大な怪物に、すべてを捧げた見返りがこれだ……)
胸の奥をかきむしるような悲痛な思いが、じわじわと黒い憎悪に変質していく。
だが、今の彼にはその憎悪に溺れている暇さえなかった。モニターの隅には、雪原に伏せて出撃の合図を待つ、まだ年若い部下たちの機体が映っている。銃の握り方すらおぼつかない、生きるために戦うしかない哀れな素人たち。彼らは失った家族の代わりであり、何としてでも食わせていかねばならない、ザンギエフの新しい「子供たち」だった。
(あいつらをこれ以上、死なせるわけにはいかねえ。そのためなら……俺は悪魔にでも、ヒノモトの小僧の猟犬にでもなってやる)
ユウマから提示された資金と物資は、組織がこの極寒の地を生き延びるための唯一の命綱。目の前の要塞にいる『不朽の死神』を仕留めれば、すべてが手に入る。
ザンギエフは深くため息をつき、コックピット内のトリガーに指をかけた。
ドオォォォンッ!!!
猛吹雪が吹き荒れる白銀の荒野に、鼓膜を震わせる凄まじい砲声が響き渡った。
ザンギエフの駆る《アイアン・ベア》の右肩にマウントされた、200mm対装甲滑腔砲オガリが火を噴いた。
放たれた巨大な実弾は、ソ連軍要塞のあまりにも堅牢な外殻防壁へと真っ直ぐに突き刺さり、爆音とともに鉄とコンクリートの破片を四方に撒き散らした。かつてこの要塞の設計に関わっていたザンギエフだからこそ遮蔽物の隙間を見抜き、ピンポイントで防衛網の「急所」へと叩き込んだ一撃だった。
煙が風に流された先には、無惨に抉じ開けられた要塞の侵入口が不気味に口を開けている。
「おい野郎ども! 入り口は開いたぞ! 一気に中へなだれ込めッ!!」
ザンギエフが通信機越しに怒声を飛ばす。
その号令とともに、雪原に伏せていたシベリアン・アイアンの量産機たちが一斉に駆動音を上げた。彼らの機体はどれもつぎはぎだらけで、お世辞にも高性能とは言えない。だが、守るべき家族のため、そして生き残るための物資を掴み取るため、飢えた狼のような執念で抉じ開けられた入り口へと殺到していく。
「ヒノモトの小僧にこれ以上舐められてたまるか。今日の俺たちは、ただのゲリラじゃねえ……!」
コックピットの中で、ザンギエフは不揃いな犬歯を剥き出しにして操縦桿を強く握りしめた。
起動レバーをさらに押し込むと、アイアン・ベアの旧式ハイブリッド炉が爆発的な重低音を響かせ、重厚な装甲が激しく震動する。
ズゥゥゥゥン……! ズゥゥゥゥン……!
地鳴りのような足音を立てながら、油を滴らせ、黒い煙を吐き出す鉄の野獣が、自らもゆっくりと要塞の入り口へと向かって進軍を開始した。すべてを奪った国家への復讐と、残された「家族」を今度こそ守り抜くという狂気じみた執念をその巨体に宿して、ザンギエフは真っ直ぐに牙を剥く。
一方、その頃。
ウゥゥゥゥン! ウゥゥゥゥン!
格納庫の天井で、血のような赤色灯が激しく明滅し、鼓膜を刺すサイレンが鳴り響く。
先ほどまで緩んでいた空気は一瞬で吹き飛び、重油と火薬の匂いが立ち込める戦闘態勢へと塗り替えられた。
防寒着の裾を握りしめ、アイが怯えた声を上げる。俺はすかさずアイの肩を抱き寄せ、自分の背後に庇った。床を通じて伝わってくる震動。これは単なる小競り合いじゃない。要塞の外殻が直接、大口径の砲撃を受けた衝撃だ。
「敵襲だ! 外殻第一防衛ライン、大破ァ!」
「モニター室より緊急連絡! 襲撃者は『シベリアン・アイアン』! 敵の数、量産機およそ二十、さらに中央に重量級の固有識別機を確認!」
悲鳴に近いオペレーターの怒号が通信を飛び交う。
「たくっ、襲撃かよ!!」
イワンがスパナを床に叩きつけ、髪をかきむしる。その視線の先――格納庫の中央に鎮座するアルテミス・レイは、装甲が剥き出しになり、背部には組み込まれたばかりの『エッジ・シャード』が、まだ接続ケーブルに繋がれたまま沈黙していた。
「イワン、レイの状況は!?」
俺は格納庫の足場へと駆け上がり、怒鳴るように問いかけた。
「最悪だ! 物理的な換装は終わってるが、OSと新型兵装エッジ・シャードのシステム同調率がまだ15%にも満たねえ! 今動かせば、最悪、炉が暴走して機体ごと消し飛ぶぞ!」
「チッ……」
俺の心臓が、冷たい恐怖に掴まれたように激しく脈打ち始める。
手元にあるのは、未完成の機体。そして、背後には戦う術を持たない幼い少女。
防衛網を熟知しているかのような、躊躇のない一撃。脳裏にあのユウマの冷徹な笑みがよぎる。これは単なるゲリラの暴走ではない。俺たちを確実にここで仕留めるために仕組まれた罠だ。
「……おい、死神殿。お前はそこで指でもくわえて、その自慢のシステムとやらを拝んでいろ」
気怠げ、だが剃刀のように鋭い声が響いた。
隣の足場で、すでにパイロットスーツのヘルメットを小脇に抱えたニコライが、冷酷な笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。
「ニコライ、お前……」
「ここは俺たちの基地だ。薄汚い野良犬どもに踏み荒らされるのは胸糞が悪い。……それに、あの熊の巨体。数年前に行方不明になった、軍の重装甲部隊の生き残りだな。ソ連の亡霊エイドロンの相手としては、不足はない」
ニコライはそれだけ言うと、迷いのない足取りで自身の黒い隠密機エイドロンのコックピットへと飛び込んでいった。
「イワン! 同調を急げ! 1分でも1秒でも早く動かせるようにしろ!」
「言われなくてもやってるわ、このバカ野郎!」
ハッチが閉まり、エイドロンのセンサーが不気味な赤に発光する。カタパルトに固定された黒い機体は、要塞の奥へと侵入してくる鉄の群れを迎え撃つべく、爆発的な推進音とともに暗い通路へと滑り出していった。
要塞の外殻を突き破り、なだれ込んできたシベリアン・アイアンの量産機たちを待ち受けていたのは、完全な暗黒と、そこに潜む「亡霊」だった。
キィィィィン……ッ!
