序 坂の崩れた三日
王都から南へ街道を二日歩くと、平地が尽きて丘にかかる。その登り口にケーデという町があって、平地を来た大きな荷車はここで小さい荷車に荷を移し、馬を替えて坂を上がる。荷を移す広場を町の人は継ぎ場と呼び、継ぎ場の端にある深い井戸を縄井戸と呼ぶ。縄が長いからで、荷運びの者はこの町を、井戸の名ではなく縄の長さで覚えている。継ぎ場から坂へ上がる筋には車大工と馬喰の軒が並んでいて、車輪の直しと馬の替えで食っている町だと、宿の客に教わった。私がケーデへ来たのは街道の案内を書くためで、王都の写本工房に卸す読み物の一つに、南の街道の宿と水と馬の替え場を一枚にまとめたものを頼まれていた。
継ぎ宿に着いたのは刈入れの月の半ばの夕方だった。継ぎ場の向かいにある荷運び向けの宿で、相部屋が三つと土間と馬屋があり、三日見て二日で出るつもりでいた。その夜から雨が降り、二日目の朝には町の南の登りが崩れて、荷継ぎが止まった。継ぎ場には荷を移す先のない荷車が並び、坂が通るまで、荷も人も町に溜まることになった。雨は三日降った。
継ぎ宿の夜のことを書いておく。荷運びの客は土間で火を囲んで食い、酒が回ると誰かが話をする。話はたいてい、どこの宿の飯が安いかと、どこの関の役人の意地が悪いかで、それが尽きると、どこそこの女房の話になる。女将は台所の帳場に座ってそれを聞いていて、客が寝たあとに何か書いている。宿の帳を付けているのだと、私は思っていた。
二日目の夜、客の話の種が尽きたので、女将に、何か面白い話を知らないか、と聞いた。案内の商売には要らない話でいい、と私は言い足した。女将は少し考えてから帳場の奥へ行き、紙の束を抱えて戻ってきて、土間の卓に置いた。二十年あまり、客が夜に話したことを、客が寝たあとに書きとめてきたのだという。百はあった。綴りは自己流で、字は読めるが、客の言い回しがそのまま残っていて、読みにくかった。余白には何年の何の月に、どこの何屋が語ったか、その客がそのあとどうしたかが、一行ずつ書いてあった。
白状すると、五枚目まで行かないうちに、これは売れる、と先に思った。字で銭を取る商売を長くしていると、面白いかどうかより先に、売れるかどうかで目が動く。そのあとで自分が嫌になったが、嫌になったまま束を返さなかったのだから、嫌になった分だけ正直に書いておく。
三日目は坂がまだ通らず、私は一日、土間の卓で束を読んだ。読み終えて十話を選んだ。面白いから選んだのではない。面白い話なら百のうちに五十はあって、そのうち書き起こしても面白さが伝わる話が十であった。残りは土間の火の前で聞けば笑えるが、本に起こすにはいまいちなものであった。旅人の雑談とはそういったものものである。『旅の拾い唄』という本に、場を離れた唄は干した魚のようなものだ、とあった。読んだときは分からなかったが、束を読んで分かった。話も同じで、干して残るものと、干すと何も残らないものがある。
大体の筋と落ちは、女将の書き取りのとおりにして変えないようにしている。綴りと言い回しは読めるように直し。足したところ、直したところはその話のあとに注で書くこととする。語り手の名は書かない。書き取りにも名はなく、どこの何屋、としか書いてないから、私もそう書く。各話の終わりには女将の余白の一行を、女将の字で、と断って残すこととする。
一つだけ、誰が語ったか書いてない話がある。余白に年も月も語り手もなく、話だけがある。十話の最後に置いた。誰の話かは聞かなかった。
四日目の朝に雨が上がり、坂は昼には通った。継ぎ場の荷車は一日で散り、私は写しを取った束を女将に返して、案内のほうは三日見た分で書くことにして、王都へ戻った。清書は白霜の月に終わった。十の話が本当に起きたことかどうか、私は知らない。本当かどうか調べるのは野暮ってものである。
王国歴1661年 白霜の月
王都アルデンにて
ユーゴ・ヴィ・ラント




