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第3話:見えない境界線


あれからしばらく談笑を続け、紅茶とスコーンをごちそうになった後、

オレたちはクララ姉さんの店を後にした。

市場の通りは、相変わらず賑やかだった。


焼きたての肉串の匂い。

商人たちの呼び声。

荷車のきしむ音。


その全部が、不意に途切れた。


「道を開けろ!」


銀の甲冑を着た兵士が、人波を割って進んでくる。

その後ろを、黒く磨かれた馬車が滑るように通り過ぎた。 馬はいない。

車輪の横で、青い魔石だけが淡く光っている。


「……なにあれ」

「ああ、貴族様の魔導馬車だよ。めちゃくちゃ高いやつ」

姉ちゃんは軽く言った。


けれど、市場の人たちは誰も笑っていなかった。

野菜売りのおばさんも、荷運びの男も、黙って道の端に下がっている。

まるで、そうするのが当たり前みたいに。


「……なんで、みんな避けるの?」

「貴族様だから。それだけ」

姉ちゃんは、それ以上何も言わなかった。

遠ざかる馬車の音だけが、しばらく耳に残った。


市場の角に差し掛かったところで、姉ちゃんが足を止めた。


「じゃあ、私ここで」

「また教会行くの? だから黒いのか」

黒いワンピース。 飾りも、色もない。

「なんか、今日儀式の準備があるみたいでさ。呼び出されたの」


そういえば、家の中に突然魔法陣が出てきたと思ったら、姉ちゃん宛の手紙が届いていた。

教会前には、姉ちゃんと同じような格好をした人たちが出入りしている。

「またね、ジェイド」

そう言って、姉ちゃんは教会の方へ軽快な足取りで向かった。


「……儀式、ね」

市場の喧騒は、まだ続いている。

だけど、教会の方だけは、どこか静かだった。


姉ちゃんと別れたあとは、教会旧市街を一人で歩いていた。

石造りの建物。

閉じた扉。

静かな通り。


「お、坊主」

声をかけられて振り向く。

そこに立っていたのは、見知らぬ行商人だった。

「魔導具、いらないか?」

箱の蓋を開けてオレに見せてくる。

中には金属の道具がいくつか並んでいた。

小さな筒や、見たことのない形の器具。

どれも古びていて、用途はよくわからない。


「安いぞ。掘り出し物だ」

「いらない」

「そうか、また気が向いたら来な」

オレはなんだか胸騒ぎがして、その場を離れた。


ふと気になって後ろを振り返るとーー

後ろにはさっきまでいたはずの行商人の姿が見当たらない。

今日は疲れているのか?明日もここに来たらまた居るのか?

