第四話 伊賀越え
夜は、まだ明けない。
闇が、すべてを覆っている。
「急ぎすぎるな」
低い声が、静かに響いた。
先頭を行くのは、影丸。
その後ろに――
徳川家康
そして、わずかな供。
「だが、遅れれば終わる」
家康の言葉に、影丸はわずかに視線を動かす。
「承知」
それだけを返し、歩を進める。
山道。
足場は悪く、視界も利かない。
だが――
「止まれ」
突然、影丸が手を上げる。
全員の動きが止まる。
静寂。
何も聞こえない。
だが、影丸だけが“何か”を感じていた。
「……いる」
小さく呟く。
次の瞬間――
矢が、闇を裂いた。
「っ!」
後方の家臣が倒れる。
「伏せろ!」
影丸の声。
すぐに、次の矢。
そして、足音。
数が多い。
「囲まれている……!」
誰かが叫ぶ。
だが――
「違う」
影丸が否定する。
「探っているだけだ」
それは、追手の動きではない。
“様子見”
「影を出せ」
影丸が低く命じる。
次の瞬間、周囲の闇が動いた。
伊賀の忍びたち。
気配もなく、散っていく。
「時間を稼ぐ」
「行け」
短いやり取り。
だが、それが別れだった。
「……すまぬ」
家康が、ぽつりと呟く。
影丸は振り返らない。
「任務です」
それだけだった。
次の瞬間、遠くで刃の音が響く。
そして、消える。
「進む」
影丸が言う。
誰も、後ろを振り返らない。
振り返れば、足が止まる。
止まれば、終わる。
山道を抜ける。
だが――
「……またか」
影丸が足を止める。
今度は、前。
気配が、一つ。
「出てこい」
闇に向かって言う。
しばしの沈黙。
そして――
「怖ぇ顔してんな」
軽い声。
ゆっくりと現れる影。
猿飛佐助
「またあんたか」
お凛が、どこからともなく姿を見せる。
すでに合流していた。
「縁があるなぁ」
佐助は笑う。
だが、その目は笑っていない。
「通す気は?」
影丸が問う。
佐助は、少しだけ考える素振りを見せて――
「さあな」
と答えた。
次の瞬間、空気が張り詰める。
戦うか。
避けるか。
「影丸」
お凛の声。
わずかな、迷い。
だが影丸は――
「……道を変える」
そう言った。
「逃げるのか?」
佐助が笑う。
「違う」
影丸は一歩も動かない。
「戦わないだけだ」
一瞬の静寂。
そして――
「正解」
佐助は、あっさりと道を開けた。
「今日は見逃してやる」
理由は言わない。
それが、この男。
「……何が目的だ」
お凛が問う。
だが――
「考えろ」
それだけ残して、姿を消した。
再び、静寂。
「……気味が悪い」
お凛が呟く。
影丸は、ただ前を見る。
「進む」
その一言で、再び動き出す。
夜は、まだ終わらない。
そして――
この逃走は、まだ始まったばかりだった