狭い通路に、エイドロンの駆動音が低く響く。
ニコライの駆る黒い機体は、光学迷彩と徹底した消音システムによって、文字通り闇と同化していた。
「な、なんだ!? どこから撃たれて――」
先頭を走っていたゲリラの一機が、叫び声を上げる暇もなく、暗闇から放たれた精密なスナイパーライフルの一撃によってメインカメラを撃ち抜かれ、轟音を立てて崩れ落ちた。
「慌てるな! 散開しろ、相手は単機だ!」
素人ながらも、生きるために必死なゲリラたちは必死に銃口を乱射するが、エイドロンはその弾幕の隙間を滑るようにして死角から死角と移動する。手元で閃いたのは、軍用の高周波ナイフ。すれ違いざまに量産機の関節部を正確に切り裂き、確実にその戦闘能力を奪っていく。
ニコライの圧倒的な技量による各個撃破。それは冷徹で、完璧な遅滞戦闘だった。
だが、その完璧な包囲網を、力技で強引にねじ伏せる「質量」が現れた。
ズゥゥゥゥン……ッ!!!
通路の壁を文字通りすり潰しながら、巨体を震わせて突進してきたのは、ザンギエフの《アイアン・ベア》だった。
「ちょこまかと小賢しいわ、亡霊ぃぃッ!!」
ザンギエフの怒号とともに、左腕の6銃身ヘビーガトリングガンが狂ったように火を噴いた。通路の壁や天井が、凄まじい実弾の嵐によって文字通り削り取られ、破片が四方に飛び散る。
「くっ……!」
ニコライはエイドロンの機動力を活かして後方へ跳んだが、アイアン・ベアの突撃速度はその巨体からは想像もつかないほど速かった。右肩の200mm対装甲滑腔砲オガリが至近距離で炸裂し、その凄まじい風圧と衝撃波だけで、エイドロンの姿勢制御システムが悲鳴を上げる。
「トドメだァァッ!」
間髪入れずに振り下ろされたのは、赤熱化した超大型ヒートトマホーク。
激しい金属音とともに、エイドロンは防壁へと叩きつけられ、その黒い装甲が大きく歪んだ。ニコライの超絶的な技術をもってしても、この狭い通路での圧倒的な重量とパワーの差は覆しようがなかった。
アイアン・ベアの巨大な鉄の足が、動けなくなったエイドロンの胸部を踏みつける。メキメキと不気味な破砕音が響き、ニコライのコックピッ
トに火花が散った。
「グゥッ!!」
「ここまでだ、ソ連の犬め。」
ザンギエフが冷酷に斧を振り上げる。ニコライの絶対絶命の危機。
その時だった。
要塞の奥から、それまでの重苦しい空気を一瞬で吹き飛ばすような、驚異的な高エネルギーの駆動音が響き渡った。
「待たせたな、ニコライ」
通路の闇を切り裂いて現れたのは、純白の機体。
アルテミス・レイだ。
「リーカス……! 同調率はどうした!」
ニコライが通信越しに驚愕の声を上げる。
「100%だ。イワンが文字通り命を削って間に合わせてくれた」
コックピットのなかで、俺は新しく換装されたシステムの稼働レバーを力強く押し込んだ。背中を突き上げるのは、これまで感じたことのない、機体との完璧な一体感。
『エッジ・シャード、システムオンライン。全回路同調完了』
その瞬間、レイの背部から、眩いばかりの銀色の光の粒子が、まるで天使の羽のように爆発的に吹き出した。新型兵装『エッジ・シャード』が、主の強い意志に応えるように、その輝きを放ち始める。
「ほう……それが連邦の、新しいオモチャか」
ザンギエフがアイアン・ベアのモノアイを血走らせ、斧を俺へと向け直す。
「オモチャかどうか、その身で確かめてみろ!」
俺は大剣ルナティクスを引き抜き、銀色の光の羽を纏いながら、目の前の巨大な鉄の野獣へと向かって地を蹴った。