オレがみたのは幻覚だったのか。 重い足取りのまま、家に帰ることにした。


夕方。

オレは家に帰ってきた。

店内には、客が二、三人。 棚には、売れ残りのパンが少しだけ残っている。

ほとんど完売だった。


「今日はもう、お店閉めましょうか」

母さんのその一言で、締め作業に入る。

姉ちゃんはまだ帰っていない。

オレは棚に残ったパンを籠へ移し、母さんは帳簿を開いた。

入り口の看板を裏返し、扉の鍵を確認する。


「ただいま」 父さんが帰ってきた。

「おかえりなさい」

母さんが帳簿から顔を上げる。

「今日は早いのね」

「少しな。市場も落ち着いてきてる」


父さんは店の中をぐるりと見回した。

「今日はよく売れたみたいだな。カーネルは?」

「教会。儀式の準備で呼ばれたって。魔法陣で姉ちゃん宛の手紙届いてたでしょ?」

オレがそう答える。郵便物が魔法陣通して届くのはよくあることなんだけど。

黒い封筒に、教会の紋章入りの赤い封蝋が押されていた。

正直なんだか嫌な予感する。

ただの封筒には見えなかった。


「ただいまー!」

姉ちゃんが元気よく帰ってきた。

教会バイトの帰りだというのに、どこにそんな元気残してるんだろ。

「意外と早かったね」

「まぁね、でも儀式の準備とか結構大変なんだぞ」

「その割には元気じゃん」

「ジェイド、身体の出来が違うんだよ」

「その言い回しは女の子としてどうなんだよ……」

オレのツッコミは姉ちゃんには届いてないようだった。


「お父さんは今何してるの?」

「ソファで寛いでると思う」

「あら、カーネルおかえりなさい」

「お母さんただいまー!何か手伝うことある?」

「特にないわよ。そろそろ夕飯にするから少し待ってて頂戴」

「んーわかった。お父さんただいまー!」

姉ちゃんはリビングの方で寛いでいる父さんのところへいった。

店の手伝いも終わったし、オレもリビングに向かった。

食事を済ませ、お風呂に入り、そろそろ眠くなったのでベッドに向かおうと思った。


「ねぇジェイド」

姉ちゃんが階段下から話しかけてきた。

「この店さ、いつか大きくしたいよね」

「大きく?」

「そう、市場一のパン屋。……ううん、貴族も並ぶ店」

「貴族?」


思わず素っ頓狂な声が出た。

あんな冷たい魔導馬車に乗るような奴らが、

庶民の店に来るわけないと本気で思っていたからだ。

「店の名前も決めてるんだよね〜」

姉ちゃんが自慢気に笑う。

「どんな?」

「ゴールデン・サン」

「なんだそれ」

「私の髪の色!」

「髪の色って……」


そんな馬鹿げた由来の店名があってたまるか。

オレは猛反対するぞ!

「市場一明るい店にするよ。ま、なんとかなる! おやすみ、ジェイド」

姉ちゃんはそう言ってニコッと笑い、階段を上がっていった。

「おやすみ」

ぶっきらぼうに挨拶して、オレもベッドに向かった。

悪夢にうなされることもなく、その夜はぐっすりと眠った。


――メリトクラシア暦八年 五月九日


翌朝、オレは粉袋を買うため、教会旧市街の通りにある

クララさんの店に向かっていた。

姉ちゃんは教会バイトのために早めに家を出たみたい。

最近、儀式の準備とかで忙しいらしい。

一人でクララさんの店に行くのはいつぶりだろう。

粉屋クララは、教会旧市街の角にある小さな店だった。


白い石壁に、淡い木の扉。

入口の横には、小麦の穂を描いた看板が掛かっている。

市場の店みたいな派手さはない。

けれど、扉を開ける前から、ほんのり甘い粉の匂いがした。


「ジェイド君、いらっしゃい」

「“クララさん”、こんにちは」

……あれ?なんでだろ。急にクララさんの目が細くなる。

なんだか機嫌が悪いような……?

