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15.花泉2

「きれいでしょ」


 遼灯を振り返り、琉衣が自信気に言う。遼灯は素直にうなずいて、


「きれいだな。でも、俺ってここまで来て良かった? すげー違反であとで園主に監禁されたりとかしないよな、まさか?」


「大丈夫よ。時々お客さんも連れてきてるから。まぁ、遼灯も座りなさいよ。あたしたちはここで少し休憩――でなく、清められていくの」


 琉衣は自分と千璃との間の地面を叩いて促し、説明を足した。


 これが花納めと呼ばれるものであること。舞子が交代で務めていること。面倒がる者もいるが、自分たちには楽しみな仕事であることなどをだ。例え真冬でも喜んで来る。この場の持つ気が好きなのだ。


 奏園の真髄である気がする。能弁な琉衣に笑顔でうなずきながら、千璃はどこか上の空だった。風に目を細め、岩を見上げて眩しそうな顔をする。だから遼灯は、千璃が訥々と話し始めたときにも驚かなかった。


 ごめんなさい、と千璃は始めた。


「夢をみたの」


 そう続ける。


「昂鷲さまの夢よ。夢ではなくて、本当のこと、なの。あたしは前に」――


「そーっか。思い出したんだ」


 遼灯は水を見たまま言い、それから空を仰いだ。つられ同じ方向に視線を移し、千璃は気付く。

 空ではなく、遼灯は王城を見ていたのだ。巨岩とは真逆の方角、屋根を越えて木々の間から朱天塔の先がわずかに見える。


「なかなかあいつも、たまには役に立っていたようで。昂鷲ごときでも」

「遼灯は知っていたのよね。だから」


 先の夜の慌てぶりを思い、千璃は言った。王の側にしてみればそんな筈ではなかったのだ。千璃にしても今となっては、そんな筈ではなかった、とやはりそう思う。

 おかしい。命に関わる出来事を、忘れてしまうなんて。


「聞いたことあるわ。千璃を助けたお兄さん。なるほどね。それが王だったわけか」

「うん、……みたい」


 千璃は心許ない笑みを浮かべた。琉衣に話したことも忘れている。連なる記憶がひどく胡乱で、情けなかった。


「お世話になって――、命を助けていただいたのに、あたしはお名前を聞いてもすぐには思い出さなかった。それはひどく、……情けないことに思える」


「仕方ないわよ。あたしたち、王さまの名前なんて知らないんだもの。例えば昂鷲さまのことを毎日思っていたとしたって、王の手紙と結び付けなければ同じことだわ。千璃はその人が王だとは知らされていなかったんでしょ? ほら仕方ない」


「そうだけれど」


 知らされはしなかったかもしれないが、隠されていたことでもないだろう。見たもの聞いたものに充分に察せられたはずだったと思う。それほどに幼くはない。あまりにも鈍い。


「そうだとしても、あまりにも……」


 琉衣が言ったみたいに、昂鷲のことを毎日考えていても良かったのだ。恩人なのだから。


 いったい今まで自分はどうやって生き延びたと思っていたのだろうか。焼け野原と化し、自分以外の誰一人助からなかったあの村から、自分の力で脱したとでも?

 どうやってこの奏園に来たと? この美しい奏園に。


「ごめんなさい」


「それは昂鷲に言ってやれ。でも俺は、そんなにひどいことじゃないと思う。千璃は自分を守らなくてはならなかった。誰だってそうだ」


「うん……」


 手元の若草を眺めるのを止め、千璃はふと顔を上げた。


「王城ではみんなお名前を呼ぶの?」


「まぁ、周りは大概な。昂鷲は身内に縁が薄くてさ、御名前を使うような人間が誰も残っていない。呼ばれてないと忘れちまうとか言うんで、呼んでやってるってわけ」


「前も――あたしが助けていただいたときも、みんなそう呼んでた」


 丁寧な態度をとってはいたが、誰からも王という言葉を聞かなかった。頼りなくぼやけた記憶が、だんだんと輪郭を持ちつつある。


「だろな、陣には信用してる奴しか入れないから。特にあの乱の時にはなー。身内から出た裏切りだけに、誰が敵だかわかったもんじゃないから厳選。補佐もいたんだけど、果たして千璃の記憶に残っているかどうか」


「ほさ?」


「宰相補佐。補佐だけ言うと嫌な顔をするからおもしろい。野心に燃える王の腹心。あぁ、撰吹様もいたな。あの時は指揮官として同行している」


 まるで自分もその場にいたかのように言うが、十年の昔、遼灯はやっと幼児の年齢だ。一応は空師として国史を学んではいるらしい。


「撰吹さまはさまなのに、王は呼び捨てというのも変ね」


「当たり前だろ? 撰吹さまは俺の師だけれど、昂鷲はただ王なだけだぜ。だいたい、昂鷲に学んでいるわけじゃない」


「撰吹さまがお仕えしているのが、王さまなんじゃないかしら」

「そこは分けて考えてくれ。頼むから、琉衣さま」


「やっぱり王さまって寛大。あたしなら許さないわ、この生意気な弁」


 ねぇ、と千璃を振り返り、


「王妃になったら、千璃の方が偉いんでしょ? しっかり罰を与えないと」


「なに言ってんだ、琉衣。だから、俺の上には撰吹さましかいないんだってば。たとえ千璃が妃になったとしたって」


「待って。他の空師さまは?」

「上位だけどさまなんてのは別に。撰吹さまは特別なんだよ」


 珍しく少し困ったような顔になった。なにか遼灯にも複雑な、実は葛藤もあるのかもしれない。

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