10話安心のボリス艦長
ヒノモト軍・月面第2統括基地。
徹底的に破壊されたタルタロス・ゲインのコックピットブロックが回収され、格納庫へ運び込まれてから数時間が経過していた。薄暗い修復エリアの片隅で、エイドリアン・バロウズは全身に包帯を巻き、車椅子に身を沈めながらも、その鋭い眼光だけは衰えさせていなかった。
その前に静かに佇むのは、白銀の愛機を無傷で残された男、ユウマ・トードだ。
『……生きてましたか、バロウズ准将』
ユウマの声には、いつもの新時代を見据えるような覇気はなく、どこか凍りついたような冷徹さが混じっていた。リーカスの脱走を見破り、出撃しようとした時には、すでにすべてが終わっていたのだ。
『フン、死神に四肢をもがれた程度で、私が朽ちると思ったか。奴は我がヒノモトの、いや、私の最高傑作だ……。どこへ逃げようとも、あの首に嵌めた首輪を外せると思うなよ』
バロウズは傷口から血を滲ませながら、狂気を孕んだ笑みを浮かべる。その執念は、宇宙の闇に放り出されてなお、微塵も潰えてはいなかった。
『ユウマ。奴はソ連の領域へ逃げ込んだ。奴の機体のデータ、そしてその身に宿る「不朽」の価値は、渡してはならん絶対の果実だ。お前のノヴァで、今度こそすべてを回収してこい』
『……了解しました。リーカスは、俺が連れ戻します』
ユウマは静かに敬礼し、踵を返した。その瞳の奥にある「確信」の光は、かつての友をその手で討つ覚悟へと変わりつつあった。
取調室を出た後、俺とアイはボリス中佐――いや、今回の亡命受け入れの手際を認められ、正式に巡洋艦の「艦長」へと昇格したボリスに連れられ、アルテミス・レイが収容されている極秘ドックへと向かっていた。
「ここから先は、太陽近傍という地獄へ赴くための特別チームだ。……ただし、かなりクセのある連中が集まっている。覚悟しておけ」
ボリス艦長の言葉の意味を、俺は格納庫に足を踏み入れた瞬間に理解することになった。
「おいおい、連邦の『子持ちの死神』様が、まさか俺たちの御神輿になるとはな! 宇宙の果てでも拝めない珍客だな!」
格納庫に足を踏み入れた俺たちを最初に出迎えたのは、やたらと大きなダミ声だった。
アルテミス・レイの整備ハッチから身を乗り出し、油にまみれたレンチを大振りに振り回している大柄な男。ソ連軍が誇る整備技術士、イワン・ボロディンだ。
筋骨隆々の体躯に、無精髭。およそ精密機械を扱うようには見えない荒々しさだが、その腕は確かで、すでにレイの構造をほぼ把握しているという。
「安心しな、死神。お前さんが乗るその白い玩具、太陽の熱でドロドロに溶けちまわねえよう、太陽近傍になったら極上の耐熱装甲を着せてやる。ただし、俺の整備にケチをつける奴は、大砲の砲身に詰めて宇宙へブチ上げるからそのつもりでな!」
(……ねえおじさん、あの人、レンチのサイズと腕の太さが同じなんだけど。本当に整備士? )
(ぷふっ、静かにするんだ、いいなアイ)
笑うのを我慢していると豪快に笑うイワンの後ろから、今度は足音もなく、一人の細身の女性が姿を現した。
青白い肌に、度の強い眼鏡。手元の端末から一切目を離さないその様子は、周囲の喧騒を完全に拒絶している。
「……静かにしてください、イワン。脳の処理速度が落ちます」
彼女の名は、タチアナ・ボストーク大尉。太陽近傍調査の主任科学者であり、あの「苦しみのログ」の解析を担当した、この任務の頭脳だ。彼女は端末をピッと操作すると、冷徹な視線を俺に向けてきた。
「リーカス・ソノダ大尉。私はあなたの『不朽』のデータにしか興味はありません。四十年前の失踪者が遺したあのメッセージ……あれは単なる事故の悲鳴ではない。太陽が生み出した『精神汚染の極致』です。凡人が行けば一秒で脳が焼き切れる。あなたという強靭な『盾』が、どこまでその熱波に耐えられるか、私の理論の証明になってもらいます」
(おじさん、この人、すごい綺麗だね)
(ああ、そうだな)
感情を排した声で淡々と語るタチアナの横で、最後に一人の男が、壁に背を預けて退屈そうにナイフを弄んでいた。
ソ連軍の最前線で「生還率ゼロ」の偵察任務を生き抜いてきた特務パイロット、ニコライ・チェルノフ少佐だ。その顔には、かつての戦場で刻まれたであろう深い傷跡が走っている。
「歓迎するよ、裏切り者の死神殿。お前がアイとかいうガキのために命を張るってんなら、俺はそいつを鼻で笑ってやるさ。だがな、太陽のそばってのは、文字通り『地獄の釜の底』だ。そこじゃヒノモトだのソ連だのの看板は意味をなさねえ。足を引っ張る奴がいれば、俺がその手足をもいででも、ブツだけを持ち帰る。……死ぬ準備はできてるか?」
(……おじさん、あのニコライ少佐って人、もしかして厨二病ってやつなのかな? 「地獄の釜の底」とか「死ぬ準備はできてるか?」とか、台詞のクセが強すぎてちょっと恥ずかしいんだけど)
(アイ、声がデカい。気持ちは痛いほど分かるが、本人は大真面目にクールに決めてるつもりだからそっとしておいてやれ。……でも確かに、包帯とか巻き出したら手遅れだな)
イワンの豪快すぎる狂気、タチアナの冷徹なマッドサイエンティスト感、そしてニコライの殺伐とした空気。
あまりにも濃すぎる面々に、俺の隣でアイが完全に怯えて俺の背後に隠れてしまった。俺自身、これからこいつらとチームを組むのかと、目眩がするような絶望感を覚えかけた――その時だ。
「おい、お前たち。初対面の客、それもこれから生死を共にする仲間に向かって、少しはマシな口の利き方をしたらどうだ」
一歩前に出ながら、ボリス艦長が深くため息をつき、彼らを鋭い目線で黙らせた。そして、俺たちの方を振り返ると、すまなそうに頭を掻く。
「すまないな、リーカス、アイ。軍の上層部が『実力だけ』を基準に集めたもんで、協調性という言葉を知らん連中ばかりだ。だが、腕だけは確かだからそこは安心してくれ。……飯は食ったか? まずは食堂で温かいスープでも飲んで、落ち着くといい」
包帯姿の痛々しい外見とは裏腹に、至極まっとうで、大人の包容力に満ちたボリス艦長の言葉。
(あ、普通だ……。すっげえ安心する……!)
張り詰めていた緊張が、別の意味で一気に抜けていくのを感じた。隣のアイも、ボリス艦長の足元にしがみつくようにして、ホッとしたような顔で小さく頷いている。
「……ありがとう、ボリス艦長。あんたがこの船のトップで、本当に良かった」
「ん? なんだ急に改まって。まあいい、これからの航海は長いからな。ゆっくり準備を進めよう」
濃すぎる新メンバーの洗礼を受けつつも、俺たちはボリス艦長という唯一の良心を心の支えに、太陽のすぐそばで待つ未知の領域へと、最初の一歩を踏み出すのだった。