「“お姉ちゃん”って呼んでくれないの?」

大人なのに、子供みたいに抗議してくる。

その顔に思わずドギマギしてしまった。

「あ、ごめん。その”クララ姉さん”」

「うふふ、“お姉さん”か。今日はカーネル居ないの?」

「教会バイトに行ってる」

「そうなの?昨日もじゃなかった?」

「今忙しいみたい。建国祭も関係あるのかな?」

「そっか。じゃあお姉ちゃんの分も頑張らないとだね。

今日は何が欲しいの?」

「いつもの小麦粉。あと、酵母も少し」


クララさんは頷いて、棚の奥へ向かう。

店の中には、小麦粉だけじゃなく、

酵母や蜂蜜、乾燥果実なんかも並んでいる。

パン屋相手の店らしい品揃えだった。


「今日は少し質のいい粉が入ってるの。どうする?」

「いつもと違うの?」

「ええ。教会の方にも回すやつだから」

――教会。

その言葉に、ほんの一瞬だけ胸の奥が引っかかった。


「じゃあそれもお願いします」

「はーい、ちょっと待っててね」

クララ姉さんは鍵付きの戸棚から一袋持ってきてくれた。

「パン屋レオンって最近忙しいみたいね。こっちにも評判届いてるよ」

「そうなの?」

「粉の減りが早いのよ。レオンハルト家の注文、前より増えてるでしょ」

「言われてみれば……」

「市場でも評判いいみたい。『朝に寄らないと買えない』って。

丸パンがすぐに無くなるって噂よ?良かったわね」


クララさん、いやクララ姉さんは満面の笑みでそんなことを言う。

どうしよう自分よりも歳上なのに、姉ちゃんよりずっと歳上なのに

ずっとドキドキしてる。


「母さんが頑張ってるだけだよ」

「ジェイド君も頑張ってるでしょ? えらい」

不意に、あの『甘いマシュマロ』が正面から飛び込んできた。

ボフッ、という音と共に視界が真っ暗になる。

鼻先をくすぐる香りと、昨日よりもさらに近く感じる体温。

心臓がバクバクと暴れ出し、

茹でダコみたいに頬が熱くなっていくのがわかった。


「ちょ、クララ姉さん!? 近い、近いって!」

「ごめんね、ジェイド君がかわいいからつい」

そう言ってクララ姉さんは離れた。

一気に視界が開けて涼しくなったはずなのに、 どこか少しだけ名残惜しい。

「お手伝い頑張ってね。気をつけて帰ってね。 また顔を見せにいらっしゃい」

「うん。じゃあまた来るよ、クララ姉さん」

そう言って、オレは逃げるように店を出た。


オレは両手で紙袋を抱えていた。 結構重い。

歩くたびに、中の粉が少し揺れる。

パン屋にとって粉は命だ。

落としたり破いたりしたら、母さんに怒られる。

というか普通に困る。

袋が破れたりしないように慎重に歩いていた。


その時だったーー


目の前に、オレより頭ひとつ以上背の高い少年たちが立っていた。

三人くらいいる。

でも、服装でオレとは違う世界の"人間”なんだとすぐに分かった。


上着は仕立ての良い布。

靴はきれいな革靴。

市場の子供の格好じゃない。

オレは思わず足を止めた。

前にいる二人が、オレを見る。

その後ろに、もう一人いた。

少しだけ離れて立っている。

銀色の髪の少年。

腕を組んで、壁にもたれていた。

そいつだけは目が笑っていない。

前にいる少年が話しかけてきた。


「それ粉屋の袋だろ?ってことはさ…… お前パン屋の息子か?」

オレは答えない。

オレに話しかけたやつと隣にいるやつがどっと笑う。

誰かを蔑むような、悪意しか感じ得ない笑い方。

見下すような笑い方だ。

オレは袋を抱え直してその場を立ち去ろうとした。


でも少年の一人がオレの行く手を阻んだ。

「おい、無視すんなよ。聞いてんだけど」

声の調子が変わり、怒気が混じる。

“貴族”に絡まれるなんて生まれて初めてだと思う。

オレはこいつらの事は知らないし、みたことも聞いたこともない。

「……通してくれ」


早く家に帰りたかった。

こんな奴らに構ってる余裕なんかない。

「へぇ、随分と生意気な口効くんだね?」

そういってオレに絡んできた貴族の少年がオレの服装をまじまじとみてくる。


「やっぱりか。お前、ウンフェーイグ《最下層の平民》だろ?

ギリギリ奴隷じゃなくて良かったな」


胸の奥が、すっと冷えた。

怒りはあった。

でも、熱くはならなかった。

ただ、こいつの目が気に入らない。

人を、最初から下に置いて見る目だ。


「おい、なんか言えよ。図星か?」

もうひとりの貴族の少年も参戦してきた。

「ウンフェーイグなんてさ、店の手伝いして、

そのまま大人になって、そのまま店の跡を継ぐんだろ? 夢がないよね〜」

「だな、お先真っ暗だ」

「大して稼げないしな。子供に仕事の手伝いさせるなんて

どうかしてるよ。お前もそう思うだろ?」


……うるせぇ。それ以上話すな。


「で?お前名前なんていうの?ウンフェーイグでも名前くらいあるんだろ?」

少年二人は面白そうに小馬鹿にしたように聞いてくる。

少しだけ貴族様の暇つぶしとやらに付き合うことにした。


「ジェイド・レオンハルト」

オレが名乗った瞬間、少年二人が、信じられないものでも見たみたいに吹き出した。

「……は?」

「ははっ! おい、今なんて言った? レオンハルト?」

「マジかよ。お前んち、あのクロイツ家の親戚か何かなの?」

一人が、腹を抱えて笑う。

「違うだろ。こいつパン屋だぞ」


別の少年が、にやにやしながらオレを上から下まで眺め回した。

古いシャツに、擦り切れた袖。

そして、抱えた袋からこぼれた粉のついた手。

「レオンハルトって、英雄様みたいな名前じゃん」

「パン屋のガキが名乗っていい名前じゃねぇよ。不釣り合いすぎて笑える」

「しかもジェイド……宝石かよ。名前だけは立派だよな」

最後の一人が、喉を鳴らして吐き捨てる。

「親、夢見すぎだろ。みっともねぇ」

「……うるせぇ」

「ああん?」

「今なんか言ったか、パン屋?」


オレは、粉袋を抱える手に力を込めた。

指先が袋に食い込み、中の粉が小さく揺れる。

「父さんと母さんを侮辱するな」

喉の奥が熱い。

「お前らなんかより、ずっとまともだ」

一歩、前に出る。

「失せろ、腐れ貴族が!」


そこでオレは思わず手が出てしまっていた。

後先も考えずに、初めて人を殴った。

右拳に、硬くて嫌な感触が残る。

じりじりと熱を持つ手のひらとは裏腹に、オレの頭は氷水でも被ったように冷え切っていた。


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